2010年06月24日

第151号:書くことは生きること…『いのちの初夜』

今週一週間は『ハンセン病を正しく理解する週間』になっているようですが、あまり記事をみかけません。厚生省(現在の厚生労働省)等が1964(昭和39)年に制定しました。


1931(昭和6)年に、らい病(ハンセン病)の予防と患者の救済に深い関心をよせられていた、大正天皇の后・貞明皇后の誕生日(6月25日)を記念して「救らいの日」として始められました。ハンセン病に対する正しい知識の普及と、偏見の是正の運動をさらに広げるため、1964(昭和39)年から6月25日を含む一週間の「ハンセン病を正しく理解する週間」としています。「世界救らいの日」も1月29日に制定されています。


癩とは、ハンセン病の旧称で、らい菌の感染によって起こる慢性の感染症です。感染・発症すると、神経が侵され、皮膚症状が現れたり、病状が進むと身体に変形が生じてしまうこともあります。
癩菌の感染力は極めて弱く、感染しても発病するのは稀で、体力や抵抗力が非常に弱くなっている時に発病。また、以前は不治の病とされていましたが、現在は薬によって完治できる病気になっています。


その外見上の特徴や、遺伝病だと思われていたこと等により、患者に対する偏見は強く、「らい予防法」によって療養所に強制的に隔離されていました。この法律は1996(平成8)年にようやく廃止されましたが、まだまだ誤解や偏見が残っているのは事実です。


私がこの病気を知ったのは、おそらく「ブラック・ジャック」が最初で、その後、栗本薫さんの「グイン・サーガ」第1巻の記述に問題があるので訂正を…という記事を読み(訂正前の初版本を私は購入していました)、北條民雄さんの「いのちの初夜」にたどり着いたのだと思います。病気のために地獄のような生活に追い込まれ、死ぬことも出来ない自分を嘆き、悶える中で迎えた入院初日、それが彼の「いのちの初夜」でした。


以前、「文学のなかの看護」という本の紹介でも書きましたが(第71号)、差別や偏見のひどさの中で綴られた言葉の重みは、私の上っ面だけの文字の羅列とは比較してはいけない次元のものです。


現在、全国ハンセン病療養所入所者協議会の会長に就任されている、神(こう)美知宏(みちひろ)さん(76)のインタビュー記事の切り抜きから抜粋します。全国13の国立ハンセン病療養所にある「自治会」をまとめ、入所者約2400人の医療・介護水準を維持するため、国との交渉の先頭に立つ人です。
福岡県出身で、17歳で発病。高松市にある「大島青松園」に入所。10年目に完治をつげられますが、「自分だけ幸せになれない」と残り、待遇改善に努めました。多感な少年時代を療養所で過ごさねばならなかったことを思うと、言葉になりません。


らい予防法の廃止の遅れを謝罪に来たのは、現総理の菅直人(当時厚生相)でした。世間に知られたら家族が困るだろうと言われ、名乗れないでいた本名を名のることにし、「ハンセン病問題解決促進法」成立に尽力し、2008年「終生在園保障」を法に明記させました。入所者の平均年齢も80歳を越えたそうです。「憤りがエネルギー源だ。最後の一人まで安心して暮らせるよう、命がけで頑張る」という言葉で記事は締めくくられていました。


時には、自分の知らないところで、命がけで行動している人々のことを考えてみることも大事かなと思いました。





rohengram799 at 13:27コメント(2) 
医療・臓器移植・介護・福祉関係 | 空のお城図書館

コメント一覧

1. Posted by てんし   2010年06月24日 23:12
オスカーさんへ

こんばんは
ハンセン病患者の方々は、言葉では言い表せないくらいの苦しみがあったと思います。

一般の人達から隔離されて、辛い日々を過ごさなければならない現実の世界、生き地獄だったろうと思います。
2. Posted by オスカー   2010年06月25日 01:52
§てんし様
こんばんは。
他にも外見だけで差別的な扱いをうける病気がたくさんあると思います。
まずは知ることから始めたいです!

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