2016年05月
2016年05月26日
香雲便りNo.29:ヒツジはどこにいった?
今月はシフト変更がありすぎてバタバタしていましたが、ようやくノンビリした本来の休みがやってきました!
朝イチでダンナと映画『64 ロクヨン』の前編を観てきました。原作を読んでしまうと映画の世界に没頭できないと思っているので(ネタバレは絶対にイヤ!とかは特にないですけど)後編を観賞後に本を読んでみたいなぁ、と思っています。
報道官と記者クラブ連中との対立とか激しいんですが、報道する側の「匿名報道は許されない!」「情報開示しろ!」はわかるんですが、それを追及している「俺たちってスゴい!」「偉いでしょ!」「カッコよくね?」っていう感じがしました。印刷された名前は記号ではなく、それぞれの人生がある……そのことに意識を向けることってあるのかな、と……世間に公表して下さいって被害者やその家族が望んでいなくても書くんですか?とか……警察の隠蔽工作は勿論、腹立たしくムカつきますが報道する人間のモラルとかはどうなの?と考えてしまいましたわ。本来のテーマはそこじゃないんでしょうけど(ーー;)
このところ、ブログに度々登場する小説『ナイチンゲール』ですが、下巻に入り、タイトルの意味がわかってきました。もともと主人公の姉妹の名字・ロシニョールがフランス語でナイチンゲール(和名はサヨナキドリ)という意味であったこと(これは上巻でわかる)と、レジスタンス活動している妹がドイツ兵の目を逃れイギリス人とカナダ人、計4人の航空兵をスペインに脱出させるためピレネー山脈を越える計画を立て敢行します。成功したら「ナイチンゲールは歌った」という電報を打つことになっています。真珠湾攻撃の「トラ・トラ・トラ」の暗号文みたいなものですね。「我、奇襲に成功セリ」……これは千里を征ってかえると云われる虎になぞらえた文だそうですが、こちらは彼女の名前を意識したもの。これからますます事態は悪化しナチスのユダヤ人狩りが始まります。う~ん(-""-;)となりながら読んでいます。
昨日は2008年はネズミ年だったのか、と書きましたが、今日は2015年ヒツジ年の話を少し。
高野公彦歌集『無縫の海』(むほうのうみ)が発売されました。ふらんす堂(出版社)のホームページで毎日更新された「短歌日記」に連載されたものを一冊にまとめたものだそうです。高野公彦さんはは昭和16年(1941)愛媛県生まれです。1月15日(木)の記事です。
《今年はひつじ年である。漢和辞典で「羊」の部を見ると、「美、羞、羚、着、義、群、羨、養、羹」などの文字がある。》
そしてこの日の一句。
『この国にゐなくなりしや〈羞(はぢらふ)〉といふ字の中のかれんな羊』
ヒツジはもう戻らないのでしょうか、迷ったままなのでしょうか……。
《土も人も星も清しき》
http://fragie.exblog.jp/25265990/
来週はもう6月なんですよね~むし暑くなったり梅雨冷えになったり……体調管理が大変になりそうですが、皆さま、どうぞお気をつけ下さい。
朝イチでダンナと映画『64 ロクヨン』の前編を観てきました。原作を読んでしまうと映画の世界に没頭できないと思っているので(ネタバレは絶対にイヤ!とかは特にないですけど)後編を観賞後に本を読んでみたいなぁ、と思っています。
報道官と記者クラブ連中との対立とか激しいんですが、報道する側の「匿名報道は許されない!」「情報開示しろ!」はわかるんですが、それを追及している「俺たちってスゴい!」「偉いでしょ!」「カッコよくね?」っていう感じがしました。印刷された名前は記号ではなく、それぞれの人生がある……そのことに意識を向けることってあるのかな、と……世間に公表して下さいって被害者やその家族が望んでいなくても書くんですか?とか……警察の隠蔽工作は勿論、腹立たしくムカつきますが報道する人間のモラルとかはどうなの?と考えてしまいましたわ。本来のテーマはそこじゃないんでしょうけど(ーー;)
このところ、ブログに度々登場する小説『ナイチンゲール』ですが、下巻に入り、タイトルの意味がわかってきました。もともと主人公の姉妹の名字・ロシニョールがフランス語でナイチンゲール(和名はサヨナキドリ)という意味であったこと(これは上巻でわかる)と、レジスタンス活動している妹がドイツ兵の目を逃れイギリス人とカナダ人、計4人の航空兵をスペインに脱出させるためピレネー山脈を越える計画を立て敢行します。成功したら「ナイチンゲールは歌った」という電報を打つことになっています。真珠湾攻撃の「トラ・トラ・トラ」の暗号文みたいなものですね。「我、奇襲に成功セリ」……これは千里を征ってかえると云われる虎になぞらえた文だそうですが、こちらは彼女の名前を意識したもの。これからますます事態は悪化しナチスのユダヤ人狩りが始まります。う~ん(-""-;)となりながら読んでいます。
昨日は2008年はネズミ年だったのか、と書きましたが、今日は2015年ヒツジ年の話を少し。
高野公彦歌集『無縫の海』(むほうのうみ)が発売されました。ふらんす堂(出版社)のホームページで毎日更新された「短歌日記」に連載されたものを一冊にまとめたものだそうです。高野公彦さんはは昭和16年(1941)愛媛県生まれです。1月15日(木)の記事です。
《今年はひつじ年である。漢和辞典で「羊」の部を見ると、「美、羞、羚、着、義、群、羨、養、羹」などの文字がある。》
そしてこの日の一句。
『この国にゐなくなりしや〈羞(はぢらふ)〉といふ字の中のかれんな羊』
ヒツジはもう戻らないのでしょうか、迷ったままなのでしょうか……。
《土も人も星も清しき》
http://fragie.exblog.jp/25265990/
来週はもう6月なんですよね~むし暑くなったり梅雨冷えになったり……体調管理が大変になりそうですが、皆さま、どうぞお気をつけ下さい。
2016年05月25日
香雲便りNo.28:さよならは誰に言う(´-ω-`)
『さようなら』 千葉綾音さん(小6)
友達にさようなら
学校でさようなら
でも
学校でのさようならは二つあって
一つは毎日言って、もう一つは感謝の気持ちをこめて
ほがらかに言うものなんだよ
読売新聞の「こどもの詩」コーナーに載っていたこの詩を読んで、谷川俊太郎さんの『ありがとうの深度』を思い出しました。
心ここにあらずで
ただ口だけ動かすありがとう
だだ筆だけ滑るありがとう
心得顔のありがとう
心の底からこんこんと
泉のように湧き出して
言葉にするのももどかしく
静かに溢れるありがとう
気持ちの深度はさまざまだが
ありがとうの一言に
ひとりひとりの心すら超えて
世界の微笑みがひそんでいる
「さようなら」や「ごめんなさい」の深度もさまざまなんだろうなぁ、と言葉を入れ替えて考えてみたりして(^。^;) 私が印象に残っている「さようなら」は、応援していた宝塚の娘役さんが退団する時にくれた挨拶状にあったこの文章です。
『さようなら、という言葉には、今までありがとうございましたというお礼の意味と、これからもお互いがんばりましょうという意味があると思います。』
そして第450号:サヨナラのおまじないに書いた歌詞ですね。今でもこの歌は大好きです。
テレビで「さようなら」は永遠のお別れみたいだから、今は使わなくなっていて死語に近いと言っていました。友だちだったら「バイバイ」「またね」とかで仕事関係だと「お疲れさまです」を使って「さようなら」は、ほとんど言わないそうです。前にも書いたと思いますが「さようなら」は「左様ならば(さやうならば)、これでお別れしませう」が略されたもの。「左様ならば」は「そういうことならば」「それでは」との意味。「さようなら」の後に「またね」をつけたら、さみしさやかなしさが薄まる気がするんだけれど……それは私だけ?
……なんてことをダラダラ考えていたら今日の読売新聞・編集手帳に『さようならの事典』から引用した一文がありました。『さようならの事典』(編集 窪田般彌・中村邦生)は別れをテーマに英米仏の映画や小説、偉人などの言葉をまとめた事典。「原文と訳に加え編集者の解説が載った味わい深い一冊」らしい。この事典については2008年1月1日付の編集手帳にすでに登場していました。
……(前略)正月はマラソンランナーの給水ポイントに似ている。処世の山坂で雨に降られ、ときに転倒しながら、へとへとになってたどり着く。水分を補給して生き返り、また走らねばならない(略)作家アルフォンス・アレーは書いている。「大時計のチクタクという音は、まるで時をかじるネズミのようだ」と(「さようならの事典」より)。今年もネズミたちは容赦なく時をかじり、走れ、走れと、鬼コーチのように尻をたたくだろう(後略)……
この年はネズミ年だったのですね(笑) ちなみに今日のは夫人が存命中に墓石に彫る言葉を考えた17世紀英国の詩人ジョン・ドライデンの言葉でした。
《ここに葬られしはわが妻。安らかに妻を眠らせたまえ! 今ようやく妻は心安らぐ、私もまたしかり》
彼はこれを実行出来たのか、反対に妻が“わが夫”と書き換えて刻んだのか……気になるところではありますが(笑)「さよならは誰に言う?」「さよならは悲しみに」……で千葉県知事のこの歌で今日はおさらば!(クダラナイ話につきあわせてごめんなさい!いつもありがとうございます!)……(´・ω・`)/~~
♪さみしさも悲しさも
いくたびか出逢うだろう
だけどそんな時でも
さらば涙と言おう
友達にさようなら
学校でさようなら
でも
学校でのさようならは二つあって
一つは毎日言って、もう一つは感謝の気持ちをこめて
ほがらかに言うものなんだよ
読売新聞の「こどもの詩」コーナーに載っていたこの詩を読んで、谷川俊太郎さんの『ありがとうの深度』を思い出しました。
心ここにあらずで
ただ口だけ動かすありがとう
だだ筆だけ滑るありがとう
心得顔のありがとう
心の底からこんこんと
泉のように湧き出して
言葉にするのももどかしく
静かに溢れるありがとう
気持ちの深度はさまざまだが
ありがとうの一言に
ひとりひとりの心すら超えて
世界の微笑みがひそんでいる
「さようなら」や「ごめんなさい」の深度もさまざまなんだろうなぁ、と言葉を入れ替えて考えてみたりして(^。^;) 私が印象に残っている「さようなら」は、応援していた宝塚の娘役さんが退団する時にくれた挨拶状にあったこの文章です。
『さようなら、という言葉には、今までありがとうございましたというお礼の意味と、これからもお互いがんばりましょうという意味があると思います。』
そして第450号:サヨナラのおまじないに書いた歌詞ですね。今でもこの歌は大好きです。
テレビで「さようなら」は永遠のお別れみたいだから、今は使わなくなっていて死語に近いと言っていました。友だちだったら「バイバイ」「またね」とかで仕事関係だと「お疲れさまです」を使って「さようなら」は、ほとんど言わないそうです。前にも書いたと思いますが「さようなら」は「左様ならば(さやうならば)、これでお別れしませう」が略されたもの。「左様ならば」は「そういうことならば」「それでは」との意味。「さようなら」の後に「またね」をつけたら、さみしさやかなしさが薄まる気がするんだけれど……それは私だけ?
……なんてことをダラダラ考えていたら今日の読売新聞・編集手帳に『さようならの事典』から引用した一文がありました。『さようならの事典』(編集 窪田般彌・中村邦生)は別れをテーマに英米仏の映画や小説、偉人などの言葉をまとめた事典。「原文と訳に加え編集者の解説が載った味わい深い一冊」らしい。この事典については2008年1月1日付の編集手帳にすでに登場していました。
……(前略)正月はマラソンランナーの給水ポイントに似ている。処世の山坂で雨に降られ、ときに転倒しながら、へとへとになってたどり着く。水分を補給して生き返り、また走らねばならない(略)作家アルフォンス・アレーは書いている。「大時計のチクタクという音は、まるで時をかじるネズミのようだ」と(「さようならの事典」より)。今年もネズミたちは容赦なく時をかじり、走れ、走れと、鬼コーチのように尻をたたくだろう(後略)……
この年はネズミ年だったのですね(笑) ちなみに今日のは夫人が存命中に墓石に彫る言葉を考えた17世紀英国の詩人ジョン・ドライデンの言葉でした。
《ここに葬られしはわが妻。安らかに妻を眠らせたまえ! 今ようやく妻は心安らぐ、私もまたしかり》
彼はこれを実行出来たのか、反対に妻が“わが夫”と書き換えて刻んだのか……気になるところではありますが(笑)「さよならは誰に言う?」「さよならは悲しみに」……で千葉県知事のこの歌で今日はおさらば!(クダラナイ話につきあわせてごめんなさい!いつもありがとうございます!)……(´・ω・`)/~~
♪さみしさも悲しさも
いくたびか出逢うだろう
だけどそんな時でも
さらば涙と言おう
香雲便りNo.27:お菓子ぃなぁ~('~`;)
『お菓子放浪記』(だったと思う)に「古代文字」というのが出てきました。北海道のお菓子らしい、というのはわかったのですが実体は…(´・ω・`)? ナゾのままだったのですが、どうやら小樽市にある「手宮洞窟」の岩面刻画からきたもの(古代先住民が洞窟の壁に残したもの)に関係しているのでは?というところにたどり着きました。
いろんな学者さんたちが論文やら何やら発表して、大正時代になり民族学者の鳥居龍三や広島高等師範(現在の広島大学)の地理学者・中目覚(なかのめさとる)らが絵画ではなく文字説を唱えたらしいです。そして間もなく小樽市内の3つのお菓子屋さん、吉野屋(後の吉乃屋)さん、愛信堂さん、千秋庵さんの3店が“お菓子のネーミングの権利を巡って争っている”という話が出てきた、というので幻のお菓子なのかも……と落ち着きました。
それぞれのお店のサイトを検索してみましたが、それらしき菓子は見つからず……千秋庵さんにはバイオリンチョコがあったような……(¨;) その文字をデザインした包装紙を使ったというのを聞いたことがありますが、どんなお菓子だったかはナゾのまま……時代からしてお饅頭かしら?と思っています。
こちらも記憶が曖昧ですが、以前読んだ本に「北海道の地名には“別れ”が多い」というような文章がありました。フム、確かに……ドラマで『昨日、悲別で』とかあったなぁ、私は見ていないけれど(¨;)で、検索したところ、ドラマの舞台となった「悲別駅」は、函館本線上砂川支部の終着駅「上砂川駅」で1994年5月に廃止になったそうです。
「悲別」は架空の地名でしたが、「別」の付く地名は多いのは事実……アイヌ語で「べつ」=「別(べつ)」は泉、川、池、など水に関係するところ、の意味だそうです。 自然が豊かな北海道らしいです。
北海道……行きたい! 綺麗な景色を見たい~!!
どこかでしらす雲便りNo.9:懐かしのわかさいもを買って食べて気分抱けでも旅行した~い(≧∇≦)
皆さまもお身体に気をつけて下さいね。
いろんな学者さんたちが論文やら何やら発表して、大正時代になり民族学者の鳥居龍三や広島高等師範(現在の広島大学)の地理学者・中目覚(なかのめさとる)らが絵画ではなく文字説を唱えたらしいです。そして間もなく小樽市内の3つのお菓子屋さん、吉野屋(後の吉乃屋)さん、愛信堂さん、千秋庵さんの3店が“お菓子のネーミングの権利を巡って争っている”という話が出てきた、というので幻のお菓子なのかも……と落ち着きました。
それぞれのお店のサイトを検索してみましたが、それらしき菓子は見つからず……千秋庵さんにはバイオリンチョコがあったような……(¨;) その文字をデザインした包装紙を使ったというのを聞いたことがありますが、どんなお菓子だったかはナゾのまま……時代からしてお饅頭かしら?と思っています。
こちらも記憶が曖昧ですが、以前読んだ本に「北海道の地名には“別れ”が多い」というような文章がありました。フム、確かに……ドラマで『昨日、悲別で』とかあったなぁ、私は見ていないけれど(¨;)で、検索したところ、ドラマの舞台となった「悲別駅」は、函館本線上砂川支部の終着駅「上砂川駅」で1994年5月に廃止になったそうです。
「悲別」は架空の地名でしたが、「別」の付く地名は多いのは事実……アイヌ語で「べつ」=「別(べつ)」は泉、川、池、など水に関係するところ、の意味だそうです。 自然が豊かな北海道らしいです。
北海道……行きたい! 綺麗な景色を見たい~!!
どこかでしらす雲便りNo.9:懐かしのわかさいもを買って食べて気分抱けでも旅行した~い(≧∇≦)
皆さまもお身体に気をつけて下さいね。
2016年05月24日
香雲便りNo.26:なんでありま(で)すの?
「当たり前田のクラッカー」と同じ使い方(?)で「なんですか?」のかわりに「なんで有馬の人形筆」というのがあるらしい……「有馬の人形筆」ってナニ(´・ω・`)?
《日本最古の歴史書「古事記」には、奈良時代、三十六代孝徳天皇がお妃に御子がないのを嘆かれ、有馬温泉に逗留されたところ間もなく、めでたくご懐妊され、お生まれになったのが有間皇子であると記されています。
人形筆は、この故事にちなみ、室町時代に神戸の伊助という筆職人が創作したのが始まりとされ、古くから有馬の名物として、子宝授与の縁起物として作られてきました。》
赤ちゃんの髪の毛で筆を作るというのは聞いたことがありましたが、それ以前のお話(?)だったのか……!
http://www.arimahude.com/
二葉亭四迷の『余が言文一致の由來』とかいう本に、こんな記述があるようです。
「べらぼうめ、南瓜畑に落こちた凧ぢやあるめえし、乙うひつからんだことを云ひなさんな」とか、「井戸の釣瓶ぢやあるめえし、上げたり下げたりして貰ふめえぜえ」とか、「紙幟(のぼり)の鍾馗といふもめツけへした中揚底で折がわりい」とか、乃至は「腹は北山しぐれ」の、「何で有馬の人形筆」のといつた類で、いかにも下品であるが、併しポエチカルだ。
ポエチカル……poetical[po'εt kl]:非常に空想的な,詩の,詩的な,詩人の……という意味らしい。結構、西洋かぶれ(古い!)な人だったのかしら? 「いかにも下品」と言われると……こんな風に威勢よく切り返せるのは頭のよい証拠みたいに思えるけどなぁ。地口とか楽しいのに……関心がありましたらひつじ雲便り443:言葉遊びをお読み下さいませ。
おやじギャグではありませんが、新聞の「こどもの詩」にこんなカワイイ作品がありました。確かにそうだね~大事に長く使ってね(´∇`)
『新しい年度』
田中陽奈子ちゃん(保育園に通う4才)
あたらしい ねんどになるの?
ならないよ いままでとおなじ
粘土をつかうんだよ
《日本最古の歴史書「古事記」には、奈良時代、三十六代孝徳天皇がお妃に御子がないのを嘆かれ、有馬温泉に逗留されたところ間もなく、めでたくご懐妊され、お生まれになったのが有間皇子であると記されています。
人形筆は、この故事にちなみ、室町時代に神戸の伊助という筆職人が創作したのが始まりとされ、古くから有馬の名物として、子宝授与の縁起物として作られてきました。》
赤ちゃんの髪の毛で筆を作るというのは聞いたことがありましたが、それ以前のお話(?)だったのか……!
http://www.arimahude.com/
二葉亭四迷の『余が言文一致の由來』とかいう本に、こんな記述があるようです。
「べらぼうめ、南瓜畑に落こちた凧ぢやあるめえし、乙うひつからんだことを云ひなさんな」とか、「井戸の釣瓶ぢやあるめえし、上げたり下げたりして貰ふめえぜえ」とか、「紙幟(のぼり)の鍾馗といふもめツけへした中揚底で折がわりい」とか、乃至は「腹は北山しぐれ」の、「何で有馬の人形筆」のといつた類で、いかにも下品であるが、併しポエチカルだ。
ポエチカル……poetical[po'εt kl]:非常に空想的な,詩の,詩的な,詩人の……という意味らしい。結構、西洋かぶれ(古い!)な人だったのかしら? 「いかにも下品」と言われると……こんな風に威勢よく切り返せるのは頭のよい証拠みたいに思えるけどなぁ。地口とか楽しいのに……関心がありましたらひつじ雲便り443:言葉遊びをお読み下さいませ。
おやじギャグではありませんが、新聞の「こどもの詩」にこんなカワイイ作品がありました。確かにそうだね~大事に長く使ってね(´∇`)
『新しい年度』
田中陽奈子ちゃん(保育園に通う4才)
あたらしい ねんどになるの?
ならないよ いままでとおなじ
粘土をつかうんだよ
2016年05月23日
香雲便りNo.25:タラゴン~なぜか上海
香雲便りNo.12:平和なんだか…に書いた『ナイチンゲール』を読みはじめています。内容は第二次世界対戦が始まるという緊迫した状況なのに、興味は「タラゴンで風味づけ」のタラゴン……カネゴンの私としては気になる(笑)
タラゴンはウルトラ怪獣ではなくて(当たり前!)フランス料理には欠かせないハーブのひとつだそう。「食通のハーブ」と呼ばれ主にヨーロッパで広く使われていて、葉の形こそ違いますが、日本の「ヨモギ」の近縁種だそうです。ギリシャ時代から薬草としては知られていて、料理に使われるようになったのは中世以降。 マヨネーズやタルタルソースに小量加えると美味しくなるらしい……スーパーのスパイスコーナーにあるかしらん?
もうひとつ気になったのはモノではなく人物。エディス・キャベル(edith cavell)という女性。カナディアン・ロッキーの名峰の一つエディス・キャベル山の由来になった人だそうです。第一次世界大戦中、ベルギーのブリュッセルに駐屯していた英国の従軍看護婦で、戦場において敵味方の別なく、懇切な看護を行ったそう。当時中立国だったオランダに兵士を逃がすレジスタンスに関わったとしてドイツ軍が逮捕。軍法会議で死刑判決を受け、1915年10月に銃殺。あまり資料がないのか、詳しいことは検索してもイマイチでした。「赤十字の父」のアンリ・デュナン(1828年5月8日 - 1910年10月30日・赤十字社を創設し、1901年に第1回ノーベル平和賞を受賞)、「クリミアの天使」と呼ばれたナイチンゲールより知られていないのはスパイ容疑のせいでしょうか?
話はかわりますが『上海で驚いた事は!!』というブログ記事に本当にビックリ(゜д゜)しました。
http://himawari208.at.webry.info/201605/article_8.html
「なぜか上海」という井上陽水さんの歌がありますが
♪シリが見事な街です~ガキはどこへも行きます~ガマン出来ない様な気分で~ゆれていれば~そこが御不浄~
と替え歌を歌いたくなるような……。
♪海を越えたら上海
どんな未来も楽しんでおくれ
この「おしりまるだしっ子」たちの未来は、どんな未来なのかしら……日本はこんな風になってほしくないですね(;´д`)
タラゴンはウルトラ怪獣ではなくて(当たり前!)フランス料理には欠かせないハーブのひとつだそう。「食通のハーブ」と呼ばれ主にヨーロッパで広く使われていて、葉の形こそ違いますが、日本の「ヨモギ」の近縁種だそうです。ギリシャ時代から薬草としては知られていて、料理に使われるようになったのは中世以降。 マヨネーズやタルタルソースに小量加えると美味しくなるらしい……スーパーのスパイスコーナーにあるかしらん?
もうひとつ気になったのはモノではなく人物。エディス・キャベル(edith cavell)という女性。カナディアン・ロッキーの名峰の一つエディス・キャベル山の由来になった人だそうです。第一次世界大戦中、ベルギーのブリュッセルに駐屯していた英国の従軍看護婦で、戦場において敵味方の別なく、懇切な看護を行ったそう。当時中立国だったオランダに兵士を逃がすレジスタンスに関わったとしてドイツ軍が逮捕。軍法会議で死刑判決を受け、1915年10月に銃殺。あまり資料がないのか、詳しいことは検索してもイマイチでした。「赤十字の父」のアンリ・デュナン(1828年5月8日 - 1910年10月30日・赤十字社を創設し、1901年に第1回ノーベル平和賞を受賞)、「クリミアの天使」と呼ばれたナイチンゲールより知られていないのはスパイ容疑のせいでしょうか?
話はかわりますが『上海で驚いた事は!!』というブログ記事に本当にビックリ(゜д゜)しました。
http://himawari208.at.webry.info/201605/article_8.html
「なぜか上海」という井上陽水さんの歌がありますが
♪シリが見事な街です~ガキはどこへも行きます~ガマン出来ない様な気分で~ゆれていれば~そこが御不浄~
と替え歌を歌いたくなるような……。
♪海を越えたら上海
どんな未来も楽しんでおくれ
この「おしりまるだしっ子」たちの未来は、どんな未来なのかしら……日本はこんな風になってほしくないですね(;´д`)