イタコ

2010年07月21日

第196号:恐山と言えば…『恐怖新聞』?

『恐山』ときくと、お寺というイメージがうかばないのですが、寺名は「恐山菩提寺」 本尊は「延命地蔵菩薩」曹洞宗のお寺があるのですね。

開山時期は、毎年5月1日~10月31日。当たり前ですが、東北だから年中開山なわけない( ̄0 ̄;) 開門時間も午前6時~午後6時。ただし、大祭典・秋祭典期間は別設になります。
恐山事務所:0175-22-3825


日本三大霊山(恐山、高野山、比叡山)、日本三大霊場(恐山、白山、立山)、日本三大霊地(恐山、立山、川原毛)の一つで、862年に「慈覚大師円仁」が開山したと言われています。今から約1200年前、円仁が唐の五台山で 修行中のある夜、一人の聖者が夢枕に立ち「汝、国に帰り、東方行程30余日の所に行けば霊峰がある。そこに地蔵尊一体を刻み、その地に仏道を広めよ。」と告げたそうな。そのお告げに従って帰国し、諸国を行脚したところ、ついに夢のお告げと符合する場所、この恐山にたどり着いたと言われています。

大師は、ここで地蔵尊一体を刻み、地蔵経を収め、今日の恐山信仰のもとを開きました。「恐山」と呼ばれる由来は、諸説あるようですが、ひとつは、このあたりの山中で修業をしていた慈覚大師が、飛んできた一羽の鵜によって導かれ、蓮華八葉と呼ばれる外輪山に囲まれひっそりと三途川へその湖水を流し込む湖を発見。大師は湖を「宇曽利湖(うそりこ)」と名付け、それで「ウソレヤマ」と呼ぶようになり、のちに転じて「恐山」となったという説。

他の説としては、青森県によくあるアイヌ語由来説です。アイヌ語の「ウッショロ(湾)」とか「ウサツオロヌブリ(灰の多く降る山)」から来ているというもの。

恐山が“死者の魂が集まる山”とされるようになったのは、戦後マスコミが「死霊の山」といったイメージを煽るようになったからで、もともとは下北地方には、現世利益を願う「地蔵講」という習わしがあったそうです。季節ごとに恐山に詣でて、地蔵菩薩に大漁や五穀豊穣、家内安全、無病息災といった御利益を願っていました。


今ちょうど大祭典(毎年7月20日~24日)が行われていますね。毎年7月22日には古式ゆかしい上山式が、7月22~24日は大般若祈祷、7月20~24日には大施餓鬼法要が行われます。ニュースでもやっていましたが、秋祭りもあり、秋詣り(御礼詣り)といわれ、大施餓鬼法要、大般若祈祷が行われるそうです。

また、イタコの口寄せが行われるのもこの時。恐山大祭には、たくさんのイタコが店を開くそうですが、イタコがたくさん集まるようになったのもそんなに古いことではなく、昭和30年代からだそうです。現在もイタコは県内各地に健在ですが、その数は年々減り、現在は十数名しかいないとか。


イタコは、もともとそういう能力のある人なのかと思っていましたが、苦しい修行を経て、亡き人の言葉を伝えたり、占い・予言を行うなど特別な能力を身につけられるのですね。そのほとんどが、生まれながらか幼くして盲目・半盲目になってしまった女性で、生活の糧のために師匠のイタコへ弟子入りをするといいますが、後継者がほとんどないそうです。

「仏降ろし」とは、先祖の霊や死んでしまった友人、知人、肉親など死者の世界 (あの世)と現世(この世)に生きる人の仲立ちとなって、今は亡き人の意志を 伝達するもので「神降ろし」は神の言葉や意志を語るもの、 占い・予言のようなものだそう。

私が「恐山」という名前をしったのは、『恐怖新聞』という漫画で、当時お風呂が少し離れた場所にあり、怖かった思い出があります。何も知らなければ、ただ怖いイメージしかなかったから、今回ちょっとお勉強して良かったです、ハイ!






rohengram799 at 15:00|この記事のURLComments(0)
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