2016年02月

2016年02月29日

凍雲便りNo.16:もがいて候~2月の本棚

テーマは「20」という数字。原稿用紙20枚という制約の中で、20人の人気作家が綴った20の短編を集めたアンソロジー『20の短編小説』(小説トリッパー編集部編)が今月最後の一冊になりそうです。


朝井リョウ・阿部和重・伊坂幸太郎・井上荒野・江國香織・円城塔・恩田陸・川上弘美・桐野夏生・白石一文・津村記久子・羽田圭介・原田マハ・樋口毅宏・藤井太洋・宮内悠介・森見登美彦・山内マリコ・山本文緒(敬称略)が描いた近未来的な話、セクシーな話( 〃▽〃)やホロリとする話、考えさせられる話などお得な一冊だと思います。


好きな作品はいくつかあるのですが、木皿泉さん(夫婦で共同執筆する脚本家)の「20光年先の神様」は最初の一文から引き付けられました。


《祈りと呪いは違うという人がいるが、そんなことを言うのは、本当に人を呪ったことがない人なのだと和美は思う。》


和美はトージナホがいなくなればいいと思い続けていたけれど、中学を卒業してから40年経ってから病院で再会します。看護師と入院患者として。


《きっと二十光年先にいらっしゃるのだ。和美の願いが神様の元に届くまで二十年。神様がその願いを和美のところまで届けるのに二十年。四十年前に祈ったことを、今すぐキャンセルして下さいと祈っても、すぐにはかなえてくれない。そういう、取り返しのつかない時間の中に、私たちは生きているのだ。》


トージナホは亡くなり、和美はもう一度祈りなおしたいと何もなくなった部屋で思います。


《「みんなが、私のことを許してくれますように。そして、私が、みんなのことを許せますように」
先のことなどわからないが、そう祈ってしまうと、みるみる心が静まってゆく。たとえ、神様に届くのが二十年先でも、今の心はこんなに穏やかだ。そうか、これが祈るということか。祈りとは、今を生きるためにあるものなのか。》



和美の考え方を勝手だと思う人もいるかもしれないし、祈りが通じてトージナホが病気になったとは限らない。でもこういう気持ちを誰しも一度は持ったことがあるんじゃないかなぁ……。


タイトルから谷川俊太郎さんの『二十億光年の孤独』を思い出しました。この詩も合唱曲になっているのですね。


「人類は小さな球の上で
眠り起きそして働き
ときどき火星に仲間を欲しがったりする」……どんなカタチでも人間って誰かと何かと繋がりたいさみしがりのかまってちゃんなのかも(;^_^A そんな私ももがいて悩んであがいての2月の読書は少ない……ですがスープ以外は大満足でした。



《2月の本棚:計7冊》

「ぎやまん物語」(北原亞以子)「あこがれ 続・ぎやまん物語」(北原亞以子)「本をめぐる物語 小説よ、永遠に」(アンソロジー)「ゆうじょこう」(村田喜代子)「スープ屋しずくの謎解き朝ごはん 今日を迎えるためのポタージュ」(友井羊)「ことり」(小川洋子)「20の短編小説」(アンソロジー)



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2016年02月28日

凍雲便りNo.15:その時ワタシは……

インフルエンザ脳症で、東海地方の病院に入院していた6歳未満の女の子が23日法的な脳死と判定され、臓器移植をするために25日、臓器の摘出が行われたというニュースと同時に、臓器を提供することを決めた女の子のご両親の手紙も公表されましたね。


『命は繋ぐもの。お父さんとお母さんがAちゃんに繋いだようにAちゃんも困っている人に命をつないでくれるかな?願わくば、お父さんとお母さんがAちゃんにそうしたように、AちゃんもAちゃんが繋いだその命にありったけの愛を天国から注いでくれると嬉しいな。
 お父さんより

 お母さんをもう一度抱きしめて そして笑顔を見せて

 お母さんより』



手紙後半部分ですが、自分自身に言い聞かせて納得しようとしているお父さんの気持ち、喉から血を流しながら叫んでいるかのようなお母さんの願い……せつなくてかなしくていたたまれません。ご両親のかなしみが癒えることはないかもしれませんが、提供を受けた子どもさんたちが元気になって女の子の分もたくさんよい経験ができますように。



職場にAED設置のシールが貼られていたので、いつ?どこにあるの?と店内を見回しましたが、ない……事務所なのかしら?


「どんな時にAEDが必要なのですか?」
「倒れている傷病者に、意識がなく、普段どおりの呼吸がないときに、AEDを使用してください。」……普段通りの呼吸がないとき……心肺停止状態では作動しないんですよね。そして、作動後はどうなるのか?が気になったので、フィジオコントロールジャパン株式会社というところのサイトをみてみました。


……万一の事態が起こり、AEDでの救命処置を行った際、傷病者が幸運にも意識を取り戻したとしても、救命パッドはそのままにし、電源を切らずに救急隊に引き継ぎましょう。
一度、心臓が正常に動き出したとしても、再び心室細動が起こる可能性があるためです。

使用後のAEDは、病院もしくは消防によって、内部に蓄積されたデータの抽出が行われる場合があります。このデータ抽出は、一般的には病院などから要請を受けたAEDメーカーが行いますので、そのような場合には是非協力して下さい。AEDに残されたデータは個人情報に十分配慮して取り扱われ、さらなる治療戦略の確認やAEDの普及にも役立てられます。
AED使用者には、専門のケアまで見据えた対応を。
今後、さらにAEDが普及し、処置方法などの知識が広まるにつれて、一般の生活者がAEDを使った救命を行うケースも増えると想定されます。
過去の使用事例を調べてみると、使用者は現場に居合わせた医療従事者やトレーナーなど、一定の専門知識を有する人が多く、一般の人の使用例は限られます。しかし、一般の生活者が使用した場合、或いはAEDを使用する事になった患者・家族には、「自分がした処置が正しかったのか?」と悩み、PTSD(心的外傷後ストレス障害)などの疾患を負うケースもあります。
過去の例では、心の問題を抱えてしまったAED使用者に専門のカウンセリングが行われ、改善された例も報告されていますが、周りのサポートも含めた注意深いケアが必要でしょう。……



AEDっていろんな会社が製造していて、駅やマンションなど同じタイプのもあれば、見た目が違うのもあって、事前に講習を受けていたとしても実際にその場面になったら「自分が教えてもらったのと(カタチが)違う!」とパニックになる気がしてきました。音声案内をしてくれるというけれど、メーカーにより声のトーンとか速さとか違うの?といろんなことが気になってしまいました。メーカーのホームページで使い方の映像とかありますけど。


どこかでこういう比較?みたいなのを体験出来ないのかと今日は仕事中にずっと考えていました。



明日で2月も終わりですね。気を抜かず、風邪をひかないようにしたいと思います~ 皆さまも健康第一で!




2016年02月26日

凍雲便りNo.14:ことり

落語の『八五郎坊主』……出家した八五郎は物覚えが悪くて「法春(ほうしゅん)」というよい名をいただいたのに覚えられない(´;ω;`) 和尚さんが釈迦の弟子の槃特(はんとく)のはなしを聞かせてくれる。槃特は覚えられない自分の名前を板切れに書いて背負って歩き、立派に悟りをひらいた。逝去後、墓前に見知らぬ草が生える。「草かんむりに名を荷(にな)うと書いて茗荷じゃ」……という話を読んだのですが、頭の回転が凍りついていたらしいワタクシ、それがどーした、?オチがわからない……としばし悩んでしまいました。「ミョウガを食べると物忘れ」の俗信をすっかり忘れていました……ミョウガを食べようが食べまいが、関係なかった……ρ(・・、)



そんなハートブレイクなワタクシを慰めてくれるのが小鳥ならぬ『ことり』(小川洋子)です。



物語は「小鳥の小父さん」と呼ばれている男性が、いわゆる「孤独死」状態で発見されるところから始まります。彼は両腕で竹製の鳥籠を抱いたまま亡くなっていて、籠の中には一羽の小鳥(メジロ)が生きている。その小鳥が逃げ、飛び去ってしまい………そこから彼の一生が語られるのです。


世間的な価値観からは発達障がいと呼ばれそうな兄は11歳から、自分で編み出した言語を喋り始めます。兄はあらゆる医療的な試みにもかかわらず、他人が理解出来る言葉を話せません。兄の不思議でやさしい言葉を理解出来るのは弟だけでした。やがて母が亡くなり父も亡くなり……。


兄弟だけの暮らしは23年続きますが、兄は不意に逝ってしまいます。「小鳥の言葉を理解し、その声にじっと耳を澄ませ、彼らを励まし慰め続ける人生だったに死んでしまう。「小鳥の言葉を理解し、その声にじっと耳を澄ませ、彼らを励まし慰め続ける人生だった。(享年五十二)」


弟は、小鳥の言葉を理解した兄を偲びつつ、幼稚園の鳥小屋の世話をするようになり、園児たちから「小鳥の小父さん」と呼ばれるようになります。そして図書館の司書である女性にひそかに思いを寄せるのですが……。


その後は時代の変化や自身の身体の変調など、物語の雰囲気も前半とまた違ってきます。彼の人生を知らない人が大半ですし、あやしい人物に見られても仕方ないところはあって、実際に疑われてしまったり。


ヒヨドリやツグミの話などは漫画の『とりぱん』で見たような場面があり、ふふっとなりました。時間がゆっくりと流れていって、とってもやさしい……この本を朗読出来る技量が欲しい!と思ってしまう……映画でも絵本でもなく、声でこの世界に入り込みたい!



小父さんは兄の言葉を「ポーポー語」と名付けているのですが、私はこの部分がとてもせつなくて、とてもいとおしく感じました。



ポーポー語の中で小父さんが最も愛しているのは、おやすみ、だった。ああ、これは夜の小さなお別れを表しているのだなと分かる響きを持ち、どこか懐かしく、慈悲深く、小さな声でも闇の遠い一点にまで届いていった。お兄さんの「おやすみ」がいくつも重なり合うと、いつしか「さよなら」になるのだろうという予感がありながら、それでもやはり眠る時間になれば、また「おやすみ」を聞きたい気持ちになるのだった。
「おやすみ」
お兄さんには届かないと知りつつ、階段の向こうの暗がりを見つめながら、小父さんはもう一度だけつぶやいた。



『お兄さんの「おやすみ」がいくつも重なり合うと、いつしか「さよなら」になるのだろうという予感がありながら、それでもやはり眠る時間になれば、また「おやすみ」を聞きたい気持ちになるのだった。』……もう、どうしたらこんなに美しい言葉で人の気持ちを表すことが出来るのか! スープの話で冷めていた私の心がイッキに♪あったかいんだからぁ~になりましたよ。この春、耳にする鳥の歌は格別なものになりそうです。



小川さんの『人質の朗読会』の表紙も好きでしたが、この表紙も好き……また装丁も内容も素晴らしい一冊に出逢いたいです。皆さまもなにかステキな出逢いがある週末になりますように(*´∀`)ノ



凍雲便りNo.13:さめたスープ

近くの書店が思いっきり複合型になってしまった~中古本コーナーはなくなり、TSUTAYA(レンタル)が入ってきた……文具コーナーに化粧品にケータイSHOP、もうワサワサしてゆっくり本を探す気分になれない! 本屋は本屋オンリーがいいなぁ、と思いました。



そんな中で『スープ屋しずくの謎解き朝ごはん』の続編が出ていたので買いました。サブタイトルは「今日を迎えるためのポタージュ」。で、内容なんですが、全部で4作品あったんですがガッカリ感が大きかった……謎解き自体がどうこう、というよりそれに付随した説明描写がクドイし、なんか無理して特徴のある人物を登場人物にしているような雰囲気があって……。「山奥ガール」はジビエ料理から狩猟に興味を持つ女の子が出てくるんですが、まぁコレはあるかな程度でしたが、都合よく知り合いに猟師、そして有害鳥獣駆除に同行、ドタバタあって恋仲に~の展開。同行の時の服装が山ガールより森ガールっぽいのも、猟師関係の小説(「邂逅の森」「光る牙」「銀狼王」くらいだけど)を読んできた私には、スゴいムカついて「お前、山をバカにしてるだろ(`Δ´)」になってしまい……。


そして、お店の名前にもなっているマスターの亡くなった奥さんに関する重大エピソードの「レンチェの秘密」は書き下ろしだったのですが『5分で読める!ひと駅ストーリー 食の話』にあった“朝のミネストローネ”がほぼまるっと埋め込まれているというか……「この文章、最近読んだことがあるような……?(・_・;?」だったんですわ。


5分シリーズの話は母親のミネストローネをまた食べたいな、と思っている女性の願いを叶えた!的な話だったんですが「スープ屋しずくのでこういうこともあったかもね」で、短いけどうまくまとまっていたな~といういい話の印象だったんですよね。だから「なんで1年も経たないうちに発売される本に同じエピソードを組み込むのさ(ーー;)」となってしまって……。


エピソードが同じだとしても名前を変える、男性にする、年代を変える、とかしてくれていたらこんなにモヤモヤしなかったかも……それまでの作品も私にはちょっとなぁ…だったので、ダメ押し状態で読後感が悪くなってしまいました。


あ、性別・名前を変えるで思い出したことがあります。昔、銀行で「田中和美」さんがふたり描かれたポスターがありました。ひとりは男性のタナカ・カズヨシさん、ひとりは女性のタナカ・カズミさん。間違いを防ぐためにきちんとフリガナをふってね!というお知らせでした。


そして私がOLだった頃、先輩に○○潤さんという方がいました。「ジュンさんていうのかな~出来る都会の女性は名前もハイカラ!」なんて田舎もんの私は思っていましたが、メグミさんだとあとから知りました。。そしてその方と同じ部署の男性社員が△△潤さん。こちらはジュンさんでしたが、ふたりが結婚すると聞いた時には「えっ(;゜∀゜)」と思いました! しばらく共働きだったような気がします。


あと知り合いに、夫婦ともに清美(キヨミ)さんがいました。不思議なご縁(´∇`)




2016年02月25日

凍雲便りNo.12:雪根開き~きぼうの唄

昨晩は冷えましたね! 起きて外を見たら車や植え込みに雪が部分的に積もっていました(^^;)(;^^)


今日の記事タイトルの「雪根開き」は春の季語です。植物は雪や寒さが勝っている間はジッと我慢していますが、寒さが緩んでくると生き物の熱で周りの雪が解けてきます……木や植物のまわりだけ丸くとけてはじめて土が見えている、アレのことです~「木の根開く」という季語もあるようですね。



話はかわりますが、この前『きぼうの唄』を教えていただいたのでYouTubeで聴いてみました。


♪きっとだいじょうぶ ずっと超えてきた
悲しみを越え 今を重ね
あなたと私をつなぐ
きぼうの唄……


「きぼうの唄」(作詩:伊藤一樹・作曲:石若雅弥)の作詞者である伊藤さんは書画家で2012年から作詞をしているそうです。歌詞がだれにでもわかるやさしい言葉で、スーッと心にしみわたります。そして昔、現国で習った魯迅の『故郷』の最後の一文がうかんできました。


《思うに希望とは、もともとあるものともいえぬし、 ないものともいえない。
それは地上の道のようなものである。
もともと地上には道はない。
歩く人が多くなれば、それが道になるのだ。》


震災がある度に復興応援ソング的なものが出来て巷に流れ、そんなのなんの役に立つの?とかきれいごとだとか、その時期だけマスコミに取り上げられてみんな忘れてるんじゃないかとか、いろいろ思うことっあると思います。この歌詞を読んでも「きぼう?なにそれ?」と感じる人もいるかもしれない……でも細く長く途切れない道の一部を自分も造れるんじゃないか、石をひとつ拾うくらいは出来るんじゃないか……と。


「神戸から東北へ」だけでなく、頑張ってきた昔の自分へのメッセージのように受け取った私です。ぜひ皆さまも一度聴いてみて下さいませ。



HP:http://www.yakusokunoki.com

ブログ:http://ameblo.jp/iyashi-sakka



*前の記事のお返事遅れます。ごめんなさい!


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