明日はとっても冷えるとか……ケータイをカチカチいじっていないで、早く寝た方が身体にはいいのに『スーパーセンテナリアン(supercentenarian、super-centenarianとも)』なんて言葉を見つけてしまったら……( ̄▽ ̄;)


なんか新しい戦隊物のロボット名みたいな気もする……千手観音さまロボ!←罰当たりなヤツ(×_×) 正しい意味は「110歳以上の人物」のこと。センテナリアン(100歳以上の人物)1000人のうち約1人存在するそうです。



ところで、早稲田大学の創始者である大隈重信は「人生125歳」を説いていたそうで( ; ゜Д゜) 大隈公は「すべての動物は成熟期の5倍の生存力を持っている。」というドイツの生物学者が唱えていた説を信じていて、「人間の成熟期を25歳とすれば、その理屈から推して、その5倍、125歳まで生きられる。」と……。


当時の統計による日本人の平均は明治13年で男性36歳、女性38歳。大隈公が活躍していた頃、日本は先進国の中で最下位となる短命国でした。「日本が発展するためには、勇気、反抗力、活動、の三ヶ条を心掛けてほしい。」「強い精神力を保ち続けることこそが、長寿の秘訣であり、すなわち日本の発展につながる。」 生理上の寿命もさることながら「精神の力が体力に克つ(勝つ)」「肉体を支配する精神、例えば肉体が健全であっても、勇気のない者は病気である」「意思の力の閃き(ひらめき)が絶えず五体を支配して、自己と言う精神が生々して来れば、必ず肉体はこれによって支って支配される。」
彼は日本の発展のためには、精神力の強い日本人が増えることが必要不可欠であり、日本が発展できれば自ずと長寿国となるはず……ともうわかっていたのですね。



今から125年前というと、1889年(明治22年)ですかね~パリ万国博覧会があった年です。「7月1日山梨県甲府に市制実施される」とありました。この年10月18日に大隈重信外相、暗殺未遂(玄洋社社員来島恒喜に襲われ負傷、条約改正中止)、12月24日には大隈重信外相、辞任(´;ω;`)



今年、宝塚歌劇団が創立100周年でいろんなイベントがありますが、125周年の時に私は75歳。今より自由になって、ヘソクリもたまって、毎日はムリでも月一回くらいは劇場に足を運べるようになるかしらん?


でも考えてみたら、ワタクシ、少ない観劇回数ではありますが、宝塚で何回も上演されている『風と共に去りぬ』も『ベルサイユのばら』も『エリザベート』も一回だけですが、ちゃんと劇場で生の舞台を観ているのですわ~よく考えてみたら、これはとっても幸せなことなのでは……「早稲田大学宝塚歌劇を愛する会」の会誌(でいいのかな?)『夢の花束』を買っていたことも思い出しました!


早稲田大学には入学出来なかったけれど(そもそも受験していない!)「125」という数字を通して、大隈公に近づけた気がします(^_^)-c<^_^;)



「怒るな、愚痴をこぼすな、過去を顧みるな、望みを将来に置け、人のために善をなせ」の5条を実践して、皆さま、一緒に「125歳」をめざしましょう(*´∀`)♪」