絲山秋子さんの『忘れられたワルツ』という短編集の中に「葬式とオーロラ」という作品があります。小学校時代の担任の先生のお葬式にいく話。「人間の努力は必ず報われる」と言われたことを思い出す主人公。そんなのきれいごとじゃないかと。「努力が報われるのだったら、ストーカーなんてものすごい努力してるぞ。」には、笑ってしまった。でも「最近になって先生の言うことにも一理あるような気がしてきたのだ。」



「外に向かっての努力や、外からの決定や評価を求める努力は得てして報われない。しかし勝ち負けを放棄して内向きになったとき、自分のための努力は実るんじゃないか。自分自身を認められるんじゃないか。経験値になるんじゃないか。意外なところで生きてくる。それが報われるという言葉の意味なんじゃないか。」(河出文庫・p69~70)



いとうせいこうさん『想像ラジオ』とも違う、震災を扱った7つの物語。時間が経過して「ふつう」に暮らしているつもりでも、やっぱり何かが違っている・・・そんな日常が描かれています。表題作は特にそれがあらわれているかもしれない。いとうせいこうさんの『想像ラジオ』とも違う作品。最後の「神と神田喜十郎」が一番好き。


「神は苦しんでいるひととともにある。しかし誰も助けない。誰も救わない。
ひとびとが求める救いというのは妄想でもあるんだが、妄想っていうのはやけに力があるんだよなー」 (p174)




絲山さんの文章はユーモアもあって、なんか、かなしいとか辛いとかいうよりも、自分の今までを振り返って、ふふっと笑って、顔をあげて前を向いてまた死ぬまで生きますかね~となる読後感。 吉村萬壱さんの解説もよかったです。



最後に・・・こたえはだれもわからない。だから生きていくんじゃないかな、自分なりに「いっしょうけんめい」今を明日を・・・と思った詩を書いておきます。




『いっしょうけんめい』(新川和江)


  いっしょうけんめい泳いだら
  いつか 魚になれますか
  尾ひれが生えて すいすいと
  沖まで泳いで ゆけますか

  いっしょうけんめい はばたいたら
  いつか 小鳥に なれますか
  つばさが生えて ゆうゆうと
  広いお空が とべますか

  いっしょうけんめい 背のびをしたら
  いつか ポプラに なれますか
  みどりの葉っぱを そよがせて
  風とおはなし できますか

  いっしょうけんめい 咲こうとしたら
  いつか お花に なれますか
  ひかりと水に 愛されて
  わたしもきれいに さけますか