今日の読売新聞朝刊・読売歌壇で気になった作品があります。短歌そのものより評の方が・・・なんですが。
『売れ残る子猫を飽かず見つむる吾に「おまけしますよ」と店の女(ひと)いふ』(城南市・相原洋次さん)
小池光氏の評がこちら。
『猫大好きの人。ペットショップの子猫がかわいらしく離れられない。店員の「おまけしますよ」が猫らしくなくておもしろい。作者はきっと買ってしまったのであろう。』
私は「おまけしますよ」って、なんだよ、その言い方は~! ペットショップで働いていると、もう「いきもの」ではなくて完全に「うりもの」としてしか見ないのか!と憤っていたので、評の「おもしろい」という感想にビックリしてしまいました・・・おもしろいって思うものなの?
私にはとてつもなくかなしくせつない情景に思えたので、えーっ!となってしまいました。皆さまの印象・感想はいかがでしょうか?
『売れ残る子猫を飽かず見つむる吾に「おまけしますよ」と店の女(ひと)いふ』(城南市・相原洋次さん)
小池光氏の評がこちら。
『猫大好きの人。ペットショップの子猫がかわいらしく離れられない。店員の「おまけしますよ」が猫らしくなくておもしろい。作者はきっと買ってしまったのであろう。』
私は「おまけしますよ」って、なんだよ、その言い方は~! ペットショップで働いていると、もう「いきもの」ではなくて完全に「うりもの」としてしか見ないのか!と憤っていたので、評の「おもしろい」という感想にビックリしてしまいました・・・おもしろいって思うものなの?
私にはとてつもなくかなしくせつない情景に思えたので、えーっ!となってしまいました。皆さまの印象・感想はいかがでしょうか?
コメント
コメント一覧 (8)
作者の方も、その感じた違和感を一句にしたのだと思いますよ。
これはもう、評者の読解力不足? と言うかそれ以前の話だと思います。
ペットショップで生体販売をしてるのは日本だけだそうです。僕はダックスフンドを100円で売られていたのを見た事があるなぁ…
加齢とともに「ペットショップ」も
「動物園」「水族館」なくなって自然に生きて欲しいと思います。モルモットの色々な病菌を注射しての実験の映像に類するもの、即、テレビチャンネルを変換です。
「完全に「うりもの」としてしか見ないのか!と憤っていたので」同感です。
私も猫ムスメさんと同じ感想です。
詠まれた方は「おまけしますよ」といういいかたに非常に違和感を持ったに違いない!命に「おまけします」ってなんだかなあ…そしてそれを評して「面白い」ってのもどうかなあ?
なんだか命が軽く思われているようで私も不快です。
選者の小池さん、選ぶ作品もたまに何でこれ?というのがあるのですが、評に関してもスゴく違和感があるのが多く・・・投稿者はどう思ったか気になります。
フクロウって猛禽類だったと思うのですが、火事やら予期せぬ災害にあった時の対処はちゃんと考えているのかなと心配になります。 いきものに値段をつけるってかなり傲慢な行為ですよね(-_-;)
以前雑誌で化粧品に関するデータをとるために使われたウサギなどの写真を見たことがあります。愛玩動物とされるか実験動物に去れるか、野生で生きていた方がまだよかったのでは、と思うことも・・・供養はされているのでしょうけど。
エサやおもちゃをおまけにつけますよ、だったらわかるし値引きします、の方がまだマシだったかも・・・とあれから悶々と考えてしまいました。この店員さんは何回もこの言葉を口にしているのかしら・・・イヤですね。