2016年08月05日

乗雲便りNo.5:越すに越されぬバカの壁(´;ω;`)

長男がYouTubeで『その時歴史が動いた』の西郷さんの回を見たらしく……『歴史ヒストリア』より音楽とかもこっちの方がいい~とか言っていました。そう言えばワタクシも『愛加那と西郷』(植松三十里)という本を買っていたわ(^。^;)

読んですぐに「針突」という言葉が出てきました。呼び方は島によって異なり、奄美大島ではハズキ、沖縄本島ではハジチなどと呼んでいたそうです。また刺青をする理由について、 琉球諸島では刺青を持たない女はあの世に行けないという永世の信仰があったようで、アイヌの人々も、全く同様な来世観を持っていたらしく、ほとんどすべての女性が刺青をしていたとか。

琉球諸島の針突は1899年(明治32年)に「入れ墨禁止令」が出されたあと、風俗改良運動が進展する中で、次第にその習性が消えていったようです。あ、私の好みで入れ墨ではなく刺青という漢字を使っています~入れ墨だとやっぱり罪人のイメージが(-o-;)

アイヌでは結婚する前12~16歳ぐらいの頃に、刺青をするのが習わしで、しないと周囲から一人前の女性と見なされず、結婚することも儀式へ参加することも許されなかったらしいです。『愛加那…』では以下のように書かれています。

「針突は奄美の女たちの刺青だ。初潮をみた証しに右手の甲に彫り、婚約がととのった段階で、左手に彫る。ひとりの男に操を誓うしるしだった。」
「山形や星などの、単純な組み合わせが多いが、身分が高い女ほど、凝った絵柄を彫る。だから針突の模様で、生まれ育ちまでわかる。」


ひとりの男に操を誓うしるし……ヤンキーが相手の名前を腕とかに彫っているのがうかんできましたわ。

針突を調べて満足してしまい、ページは少しも進まず読みかけのままになっているのですが、1859年、安政の大獄により奄美に潜居していた西郷の島妻(当時の薩摩藩の藩法[島妻制度]で島滞在中だけの妻)となったのが愛加那。以後約3年間を西郷と共に過ごし、菊次郎、菊草(後に菊子)の2人の子どもに恵まれました


息子とYouTubeで《その時歴史が動いた》の西南戦争の回を見ました。西郷さんが自害する場面だけは何かで読んで記憶にありましたが、西南戦争に至る経緯などはそうだったのか~と。『銀英伝』でアッテンボローが言っていた「人間は主義だの思想だののためには戦わないんだよ!主義や思想を体現した人のために戦うんだ。革命のために戦うのではなくて、革命家のために戦うんだ。」を思い出しました。西郷さんは志士たちの心情をくみ取り、決起したという感じですが。


♪雨は降る降る 人馬は濡れる 越すに越されぬ田原坂 右手に血刀 左手に手綱 馬上ゆたかな 美少年……は漫画で見て知っていましたが(“たばるざか”と読める!)ああいう場所だとは思いませんでした……急勾配だとばかり思っていた私はバカです……はずかしー!!

http://www.uraken.net/rail/travel-urabe137.html



本を読み終わったら、西郷隆盛会館に“ちぇすとー!!”と突撃できるでしょうか?……しないけど(^^;)(;^^)




追記 2023/08/08
【西郷どん妻は「アリカナ」だった 「愛加那」の読み、子孫の戸籍謄本に】
https://www.nishinippon.co.jp/sp/item/n/473537/




rohengram799 at 11:24コメント(10) 
わたしにできること 

コメント一覧

1. Posted by ミューちゃん   2016年08月05日 16:51
5 オスカーさん、こんにちは
刺青に関してはピアスと一緒で僕は、したくないんですけど、銭湯やプールに行くと「入れ墨禁止令」が未だに出てますね(笑)僕はファッション感覚だったら刺青のシールで充分だと思いますがね。明菜ちゃんの曲にTATOOて云う曲がありましたねこの時の明菜ちゃんは、超ミニスカートで歌ってましたっけ…
2. Posted by 見張り員   2016年08月05日 22:42
こんばんは
西郷さん…鹿児島…というと私は「薬丸自顕流」が浮かびます。沖縄戦で行方不明になった陸軍の薬丸兼教情報参謀は薬丸自顕流宗家の出身だったそうです。
以前靖国神社で奉納演武が行われたことがありました。
3. Posted by てんし   2016年08月06日 01:08
おはようございます😊

刺青は風俗習慣の中で、いろいろ意味があったのですね。

何だが刺青をすることイコール人生の深刻な決意、または入れ墨イコール非社会的な人みたいな、先入観がありましたが、日本の古来からのアイヌの人たちや沖縄の人たちの生活習慣の中に生きていたのですね。

私もオスカーさんの言われるように、『入れ墨』という表記でなくて『刺青』という漢字をあてるようにしたいと思います。

それぞれの地域や地方で、太古の昔から民俗信仰的な要素が多々あったのですね。

最近なかなかコメント出来ずに申し訳ありませんでした。
4. Posted by なう60   2016年08月06日 07:25
おはようございます。
「♪雨は降る降る 人馬は濡れる 越すに越されぬ田原坂 右手に血刀 左手に手綱 馬上ゆたかな 美少年」永遠に語り続かれそうです。
「田原坂」鹿児島港から沖縄へ船(フェリー)で行った時に立ち寄ったと思いますが「記憶が定かで」ありません(笑)
5. Posted by オスカー   2016年08月06日 09:00
§ミューちゃん様
外国の方々をたくさん迎えることになる東京五輪ですが、銭湯などでは刺青についての規制をどうするかまた考えないといけないでしょうね。ワンポイントだとシールとホンモノの区別がつきません(◎-◎;)
6. Posted by オスカー   2016年08月06日 09:13
§見張り員さま
Yahoo!知恵袋に《自分の曽祖父が言うには陸軍の薬丸兼教中佐が剣術において秀でていた、と生前よく語っていました。
薬丸自顕流で、沖縄戦でゲリラ戦をしていました。
出撃の際は必ず愛刀を持って出撃したらしいです。》とありました。たくさんの人たちのそれぞれの人生をすべて知ることは出来ませんが、名前を記憶しておくだけでもしたいと思いました。
7. Posted by オスカー   2016年08月06日 09:18
§てんし様
新聞記事で笑顔を拝見してから、てんし様がまた身近になりました。お忙しい中、コメントありがとうございます。 一概に刺青はよくない!と言えない歴史がありますね。和彫りはデザイン的にも美しいし技術も素晴らしいのだと思いますが、近くにいたらやっぱりコワイです
8. Posted by オスカー   2016年08月06日 09:23
§なう60様
人馬は陣羽(織)ではないかとか、歌詞も変更(?)されているようだ……と研究されている方々のブログなどにありました。二男は奄美大島、種子島のマラソン大会にも参加したことがありますが、私は九州に行ったことがありません(;^_^A
9. Posted by 猫ムスメ   2016年08月07日 06:11
西郷隆盛会館、一昨日も前を通りました(笑)。オスカーさん電話したんだよな~すげぇ! と毎回思い出します(≧▽≦)

愛加那の話は何かで読んだ気がします。名前のインパクトが強いですよね。菊草もそうですが、島独特の命名なんですかねぇ💡
10. Posted by オスカー   2016年08月07日 09:33
§猫ムスメ様
あの会館は本当にナゾです~夏休みの自由研究のフリしてまた電話したい衝動に駆られます(笑)
島暮らし、台風にいつも直撃されるイメージがあります。不自由もあるでしょうが、おおらかに育ちそう!

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