きみの友だち

2019年04月15日

春愁雲便りNo.13:友だち

おはようございます!


入学式や始業式が終わって、試行錯誤しながら新しい生活のリズムを整えている時期でしょうか? 今の学生さんも保護者の皆さんも自分が子どもの頃とは違って大変そう。英語の授業とか考えただけでクラクラしてしまう。先生たちも頼りなさそうに見えてしまう。教員が余っていると聞いたこともあるけれど、実際はどうなんだろう?





「友だちがいなくてつらいと言う友の口元にのぼりゆく抹茶ラテ」


メモしてあったけど、どこで見たのかなんで読んだのか、作者もわからなくて申し訳ないのだけれど………。「口元にのぼりゆく」とあるのでストローでほろ苦い抹茶ラテを飲んでからハァ〜とかため息をつくんでしょう。


この彼女(だと思う。男同士の会話じゃないよね?)が全面的に悪いとは思わない。なんだろう、なんか友だちの質というか、ここではこういう風に私と話してくれる友だちが欲しいんだよね、って感じなのかなと。違う高校に進学した中学時代の仲良しふたりがある程度 、新しい環境になれた頃に久しぶりに会った場面を想像しました。


このふたりの関係は、お互いに同じ意識の「友だち」ではないんだろうなぁ。少なくともこの言葉を口にした人は、話した相手は「自分の理想とする友だち」ではないのでしょう。相手を傷つけているなんて全く考えていないんだろうなぁ。自分のことでいっぱいで。聴いている方はそれを全部受け入れられるのだろーか?




この短歌を読んだ時に重松清さんの本にあったこの言葉を思い出しました。


「わたしは、一緒にいなくても寂しくない相手のこと、友だちって思うけど」(p212)



きみの友だち (新潮文庫) >> https://i.bookmeter.com/books/579357




大人になって読んでもキツいなぁ、って思うから今、この状況(情況)にある子どもたちはもっと息苦しくなってしまうんだろうな、と感じる本だったけど、この言葉は真実なんじゃないかな。 一緒にいない時に自然と「どうしているかな?」って思い出せる人がいるのは幸せだし、そういう誰かの存在になれていたらまた幸せなことでしょう。無理することなく、自然にこんな感情が出てくるのがよろこびでありましょう。





「本名は知らず付き合ふすみれ草」(森泉理文)


リアルなお付き合い、ネットの世界でのお付き合い、いろいろありますが、ある程度の距離感って大切ですよね。「友だち」という言葉で相手を縛ることなく、自分を縛ることもなく………おだやかに暮らしていきたいものです(*´ー`*)



明日は『ひぐらしに神様』を読んで思ったことなどを書いてみたいと思います。ではでは皆さま、今週も「ご安全に!」お過ごし下さいませ♪(o・ω・)ノ))





rohengram799 at 06:18コメント(6) 
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