空のお城通信~オスカー戯言日記~

空のお城へようこそ゚+(人・∀・*)+。♪ 自分の好きなこと、興味のあることを書いています。

毎日が妄想モード突入!よろしくお願いいたします。

「がんばらない」「あきらめない」の著者でも知られる医師の鎌田先生。その先生の恩師、三木茂夫先生(故人)の言葉。


『奇形の子、頭のいい子、悪い子、大きな子、小さな子、みんな、38億年前に地球に誕生した生命の記憶を背負って生まれてくる、かけがえのない生命です。それを心して患者さんに接しなさい。』


忘れないようにブログに書き込みφ(..)そしてこころにも…☆



今年の母の日、皆さまはどのように過ごされたのでしょう?

母に感謝し、母として感謝された方もいらっしゃると思いますが、私といえば…(´Д`)

実家の母から先月すでに、お金のムダだから「花だけでなく、お菓子や洋服もいらない」と言われ…その上「500円玉貯金がだいぶたまったから、今度きたらやるよ」との言葉をもらい…ああっ、もう「お前はいくつだ!?」と我が子からも言われる、相変わらずのカネゴンでございます…(T-T)


誕生日の翌日の新聞に、詩人の吉野弘さんの『漢字喜遊曲』からの一部が載っていたのですが…「編集手帳」(読売のコラム)読まれた方もいるでしょうか?


母は/舟の一族だろうか/こころもち傾いているのは/どんな荷物を/積みすぎているせいか


私の母は、あきらかにど~ん!!と重いカネゴンの置物を持っていると思いました(ToT)


私も、左右の靴のかかとの減り具合が均等ではないので、かなり傾いていると思います!って、身体のバランス以前にアタマのバランスがオカシイだろっ!!な文章でスミマセン…( ̄▽ ̄;)


話をもどしますが(笑)吉野さんの詩を読んで、「小さな娘が思ったこと」という詩を思い出しました。



小さな娘が思ったこと

ひとの奥さんの肩はなぜあんなに匂うのだろう

木犀みたいにくちなしみたいに
ひとの奥さんの肩にかかるあの淡い靄のようなものはなんだろう?
小さな娘は自分もそれを欲しいと思った
どんなきれいな娘にもない
とても素敵な或るなにか… …

小さな娘がおとなになって

妻になって母になって

ある日不意に気づいてしまう

ひとの奥さんの肩にふりつもるあのやさしいものは

日々 ひとを愛してゆくためのただの疲労であったと


作者は茨木のり子さんです。行間とか違うかもしれないから、本屋さんで確認して、詩を味わって下さい。


あと吉野弘さんの詩では『夕焼け』が好きです。

「いつものことだが/電車は満員だった。」ではじまる、教科書にも載っている詩です。


ああ、また話が脱線してしまった!ので、このへんで~(;_;)/~~~


皆さま、お母さまやご家族を大切に☆(説得力ゼロだ~)



今日の新聞に一面「感動看護」の広告掲載がありましたね。毎年「看護の日」限定グッズを作って販売しているそうで、去年はナースキティちゃんだったそうです。いろんな情報は、こちらからどうぞ~♪

www.nurse.or.jp



さてさて……『文学のなかの看護』は、文学作品を素材にして、その話の展開や登場人物の言動を通して、さまざまな看護的なものの考え方を、また新しい視点から見つめ直してみようというものです。手元にあるのは、第二集で1992年出版です。

取り上げられているのは「最後の一葉」「飛鳥へ、そしてまだ見ぬ子へ」「火垂るの墓」などです。参考文献も多く、教科書で読んだ作品や自分がただいい本だったよな~、と漠然とした感想しかなかったものも、看護する立場から読むとまた全く違う印象を受けます。主人公に感情移入してどっぷり…ではなく、第三者として広い視点から物事を見ることができるというのでしょうか、タイトルしか知らない物語のあらすじもわかってよかったです。


医学関連書なので、お値段も200pくらいで2400円…今はもっと高いかもしれませんが(笑)機会があれば、お読み下さいませ。




『物事を始めるチャンスを私は逃さない。例え、マスタードの種のような小さな始まりでも、芽を出し、根をはることが、いくらでもあるのです。』


5月12日は「看護の日」なので、ナイチンゲールの言葉を書いてみました。


マジェンダピンクは看護する人を看護する色だそうです。みなさまが、健やかで、穏やかな毎日を過ごせますように…☆






先月末ですが、読売新聞に毎年ネパールに行き、口唇口蓋裂の子どもたちの手術をしているという医師の話が載っていました。


口唇口蓋裂というのは、生まれつき上顎や上唇が左右に開いた「うさぎ口」とも言われるものです。ほぼ5000人に1人の割合で生まれるとされていますが、日本ではほとんど手術で治せます。


しかし、ネパールでは技術のある医師が少なく、貧しくて費用を工面できない人が多く、それによりいじめられたり、偏見もたれたりします。

食事や言葉の不自由さ以外の辛さも体験してしまうのです。


石川先生が「アドラ・ジャパン」からボランティアをまとめてネパールに行ってほしいと言われたのは、1994年秋。用意された200万では十分なことができないので、医療用品会社を回って物品の寄付を頼んだりしたそうです。


はじめて手術に訪れたのは1995年3月、毎年2週間、約50人を手術。記事の中にシャンティという女の子の名前が平和という意味とあって、よく見る「シャンティ国際ボランティア協会」のシャンティはそういう意味なのか~と思ったりして…。


あと、私が使用済み古切手を集めるようになったのは、小学校の時に「ネパールに輝く」という話が国語の教科書に載っていて、学校を建設に役立ったというのを読んだからです。だから、今回この話題を読んだ時「ああ、ここにもネパールに輝く人がいる!」と感動したのです!!


きっと今日もネパールだけでなく、日本で、世界で輝いている人たちがたくさんいることでしょう!!

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