空のお城通信~オスカー戯言日記~

空のお城へようこそ゚+(人・∀・*)+。♪ 自分の好きなこと、興味のあることを書いています。

2018年08月

 『生ましめんかな』
  

こわれたビルディングの地下室の夜だった。

原子爆弾の負傷者たちは

ローソク1本ない暗い地下室を

うずめて、いっぱいだった。

生ぐさい血の匂い、死臭。

汗くさい人いきれ、うめきごえ

その中から不思議な声が聞こえて来た。

「赤ん坊が生まれる」と言うのだ。

この地獄の底のような地下室で

今、若い女が産気づいているのだ。

 

マッチ1本ないくらがりで

どうしたらいいのだろう

人々は自分の痛みを忘れて気づかった。

と、「私が産婆です。私が生ませましょう」

と言ったのは

さっきまでうめいていた重傷者だ。

かくてくらがりの地獄の底で

新しい生命は生まれた。

かくてあかつきを待たず産婆は血まみれのまま死んだ。

生ましめんかな

生ましめんかな

己が命捨つとも

 

 



栗原貞子さんのこの詩、吉永小百合さんが朗読をされたりして有名らしいのですが、私は知りませんでした。


http://www.hiroshimapeacemedia.jp/?p=50701



読売新聞6日朝刊一面の「編集手帳」に『今年は終戦の年、1945年とすべての日付と曜日が同じになる年』と書いてありました。前回は2007年、次は2029年だそうです。2029年、世界から核兵器の恐怖はなくなっているでしょうか?





毎日いろんな記念日がありますが、今日は私とダンナさんが婚姻届を提出した日です。「野球の日」だから忘れないはず」とダンナさんが選びました。また1日1日、1年を仲良くおだやかに過ごしていきたいと思っています(*´ω`*)


関東地方に台風が近づいているので、テレビでは八丈島、銚子やら大洗からの中継をしていますね。「安全に注意しています」とヘルメットにカッパ姿で大声で話す人たちを見ると「そこまでしなくてもいいです・・.・」な気持ちになります。



先月19日の読売新聞・ラジオ番組面に映像プロデューサーの吉川圭三さんの記事があったのですが、タイトルは「礼儀を忘れないプロの仕事を」でした。



・・・関西の友人が教えてくれたのだが、被災地で土砂除去などの支援活動を行っている最中、複数のテレビ局のクルーが突然来て「ちょっと、どいてくれる?」とさも当然のように作業を中断させ、その場所からどかしたという。・・・



なんでしょうね~自分たちが報道(と言っていいのか)するのは使命!だからジャマしないで!という態度に感じます。本当に必要な情報を正確に早くわかりやすく伝えて欲しいし、自分でも正しく必要な情報を得る努力をしないといけないですね。とにかく今はあらゆる面で情報があふれすぎて、自分に都合のいいことだけを見聞きしたくなるので、気をつけなくてはと思います。




話はかわりますが、眞子さまのフィアンセではない(^o^;)小室サンがNYに出発しましたね。騒動にやつれた感もなく、むしろお顔がまぁるくなっているように見えましたが・・・気のせい? 3年後、おふたりはどうなっているんでしょうね? 佳子さまが先にお嫁入りの可能性もあるのかしら? 皇室は、日本は、世界は、そして私はどうなっているのか?


どうぞよいゾロ目の1日を!




読売新聞地域版のよみうり文芸、毎週火曜日に県内の方々が投稿された短歌・俳句・川柳を読むのが楽しみですが、今日の瀬々倉卓治さんが秀逸に選んだ川柳に胸がつまってしまいました。



「ひとり居に同居が叶う母の骨」(市原市 ・角田寿雄さん)



【評】抱けば、膝に、母の温もりがつたわる。いっしょに棲めば、母の骨壺に、私の声がつたわる。骨になって、子の膝に戻れた母の声が、巡り逢った終の棲家で、孝行に触れる。いろいろ揉めたであろう母の骨壺がひとつ、でも、生んだどの子も、優しかった母の風景が、独り居の、息子の膝で蘇る。



瀬々倉さんの評はいつもひとつの作品のよう。実際、どんな出来事があったのかはわからないけれど。「寿雄」という名前はお母さんがつけたのかなぁ・・・母子でおだやかな時間を過ごしてほしいと思いました。


『この世界の片隅に』漫画は読んだけれど、アニメは見ていない私、ドラマはチラチラと見ていますが、みんなスマートでキレイ過ぎるのは仕方ないのでしょうか。「傘問答」(柿問答)時代だなぁと思いました。

https://happyrico.com/konogsekai-kakimondo/




天野忠さんの『しずかな夫婦』という詩があります。 『通勤電車で読む詩集』に収められていました。編著の小池昌代さんの

【 詩のなかに、いびきをかく女房が出てくる。いや女房とは、いびきをかく者のことを言うのだ。なにしろいつも、深く疲れているのだから。結婚とは実に面倒で厭なものだ。それは確かだが、この詩を読むと、そう言い切ることに躊躇を覚える。だが同時に、この一篇が生まれるために費やされた歳月を思って、誰もが言葉をなくすだろう。人を無口にさせる名詩だ。】

という言葉が深くしずかに心に沁みていきます。





 『しずかな夫婦 』 天野 忠


結婚よりも私は「夫婦」が好きだった。
とくにしずかな夫婦が好きだった。
結婚をひとまたぎして直ぐ
しずかな夫婦になれぬものかと思っていた。
おせっかいで心のあたたかな人がいて
私に結婚しろといった。
キモノの裾をパッパッと勇敢に蹴って歩く娘を連れて
ある日突然やってきた。
昼めし代わりにした東京ポテトの残りを新聞紙の上に置き
昨日入れたままの番茶にあわてて湯を注いだ。
下宿の鼻垂れ息子が窓から顔を出し
お見合いだ お見合いだ とはやして逃げた。
それから遠い電車道まで
初めての娘と私は ふわふわと歩いた。
-ニシンそばでもたべませんか と私は云った。
-ニシンはきらいです と娘は答えた。
そして私たちは結婚した。
おお そしていちばん感動したのは
いつもあの暗い部屋に私の帰ってくるころ
ポッと電灯の点いていることだった-
戦争がはじまってた。
祇園まつりの囃子がかすかに流れてくる晩
子供がうまれた。
次の子供がよだれを垂らしながらはい出したころ
徴用にとられた。便所で泣いた。
子供たちが手をかえ品をかえ病気をした。
ひもじさで口喧嘩も出来ず
女房はいびきをたててねた。
戦争は終った。
転々と職業をかえた。
ひもじさはつづいた。貯金はつかい果たした。
いつでも私たちはしずかな夫婦ではなかった。
貧乏と病気は律儀な奴で
年中私たちにへばりついてきた。
にもかかわらず
貧乏と病気が仲良く手助けして
私たちをにぎやかなそして相性でない夫婦にした。
子供たちは大きくなり(何をたべて育ったやら)
思い思いに デモクラチックに
遠くへ行ってしまった。
どこからか赤いチャンチャンコを呉れる年になって
夫婦はやっともとの二人になった。
三十年前夢見たしずかな夫婦ができ上がった。
-久しぶりに街へ出て と私は云った。
 ニシンそばでも喰ってこようか。
-ニシンそばは嫌いです。と
私の古い女房は答えた。

    

毎年7月6日には『サラダ記念日』にちなんだ短歌作品が新聞に載っていたような気がしたけれど、今年は見た記憶がないのでもうこの短歌募集はやめたのか?と1ヶ月も過ぎてから思ったワタクシですが、新聞読者投稿欄で秋田に「ポテサラ寒天」なる食べ物があることを知ってビックリしました!



【ポテサラ寒天】

https://search.yahoo.co.jp/amp/nlab.itmedia.co.jp/nl/amp/1706/18/news023.html%3Fusqp%3Dmq331AQECAEoAQ%253D%253D


あとこちらの赤いお寿司!! 赤い衝撃(笑) 前の記事から百恵ちゃんを引きずって♪レッド・センセーション~と歌いたくなったりして。実際は赤というよりピンク?

【赤寿司】

https://matome.naver.jp/m/odai/2141291537812441101/2141293435845458903



秋田音頭の秋田名物の中にはなかったような・・・と歌詞を検索してしまいました(^◇^)


【秋田音頭】

https://sp.uta-net.com/movie/95167/




台風の影響か、むし暑い月曜日です。皆さま、ムリなさいませんように。

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