2018年05月13日

若夏雲便りNo.15:努力

絲山秋子さんの『忘れられたワルツ』という短編集の中に「葬式とオーロラ」という作品があります。小学校時代の担任の先生のお葬式にいく話。「人間の努力は必ず報われる」と言われたことを思い出す主人公。そんなのきれいごとじゃないかと。「努力が報われるのだったら、ストーカーなんてものすごい努力してるぞ。」には、笑ってしまった。でも「最近になって先生の言うことにも一理あるような気がしてきたのだ。」



「外に向かっての努力や、外からの決定や評価を求める努力は得てして報われない。しかし勝ち負けを放棄して内向きになったとき、自分のための努力は実るんじゃないか。自分自身を認められるんじゃないか。経験値になるんじゃないか。意外なところで生きてくる。それが報われるという言葉の意味なんじゃないか。」(河出文庫・p69~70)



いとうせいこうさん『想像ラジオ』とも違う、震災を扱った7つの物語。時間が経過して「ふつう」に暮らしているつもりでも、やっぱり何かが違っている・・・そんな日常が描かれています。表題作は特にそれがあらわれているかもしれない。いとうせいこうさんの『想像ラジオ』とも違う作品。最後の「神と神田喜十郎」が一番好き。


「神は苦しんでいるひととともにある。しかし誰も助けない。誰も救わない。
ひとびとが求める救いというのは妄想でもあるんだが、妄想っていうのはやけに力があるんだよなー」 (p174)




絲山さんの文章はユーモアもあって、なんか、かなしいとか辛いとかいうよりも、自分の今までを振り返って、ふふっと笑って、顔をあげて前を向いてまた死ぬまで生きますかね~となる読後感。 吉村萬壱さんの解説もよかったです。



最後に・・・こたえはだれもわからない。だから生きていくんじゃないかな、自分なりに「いっしょうけんめい」今を明日を・・・と思った詩を書いておきます。




『いっしょうけんめい』(新川和江)


  いっしょうけんめい泳いだら
  いつか 魚になれますか
  尾ひれが生えて すいすいと
  沖まで泳いで ゆけますか

  いっしょうけんめい はばたいたら
  いつか 小鳥に なれますか
  つばさが生えて ゆうゆうと
  広いお空が とべますか

  いっしょうけんめい 背のびをしたら
  いつか ポプラに なれますか
  みどりの葉っぱを そよがせて
  風とおはなし できますか

  いっしょうけんめい 咲こうとしたら
  いつか お花に なれますか
  ひかりと水に 愛されて
  わたしもきれいに さけますか


この記事へのコメント

1. Posted by 猫ムスメ   2018年05月14日 19:02
中学時代、尾崎豊が好きでよく日記にも尾崎の歌詞を引用したり、あれこれ騒いでいた私(←いま考えるとイタ過ぎる)。
中学2年生の時の担任に「そんなの好きなのは今だけだよ。大人になったらなんであの時こんなの好きだったんだろうって考のこと思うわよ」と言われたのを思い出します(^^; 子供って、先生に言われたことを案外覚えてるんですよね…

ちなみに二十歳の成人式でこの先生に再会した私、「今も尾崎好きですよ!」と言ってやりました(笑)
2. Posted by オスカー   2018年05月15日 08:10
猫ムスメ様
先生ってなんであんなに私はなんでも知っているのよ!というたいどで生徒に接するんでしょうね~あまり威張っていると自分に自信がないんだろうな、って冷めた目でみてしまいます。中学時代に好きなものってずっと好きな方が多いと思うけどなぁ。

コメントする

名前
 
  絵文字
 
 
メッセージ

名前
メール
本文
記事検索
月別アーカイブ