えびすめ
2016年08月19日
乗雲便りNo.18:墓標
ブログを書こうとしてもコメントを書こうとしても《ケータイ版管理画面とコメント機能終了のお知らせ》が必ず上部に表示されてウザい……ただでさえむし暑いのにイライラする……(-_-#)
テレビも新聞もオリンピック!ですが、メダルをとれても「金メダルじゃなくて申し訳ない」発言を聞くと『露営の歌』(1937年9月 作詞:藪内喜一郎;作曲:古関裕而)を思い出してしまう……。
♪勝って来るぞと 勇ましく 誓つて故郷(くに)を 出たからは 手柄(てがら)たてずに 死なれよか 進軍ラツパ 聞くたびに瞼(瞼)に浮かぶ 旗の波……
マラソンランナーだった増田明美さんがオリンピックに出た時の話で「非国民」と言われた……という記事を読んだのもあるかもしれませんが。でも自分がスポンサーで大金を出しているとか、毎回試合の応援に行っているとか、神仏に勝利祈願をしているとか……でなくて、急にオリンピックだからと過大な期待をかけて成績が奮わないと罵倒する人ってなんて下品、なんてゲスなんだろう、と思ってしまいます。必要以上にドラマを作り上げるメディアも不快ですけど。
昨日は山崎豊子さんの『暖簾』を読み終わりました。塩昆布が食べたくなりましたが(関連記事はコチラ→暮雲便りNo.30:ベーコン……部(^^;)(;^^))時代に合わせた商売の難しさ等を感じるのと同時に、やっぱり苦労して店をつくった祖父、それを継いだ父のこと、一緒に働いてきた母のことを思い返しました。実家には帰れませんが、たまにGoogleマップで実家近辺を見たりしています。
今日の読売新聞「編集手帳」(コラム)に長谷川櫂さんの俳句がありました。
『八月は一日一日が墓標かな』
今日は父の命日。「俳句の日」なので、気のきいた一句でも詠めればよいのですが、暑さにやられていつも以上にアタマが働きません……ということにしておきます(O.O;)(oo;) 1週間後の26日は祖父の命日。ふたりの命日が過ぎると秋だなぁ……と思います。
今日は二男が富士山に登っているはず……「おじいちゃんの命日なので頂上に着いたら空に向かって叫んで下さい(≧▽≦)!」とメールしたら「笑 お祈りするよ」と返事がきました~! 昔、富士山の美化運動のチラシとか絵葉書とか見たことがあるので、ある意味「慰霊登山」になるのかと思っています。私は親不孝な娘でしたが、その分を孫が補ってくれて有り難いことです←いいのか、それで( ̄0 ̄;)
8月も後半、皆さま、お身体にお気をつけてどうぞよい週末を(´ー`)ノ
テレビも新聞もオリンピック!ですが、メダルをとれても「金メダルじゃなくて申し訳ない」発言を聞くと『露営の歌』(1937年9月 作詞:藪内喜一郎;作曲:古関裕而)を思い出してしまう……。
♪勝って来るぞと 勇ましく 誓つて故郷(くに)を 出たからは 手柄(てがら)たてずに 死なれよか 進軍ラツパ 聞くたびに瞼(瞼)に浮かぶ 旗の波……
マラソンランナーだった増田明美さんがオリンピックに出た時の話で「非国民」と言われた……という記事を読んだのもあるかもしれませんが。でも自分がスポンサーで大金を出しているとか、毎回試合の応援に行っているとか、神仏に勝利祈願をしているとか……でなくて、急にオリンピックだからと過大な期待をかけて成績が奮わないと罵倒する人ってなんて下品、なんてゲスなんだろう、と思ってしまいます。必要以上にドラマを作り上げるメディアも不快ですけど。
昨日は山崎豊子さんの『暖簾』を読み終わりました。塩昆布が食べたくなりましたが(関連記事はコチラ→暮雲便りNo.30:ベーコン……部(^^;)(;^^))時代に合わせた商売の難しさ等を感じるのと同時に、やっぱり苦労して店をつくった祖父、それを継いだ父のこと、一緒に働いてきた母のことを思い返しました。実家には帰れませんが、たまにGoogleマップで実家近辺を見たりしています。
今日の読売新聞「編集手帳」(コラム)に長谷川櫂さんの俳句がありました。
『八月は一日一日が墓標かな』
今日は父の命日。「俳句の日」なので、気のきいた一句でも詠めればよいのですが、暑さにやられていつも以上にアタマが働きません……ということにしておきます(O.O;)(oo;) 1週間後の26日は祖父の命日。ふたりの命日が過ぎると秋だなぁ……と思います。
今日は二男が富士山に登っているはず……「おじいちゃんの命日なので頂上に着いたら空に向かって叫んで下さい(≧▽≦)!」とメールしたら「笑 お祈りするよ」と返事がきました~! 昔、富士山の美化運動のチラシとか絵葉書とか見たことがあるので、ある意味「慰霊登山」になるのかと思っています。私は親不孝な娘でしたが、その分を孫が補ってくれて有り難いことです←いいのか、それで( ̄0 ̄;)
8月も後半、皆さま、お身体にお気をつけてどうぞよい週末を(´ー`)ノ
rohengram799 at 10:54|この記事のURL│Comments(13)
2016年06月11日
閑雲便りNo.15:ピンクの……( 〃▽〃)
おはようございます\(・o・)/ 昨日は暑い1日でした~日差しが夏のようで……来週は梅雨空になるとか。体調管理が難しいです( ̄~ ̄;)
さてさて、閑雲便りNo.9:バナナと象でいただいたコメントから「スキャンティ~懐かしい言葉だ!!」と思いながら、具体的にはどんな下着なんだろう?とおやぢ根性全開で検索したところ、鴨居羊子(かもい・ようこ)さんという方が発明(?)されたとわかりました。私はピンク映画の宣伝としてエロい下着、スキャンダラスなパンツみたいな意味で作られた単語だと思っていたので、ビックリしました。
鴨居さんは1925(大正14)年2月、大阪府豊中市生まれ。1991(平成3)年3月18日、66歳で兵庫県西宮市の病院で亡くなっています。斬新な命名者であるだけでなく、ナイーブな絵を描いたり(弟さんは鴨居玲さんという洋画家・後述します)エッセイストも書いていてマルチな才能の持ち主だったようです。
昭和30年はじめといえば日本がやっと「戦後」から抜け出し、日本中の女性たちがパーマネントでウエーブを作り、かっちりかためた黒髪でかしこまっていた時代ですが、羊子はそんな黒髪をライオンのような金髪に染め上げていたそう。今東光(こん・とうこう)さんは羊子が立ち上げた下着メーカーの呼びかけ人になり、ヌードダンサーたちによる下着ショーを演出。
“えびすめ”でお馴染み(?)の山崎豊子さんは「鴨居羊子は昭和31年秋、いきなりスリップ、ガーター、パンティをひっさげ東京へ乗り込み、テアトル東京の舞台から七色のパンティを客席になげつけ、エレガントのお好きな東京人をあっといわせた」「お品が悪いとか露出狂だとかボロクソにやられても、話題になれば広告宣伝費に換算すると安いものやという彼女の算盤(そろばん)の持ち方はまさしく大阪の女の才覚である」と書いていたそうです。
羊子が創業した会社は「TUNIC」。『下着ぶんか論』(1958年)という彼女が初めて書いた本の中に、社名の由来が書かれています。
《私の頭はエジプトの昔にさかのぼって、人間がはじめて衣類を着たときの喜びを名前に求めた。そして「チュニック」という名前にぶち当たった。日本ではチュニック・コートという名前でしか知られていなかったけど、エジプト人が初めて着た貫頭服のことで、「衣服」のことであり、狭義では「下着」のことでもあった。チュニック! 可愛らしい発音でしかも大きな意味のある名前。キメタと私は一人で手をたたいた。》
『わたしは驢馬に乗って下着をうりにゆきたい』という本もあります。ピンクのガーター・ベルトや鴨居羊子──「そのひとの上にだけ天から降ってくる、美しくとりかえしがつかなく特別なできごと。」で彼女の魅力を堪能して下さい。こちらのブログで閑雲便りNo.13:胸の泉にに書いた塔さんのことを知りました。おやぢのエロ心…いえ好奇心がいろんな世界を見せてくれました。
弟の鴨居玲さん(1928年2月3日~1985年9月7日)についてはこちらをお読み下さい。金沢の方には馴染みのある画家でしょうか。
http://www2.plala.or.jp/Donna/camoy.htm
コメントをいただかなければ、全く知らずにいたことばかり……またコメントから学んだことを忘れないように書いていきたいと思います(´∇`)
さてさて、閑雲便りNo.9:バナナと象でいただいたコメントから「スキャンティ~懐かしい言葉だ!!」と思いながら、具体的にはどんな下着なんだろう?とおやぢ根性全開で検索したところ、鴨居羊子(かもい・ようこ)さんという方が発明(?)されたとわかりました。私はピンク映画の宣伝としてエロい下着、スキャンダラスなパンツみたいな意味で作られた単語だと思っていたので、ビックリしました。
鴨居さんは1925(大正14)年2月、大阪府豊中市生まれ。1991(平成3)年3月18日、66歳で兵庫県西宮市の病院で亡くなっています。斬新な命名者であるだけでなく、ナイーブな絵を描いたり(弟さんは鴨居玲さんという洋画家・後述します)エッセイストも書いていてマルチな才能の持ち主だったようです。
昭和30年はじめといえば日本がやっと「戦後」から抜け出し、日本中の女性たちがパーマネントでウエーブを作り、かっちりかためた黒髪でかしこまっていた時代ですが、羊子はそんな黒髪をライオンのような金髪に染め上げていたそう。今東光(こん・とうこう)さんは羊子が立ち上げた下着メーカーの呼びかけ人になり、ヌードダンサーたちによる下着ショーを演出。
“えびすめ”でお馴染み(?)の山崎豊子さんは「鴨居羊子は昭和31年秋、いきなりスリップ、ガーター、パンティをひっさげ東京へ乗り込み、テアトル東京の舞台から七色のパンティを客席になげつけ、エレガントのお好きな東京人をあっといわせた」「お品が悪いとか露出狂だとかボロクソにやられても、話題になれば広告宣伝費に換算すると安いものやという彼女の算盤(そろばん)の持ち方はまさしく大阪の女の才覚である」と書いていたそうです。
羊子が創業した会社は「TUNIC」。『下着ぶんか論』(1958年)という彼女が初めて書いた本の中に、社名の由来が書かれています。
《私の頭はエジプトの昔にさかのぼって、人間がはじめて衣類を着たときの喜びを名前に求めた。そして「チュニック」という名前にぶち当たった。日本ではチュニック・コートという名前でしか知られていなかったけど、エジプト人が初めて着た貫頭服のことで、「衣服」のことであり、狭義では「下着」のことでもあった。チュニック! 可愛らしい発音でしかも大きな意味のある名前。キメタと私は一人で手をたたいた。》
『わたしは驢馬に乗って下着をうりにゆきたい』という本もあります。ピンクのガーター・ベルトや鴨居羊子──「そのひとの上にだけ天から降ってくる、美しくとりかえしがつかなく特別なできごと。」で彼女の魅力を堪能して下さい。こちらのブログで閑雲便りNo.13:胸の泉にに書いた塔さんのことを知りました。おやぢのエロ心…いえ好奇心がいろんな世界を見せてくれました。
弟の鴨居玲さん(1928年2月3日~1985年9月7日)についてはこちらをお読み下さい。金沢の方には馴染みのある画家でしょうか。
http://www2.plala.or.jp/Donna/camoy.htm
コメントをいただかなければ、全く知らずにいたことばかり……またコメントから学んだことを忘れないように書いていきたいと思います(´∇`)
rohengram799 at 07:04|この記事のURL│Comments(2)
2016年04月27日
暮雲便りNo.30:ベーコン……部(^^;)(;^^)
オタ息子が買ってくれた井上荒野さんの『ベーコン』は全編に料理が絡んだ短編集です。一番最初は「ほうとう」でした(笑) なんていうのでしょう~登場人物みんなが相手に深く立ち入らないようにしている風に見せて、実は一番近い場所(心理的に)にいるような……今まで読んだことのない、なんとも不思議な感覚の話ばかりでした。
「煮こごり」は日曜日にいつもやって来た愛人が来ないわ、どうしたのかしら、と思っていたら、サファリランドで虎に襲われたというニュースが流れ、その人が待っていた男性だった(°Д°)……という……なぜそこにいたのか、自家用車から降りたのかは不明。謎過ぎるはじまりに、意外な展開……おっさん、他にも愛人がいましたっ! お子さまにはわからないだろうなぁ、というか、実力派の女優さんたちに舞台で演じてもらいたいかも。その場合はセットは限りなくシンプルにして照明なんかでうまく場面転換してほしい(笑)
「トナカイサラミ」も結構好きな作品なんですが、こちらも冒頭からハテナ(・_・?)なものが……デパ地下の老舗の佃煮屋で「えびすめを二百グラム」と言うのです。“えびすめ”ってナニ? あとから海老も注文しているから、エビの佃煮ではないことはたしかなので、エビ&スルメでもなさそうだし、以前調べた“えびすこ”とも関係なさそう……(゜゜;)
検索したらナゾの佃煮の正体は「昆布」の佃煮だとわかりました。昔むかしは、「ひろめ」や「えびすめ」と記述していたようです。「ひろめ」は幅が広い海藻の意味で「えびすめ」は蝦夷地の海藻を意味していたらしい。詳しくは“えびすめ”を販売している小倉屋山本さんのサイトをご覧下さいませ。
http://ogurayayamamoto.co.jp/know/history_kelp/
江戸時代に「こぶやあげこぶ」と声をかけて、揚げ昆布を売る物売りも市中を流して歩いていたという話は興味深いですね~『孤独のグルメ』江戸時代バージョンみたいな時代劇が見てみたくなりました。マンガとかでは結構みかけるんですが。
“えびすめ”を検索していてたどり着いたお店・小倉屋山本さんが『大地の子』や『白い巨塔』などを書いた小説家の山崎豊子さんの実家だと知ってビックリしました( ; ゜Д゜) そして1957年(昭和32年)に生家の昆布屋をモデルに、親子二代の商人を主人公として書いたのが『暖簾(のれん)』で、これで作家デビューしたそうです。
そうなんだ……で、早速買ってきちゃった(*´∀`)♪
新潮文庫なんですが、今年の3月で60刷!! スゴいです! ところでずっと気になっていたのですが「暖簾」という文字はナゼ「暖かい簾(すだれ)」なのか('_'?) もともと暖簾は禅宗の用語で、寒さを防ぐためにかけられた垂れ布を指していたようです。簾のすき間をおおって、暖めることから名付けられたそう。簾本体が発熱効果があるという意味ではなかった……(¨;) 「のんれん(「暖」は唐音で「のん」)」だったのが、転じて「のうれん」となり「のれん」に変化したそうです。
疑問がひとつ解決したし、また長くなってしまったので(^。^;)今日はこれにて失礼いたします。
「煮こごり」は日曜日にいつもやって来た愛人が来ないわ、どうしたのかしら、と思っていたら、サファリランドで虎に襲われたというニュースが流れ、その人が待っていた男性だった(°Д°)……という……なぜそこにいたのか、自家用車から降りたのかは不明。謎過ぎるはじまりに、意外な展開……おっさん、他にも愛人がいましたっ! お子さまにはわからないだろうなぁ、というか、実力派の女優さんたちに舞台で演じてもらいたいかも。その場合はセットは限りなくシンプルにして照明なんかでうまく場面転換してほしい(笑)
「トナカイサラミ」も結構好きな作品なんですが、こちらも冒頭からハテナ(・_・?)なものが……デパ地下の老舗の佃煮屋で「えびすめを二百グラム」と言うのです。“えびすめ”ってナニ? あとから海老も注文しているから、エビの佃煮ではないことはたしかなので、エビ&スルメでもなさそうだし、以前調べた“えびすこ”とも関係なさそう……(゜゜;)
検索したらナゾの佃煮の正体は「昆布」の佃煮だとわかりました。昔むかしは、「ひろめ」や「えびすめ」と記述していたようです。「ひろめ」は幅が広い海藻の意味で「えびすめ」は蝦夷地の海藻を意味していたらしい。詳しくは“えびすめ”を販売している小倉屋山本さんのサイトをご覧下さいませ。
http://ogurayayamamoto.co.jp/know/history_kelp/
江戸時代に「こぶやあげこぶ」と声をかけて、揚げ昆布を売る物売りも市中を流して歩いていたという話は興味深いですね~『孤独のグルメ』江戸時代バージョンみたいな時代劇が見てみたくなりました。マンガとかでは結構みかけるんですが。
“えびすめ”を検索していてたどり着いたお店・小倉屋山本さんが『大地の子』や『白い巨塔』などを書いた小説家の山崎豊子さんの実家だと知ってビックリしました( ; ゜Д゜) そして1957年(昭和32年)に生家の昆布屋をモデルに、親子二代の商人を主人公として書いたのが『暖簾(のれん)』で、これで作家デビューしたそうです。
そうなんだ……で、早速買ってきちゃった(*´∀`)♪
新潮文庫なんですが、今年の3月で60刷!! スゴいです! ところでずっと気になっていたのですが「暖簾」という文字はナゼ「暖かい簾(すだれ)」なのか('_'?) もともと暖簾は禅宗の用語で、寒さを防ぐためにかけられた垂れ布を指していたようです。簾のすき間をおおって、暖めることから名付けられたそう。簾本体が発熱効果があるという意味ではなかった……(¨;) 「のんれん(「暖」は唐音で「のん」)」だったのが、転じて「のうれん」となり「のれん」に変化したそうです。
疑問がひとつ解決したし、また長くなってしまったので(^。^;)今日はこれにて失礼いたします。
rohengram799 at 22:30|この記事のURL│Comments(8)