2018年04月

2018年04月30日

清和雲便りNo.31:粗忽千万

TBSドラマ『ブラックペアン』を見ています~原作は読んでいないけれど(文字だけではわからない気がする)、竹内くんの顔が本当に小さいので「ニノってこんなに顔がデカい人だった?」と思ってしまう(笑)


あと1話でオペ室に思いっきりホコリが舞っていた! コレはなんとか処理できなかったのかな? あとニノが「オレなら出来る」と言った後に松岡修造さんの♪できる~できる~君ならできる~!という歌が脳内再生されて困る! (以前、コマーシャルで歌っていましたよね?)



昨日は「昭和の日」でした。平成の次はどうなる? 眞子さまの正式な婚約もどうなるのか、と気になりますが、紀子さまとご一緒に26日、上野の国立国会図書館国際子ども図書館で、展示会「オランダの金の筆と銀の筆―子どもの本の世界」を観賞されたという記事を読みました。 『イップとヤネケ』という絵本の話題も。オランダといえば、ミッフィーちゃんしか頭になかった。藤城清治さんの影絵のような絵本。


【イップとヤネケ】
http://mooieiland.com/jip-janneke/

【藤城清治美術館】
https://matome.naver.jp/m/odai/2136662947290778301



絵本ってインパクトがあるタイトルや表紙が多いですが『おしりつねり』もそのひとつですね。落語をもとにした話のようです。


【おしりつねり】
https://blog.goo.ne.jp/yumewo-miru/e/53a8ecaf9a5d6769b0b689a0afe79f34

【粗忽の使者】
http://sakamitisanpo.g.dgdg.jp/sokotunosisya.html



「粗忽千万」という言葉がありました。「千万」は語の下に添えて、このうえなくその程度が高いことを表すそうですが、「粗忽」の程度が高いって・・・「笑止千万」くらいしか聞いたことがなかった。「おっちょこちょい」とはまたビミョーに違うなぁ。品よく冷静に、って難しい。




明日から5月! またガンバりましょー(*´∀`*)ノ




rohengram799 at 09:47コメント(2) 
絵本・昔話・童話・法話 | アート・博物館・美術館

2018年04月29日

清和雲便りNo.30:配達

♪僕のアダナを 知ってるかい 朝刊太郎と 云うんだぜ~


この歌のタイトルは「新聞少年」なんですね。ずっと「朝刊太郎」だと思っていました。そして歌詞も♪オレの名前を知ってるかい 朝刊太郎というんだよ~ だと思っていました。まぁリアルタイムで聞いていた世代ではないので仕方ないですよね~(^o^;)



昔のアニメや芸能人などの再現ドラマでは、小学生が新聞配達をしている場面がありますが、今はダメなんですよね。私が小学生の頃はまだ配達や広告の折り込みをしている同級生がいたように記憶しているのだけれど(ウチは自営業だったので、ちょっと憧れだった)いつからダメになったんだろう?



高見順の詩『おれの期待』は、病床で新聞配達の姿を見て書かれた作品のようです。最後の一行、私も「空のお城通信」を(妄想と邪な心を込めて)ずっと配達できたらいいなと思います・・・ってGWとか関係なくブログは書いているし。「恐怖新聞」にならないように気をつけます・・・(;・ε・ )




『おれの期待』       


徹夜の仕事を終えて
外へおれが散歩に出ると
ほのぐらい街を
少年がひとり走っていた
ひとりで新聞配達をしているのだ


おれが少年だった頃から
新聞は少年が配達していた
昔のあの少年は今
なにを配達しているだろう
ほのぐらいこの世間で


なにかおれも配達しているつもりで
今日まで生きてきたのだが
人々の心になにかを配達するのが
おれの仕事なのだが
この少年のようにひたむきに
おれはなにを配達しているだろうか


お早う けなげな少年よ
君は確実に配達できるのだ
少年の君はそれを知らないで配達している
知らないから配達できるのか
配達できるときに配達しておくがいい
楽じゃない配達をしている君に
そんなことを言うのは残酷か


おれがそれを自分に言っては
おれはもうなにも配達できないみたいだ
おれもおれなりに配達をつづけたい
おれを待っていてくれる人々に
幸いその配達先は僅かだから
そうだ おれはおれの心を配達しよう


(高見順)






rohengram799 at 10:42コメント(2) 

2018年04月28日

清和雲便りNo.29:住所とギョウザ

南北首脳会談の話題と山口メンバー(この言い方ってねぇ)の謝罪、その他まわりの反応アレコレが同列ニュースになる日本、平和…なんだかなぁ、と思う土曜日。



昨晩は湘南餃子なるものをダンナさんが食べていました。餃子って宇都宮と浜松が争っていたような気がするけど、湘南も仲間入りしてるんですかね? 柏のホワイト餃子も( `・ω・´)ノ ヨロシクーと言いたくなる千葉県民です。未だに食べたことはないですが。



ドラマ『孤独のグルメ』、餃子のタレについての話がありましたね。私はまだこのような食べ方をしたことがないですが、好みはそれぞれでしょうね。

http://www.tv-tokyo.co.jp/kodokunogurume5/smp/backnumber/backnumber10.html


松重豊さん、餃子関連の番組にも抜擢(?)されてました(笑)


ギョウザロード http://rkb.jp/siberia/






さてさて、岩谷宏さんの『住所とギョウザ』という詩は、タイトルだけ読んだら、出前の話?なんて考えてしまいそうですが(こんなアホは私だけ?)とてもせつない作品。こういう時代があった。多分、今もどこかに。大人になり、餃子とビールを頼むたびに、似たようなことを思い出している人もたくさんいるんじゃないか。




『住所とギョウザ』


大森区馬込町東四ノ三〇
大森区馬込町東四ノ三〇
二度でも三度でも
腕章はめたおとなに答えた
迷子のおれ ちっちゃなつぶ
夕日が消えるすこし前に
坂の下からななめに
リイ君がのぼってきた
おれは上から降りて行った
ほそい目で はずかしそうに笑うから
おれはリイ君が好きだった
リイ君おれが好きだったか
夕日が消えたたそがれのなかで
おれたちは風や帆前船や
雪のふらない南洋のはなしした
そしたらみんなが走ってきて
綿あめのように集まって
飛行機みたいにみんな叫んだ
くさい くさい 朝鮮 くさい
おれすぐリイ君から離れて
口ぱくぱくさせて叫ぶふりした
くさい くさい 朝鮮 くさい


今それを思いだすたびに
おれは一皿五十円の
よなかのギョウザ屋に駈けこんで
なるたけいっぱいニンニク詰めてもらって
たべちまうんだ
二皿でも三皿でも
二皿でも三皿でも!



『恋愛詩集』 (小池昌代編著)より




rohengram799 at 09:00コメント(4) 
わたしにできること 

2018年04月27日

清和雲便りNo.28:くちびる💋ヌード

朝からゼクシィの新しいコマーシャルを見ると、なんだ、これは~映画の宣伝かと思った・・・となるのは歳をとったからでしょうか? やたらにキスしなくても・・・ 流す時間帯をもうちょっと考えて欲しいなぁ。すでにネットでも賛否両論だったようですね💦


https://search.yahoo.co.jp/amp/s/youpouch.com/2018/04/23/505542/amp/%3Fusqp%3Dmq331AQGCAEYASgB



横浜ヌード展ではロダンの彫刻『接吻』が美しく、 あの身体のラインとか、自分に欲しいですわ。艶かしくてステキです。


https://artexhibition.jp/nude2018/



フランツ・グリルパルツァーの『接吻』(1819)、グリルパルツァーというと『銀英伝』でワタクシのロイエンタールを裏切ったヤツの名前だ💢というのが先にきてしまうのですが(-_-;) 最後の「狂気の沙汰」とか最近きかない言葉だ、とへんなところに気持ちがいってしまいました。


手なら尊敬
額なら友情
頬なら厚意
唇なら愛情
瞼なら憧れ
掌なら懇願
腕と首なら欲望
さてそのほかは、みな狂気の沙汰




『接吻』というと、クリムトの絵も思い出しますね。私が最初にこの絵を見たのは10代半ばで、昼メロのタイトルバックになっていた記憶があります。不自然な格好ながら、キラキラした感じが「愛なのね~」と思ったかどうかはもうわかりません(笑)


http://t-jikkosan.jugem.jp/?eid=67


また『接吻の博物誌』(立木鷹志・著/青弓社・刊)という本もあるのですねぇ~これはまた興味深い! ダンテは「眼は恋の始まり、唇は恋の終わり」と言っているようです。恋の終わりは次の恋へのステップなのか、愛へと続く道になるのか?



♪くちびる 咲いたよ くちびる


今日は懐かしい高見知佳ちゃんの「唇ヌード」でもきいて過ごしましょうか~ 皆さま、よい週末を!





rohengram799 at 10:43コメント(4) 

2018年04月26日

For Beautiful Human Life 🎉✨😆✨🎊

『世界はうつくしいと』


うつくしいものの話をしよう。
いつからだろう。ふと気がつくと、
うつくしいということばを、ためらわず
口にすることを、誰もしなくなった。
そうしてわたしたちの会話は貧しくなった。
うつくしいものをうつくしいと言おう。



風の匂いはうつくしいと。渓谷の
石を伝わってゆく流れはうつくしいと。
午後の草に落ちている雲の影はうつくしいと。
遠くの低い山並みの静けさはうつくしいと。
きらめく川辺の光りはうつくしいと。
おおきな樹のある街の通りはうつくしいと。
行き交いの、なにげない挨拶はうつくしいと。
花々があって、奥行きのある路地はうつくしいと。
雨の日の、家々の屋根の色はうつくしいと。
太い枝を空いっぱいにひろげる
晩秋の古寺の、大銀杏はうつくしいと。
冬がくるまえの、曇り日の、
南天の、小さな朱い実はうつくしいと。
コムラサキの、実のむらさきはうつくしいと。
過ぎてゆく季節はうつくしいと。
きれいに老いてゆく人の姿はうつくしいと。



一体、ニュースとよばれる日々の破片が、
わたしたちの歴史と言うようなものだろうか。
あざやかな毎日こそ、わたしたちの価値だ。
うつくしいものをうつくしいと言おう。
幼い猫とあそぶ一刻はうつくしいと。
シュロの枝を燃やして、灰にして、撒く。
何ひとつ永遠なんてなく、いつか
すべて塵にかえるのだから、世界はうつくしいと。


(長田弘)






どこかで聞いたような記事タイトルですが、日付がかわり、ワタクシの誕生日になりました~(*’ω’ノノ゙☆パチパチ

一つ数が増えましたが、四捨五入すればまだ50歳(笑) これから自分にとってたくさんの「うつくしい」を見つけて、空のお城をお宝(ガラクタ?)でいっぱいにしたいです♪







rohengram799 at 00:00コメント(10) 
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