ちょんまげ

2016年06月20日

閑雲便りNo.25:明治は遠くなりにけり

むし暑いですね。髪を切ろうかどうしようか、迷っています。あんまり短いのもイヤだし、中途半端な長さだとまとめられないし、パーマは全くかからないのでお金の無駄だし……( ̄~ ̄;)



髪の毛と言えば……を明治4年8月9日に「脱刀の許可」と共に「散髪の許可」も出されました。しかし、長年親しんできたチョンマゲをあっさりと簡単に切ることは出来なかった人が多いらしく、ある県ではチョンマゲのままの人に税を課せるなどして、散髪を励行したそうです(;゜∇゜)


当初は男性よりも女性のほうが好んで散髪たようで当時の新聞には「女子の断髪は見るに忍びず」(明治5年3月新聞雑誌)「婦女子の髪は従来通り」(明治5年4月新聞雑誌)などの記事がありました。そして政府から5年の4月「女子断髪禁止令」が出るほど……なんだ、そりゃ(´・ω・`)?って感じですね。あまりにも身勝手ですわ。


明治天皇は近代化を進めるにあたり率先して御自ら実行しなければいけないと、明治6年3月20日ご断髪なさったそうです。



明治にはいろんな禁止令が出ていたようですが、私が気になったのは『裸体禁止令』です(///∇///)←こんなウキウキ感はないですけど。


日本人は、和服を軽くひっかけるようにして着ていました。遠山の金さんみたいなイメージでしょうか? 当然、着物がはだけてしまいます。このような姿について、ペリーに随行した宣教師のサミュエル・ウェルズ・ウィリアムは「婦人達は胸を隠そうとはしないし、歩くたびに太腿まで覗かせる。男は男で、前をほんの半端なぼろで隠しただけで出歩き・・・」というように半ば蔑むような発言。「前をほんの半端なぼろで隠しただけ」というのはフンドシのことかと気になりますが、今回は置いといて(笑)


まぁ日本人にとっては当たり前のことでも、初めてこれを目にした西洋の方々はとても驚いたに違いありません(^。^;) 日本を「野蛮」と思われるのを嫌った明治政府は「裸体」の風俗を取り締まるようになります。明治元年、横浜を皮切りに、続いて明治4年に東京でも裸体禁止令が出され、その後全国に普及していったそうです。その流れの中で、混浴禁止令とかも出たりして……なんか混乱した時代だ(-_-;)


高村光太郎は『回想録』に「祖父は丁髷(ちょんまげ)をつけて、夏など褌一つで歩いていたのを覚えている。その頃に裸体禁止令が出て、お巡りさんが「御隠居さん、もう裸では歩けなくなったのだよ」とやかましい。そしたら着物を着てやろうというので蚊帳(かや)で着物をこしらえ素透(すどお)しでよく見えるのに平気で交交番の前を歩いていた」と書いています。また
「祖父は体躯(たいく)は小さかったが、声が莫迦(ばか)に大きく、怒鳴ると皆が慴伏(しょうふく)した。中島兼吉と言い、後に兼松と改めたが、「小兼(ちいかね)さん」と呼ばれていて、小兼さんと言えば浅草では偉いものだったらしい。
そうで……青空文庫で祖母や父のことなども読めます。興味のある方は検索してみて下さい。



上海にディズニーランドが出来て、中国人のマナーの悪さとかニュースになっていますが「昔の日本もそうだった」って言う文化人(?)の方々がいますが、江戸から明治になった頃と同じくらいの混乱ぶりなのかしら、それとも戦後?とか考えながら○○禁止令ラッシュにの話を読みました。



明日は夏至ですね。皆さまは何を食べるのかしら? どうぞお身体に気をつけて下さいませ。





rohengram799 at 20:50|この記事のURLComments(15)TrackBack(0)
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