『桜』という詩が新聞コラムにありました。


さくらだという
春だという
一寸(ちょっと)、お待ち
どこかに
泣いている人もあろうに


山村暮鳥の詩だそうです。「いちめんのなのはな」の黄色いじゅうたんの光景の詩は有名ですが、こんなさくら色の言葉もあったのですね。


私たちは、泣いている人がどこにいるかを知っています。そしてその涙のわけも知っています。


いろんなブログめぐりをしていると、今年の桜にもう出逢うこともあります。


あの日から2週間です。
桜を楽しみにしていた方々がたくさんいたと思います。桜を大事に育てていた方々も…。そのたくさんの方々の分も桜を待ちわび、開花を喜び、美しさに感嘆の声をあげ…生かされた命に感謝するのは不謹慎とはいわれないでしょう。


昨日、店舗スタッフと震災についての取り組みもろもろ、疑問点などを(ちょっと詰問ぎみになってしまいましたが)きいたり話したりしました。エジキになってしまったスタッフには申し訳ない(笑)


驚いたのは「新聞を読まない」こと。自宅になくても店ではとっているのだし…なおかつ「支援物資を受付中」などと公言しているのだから、市内での受付状況など確認しているかと思ったらそれも無し。
具体的なことが文面になかったため、着古した衣類を持ってきた人がいたとか…はぁ。だから「何でも受付ます」なんて書いてはいけないんだって。持ってきた方もちょっと…ではありますが(泣)


こういう時くらい、新聞に目を通したら…と思います。1日中テレビニュースにくいついてはいられないのだから。


『新聞紙の詩(しんぶんしのし)』


きょう此頃(このごろ)の新聞紙をみろ
此の血みどろの活字をみろ、
目をみひらいて読め
これが世界の現象(ありさま)である、
これが今では人間の日日(にちにち)の生活となったのだ
これが人類の生活であるか
これが人間の仕事であるか
ああ残酷に巣くわれた人間種族
何という怖ろしい時代であろう
牙を鳴らして噛み合う
この呪われた人間をみろ
全世界に手に取るようにみせる一枚の新聞紙
その隅(すみ)から隅まで目をとおせ
活字の下をほじくってみろ
その何処(どこ)かに赭土(あかつち)の痩(や)せた穀物畠(こくもつばたけ)はないか
注意せよ
そしてその畝畝(うねうね)の間にしのびかくれて
世界のことなどは何も知らず
よしんばこれが人類の終焉(おわり)であればとて
貧しい農夫はわれと妻子のくう穀物を作らねばならない
そこに残った原始の時代
そこから再び世界は息をふきかえすのだ
おお黄金色(こがねいろ)した穀物畠の幻想(げんそう)
此の黄金色した幻想に実る希望(のぞみ)よ





同じく山村暮鳥の詩です。今、心に響きます。


今日も1日穏やかに過ごせますように。