イナゴ

2018年11月30日

竜潜雲便りNo.10:駑馬十駕(どばじゅうが)

ラジオから「どばじゅうが」という言葉が聞こえてきました。脳内では「土場十蛾」という、一面の菜の花ならぬ一面の蛾という、イナゴの大群と同じいえそれ以上のキモい画像が浮かんでしまいましたが、漢字は「駑馬十駕」です。「駑」は、鈍い・愚かといった意味をあらわし、「駕」は、乗り物やそれを操る事をあらわすそうです。


中国・戦国時代の思想家・荀子の著した書物・荀子の中で使われている言葉で、直訳では「鈍い馬が十日駈けて行ける距離」という意味に。全体の意味としては「駿馬が一日で走る距離も、駄馬でも十日間駈ければ行く事ができるとなり、転じて、才能の貧なる者も努力次第で多才能な人間に並ぶ事ができる」。


隠れた意味として「駿馬も目的なく闇雲に駆け回っていては何の役にも立たたず、駑馬がゆっくりでも一歩々々真っすぐに目的地に向かう方が早く着く」というのもあるようですが。




「第68回 全国小・中学校作文コンクール」の受賞作品の3作品が昨日の読売新聞に載っていました。この
作文コンクールは、ノーベル賞作家・川端康成や童話作家・坪田譲治らを審査員に迎え、1951年にスタート。国内外から3万点を超える応募がある、日本一の作文コンクールで、テーマや枚数に制限がないことが最大の特色だそうです。私が印象に残ったのはコチラの作品。特に最後の文章がよかった。


http://kyoiku.yomiuri.co.jp/torikumi/sakubun/contents/682.php




あまり更新できないまま、11月も終わりになってしまいました。来月もこの「竜潜雲便り」のままでマイペース更新をしていきたいと思います。今月もお付き合いいただき、ありがとうございました。また来月もどうぞよろしくお願いいたしますヾ(´ー`)ノ





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2016年10月09日

徳雲便りNo.6:100年前の女の子

編集者である船曳由美さんの母上の人生を綴った『100年前の女の子』を読みました。


明治42年、上州のからっ風が吹く小さな村に、雷鳴とともに生まれたテイはカミナリさまの申し子と言われます。顔は男の子のようでかわいさはちょっと不足気味……そして強情。小言を言われても歯をくいしばり、涙をいっぱいためて上目遣いで見るような子どもです。生まれついてのものもあるかもしれませんが、生い立ちがさらにそれを鍛え上げたのでしょう。


テイの母親は姑ヤスと小姑があまりになんでも出来る人だったので「自分はダメな人間だ」と自信をなくしたのか、里帰り出産後になんと!赤ん坊だけを寺崎家に送り届けて、自分はそのまま実家に……おいおい、あなたは母親でしょ!とビックリ!特に意地悪されたわけでもなさそうなのに……(ーー;) その後、あちこちに預けられたり養子に出されたり……と苦労がありましたが、数えで7才の時に寺崎家に戻ることが出来ました。


5月の茶摘み、井戸替え(井戸の底をさらう)、田植え、絹織物用の蚕の世話、学校帰りに友達とイナゴを取って持ち帰り、それを炒めて味付けしてみんなで食べたり。田んぼの草取りもして、お盆さんがやってきて、お月見にお彼岸、栗の山分け、十日夜(トオカンヤ:子供たちが親に作ってもらった藁鉄砲で村中の家の庭先を叩くと、その勢いで大根が土の上から青首を出すので抜くのが楽になると言われている)、稲刈りにコウシン様(無事稲刈りが終わりました、これで年を越せますと感謝しながら新米を食べたり宴会をする)、家のすす払いと餅つき。家中の神様に鏡餅をお供えして、お正月の準備(門松・しめ縄作り、祝箸も作る)、初風呂、ぼんぼ焼き(お正月様が山に帰る日。正月飾りを燃やす。ウチの田舎はどんどん焼きと言ってました)、お嫁さんたちの里帰り、節分、初午(馬は人間よりも神様に近い動物と言われた。この日は馬を飾りたて馬の無事息災とその年の五穀豊穣を祈願する)、雛の節句、草餅作り、お花見……ああ、日本人はこうやって神様に、自然に感謝して生きてきたんだなぁ、と思える場面がたくさん! 今は簡略化されて、なんのための行事かわからなくなっているようなものも、そうだったのか!と納得したり……。


またヤスばあさんがテイに言い聞かせる話も「そうだよ、昔はお金持ちとそうでない人の差がはっきりしていたけれど、エライ人はエライなりに気遣いや思いやりがあった」と読みながら思いました。


……物ごいのことは「お乞食さま」と「お」のうえにさらに「さま」を付けて呼ばれた。何か理由があって神さまが身をやつして村をたずねているのかもしれない、どんなに汚い身なりをしている者でもバカにしてはいけない、そうヤスばあさんは教える。……


……栗が実るとみんなで拾って大釜で茹で上げる。その栗をおばあさんが家族の人数分の山にわけ、じゃんけんで勝ったものから好きな山を選んでいく。後妻のイワかあさんが子ども思いで(3人の妹が出来ました)自分の分を少しやろうとすると、ヤスばあさんはだめだと遮る。おとなも子どもも、女も男も同じ量の栗をもらって楽しむのが栗わけの意味なのだ、だから自分で食べなさい。……



後半はテイが女学校に進み、東京に出てからの話になります。文庫には足利高等女学校の制服姿(袴になぜかベルト!)のテイや家族写真(妹たちもかわいい! ヤスとイワの写真もある)また新渡戸稲造校長の女子経済専門学校での写真や、イケメンなダンナさまとの結婚時の写真もあります。テイは強くたくましくまた賢い女性だったなぁと思いました。解説は『小さいおうち』の中島京子さんです。



本当にどの文章も抜粋したいものばかり……出来上がったお餅をお供えする場面で「神様には、日本古来の神様と渡来の神様とあって、海の向こうから来たえびす様とかだるま様のは小さいおもちだ。そんなこと、誰が決めたのであろうか……。」とか、たくさんお餅をついたけれどいろんな神様にお供えするので人間の分がなくなるのではと心配したり(笑) また神様だけでなく「鍬や鉈や鎌などの農具にももちろん供える。」のです。ピカピカに磨きあげられて、刃先を上にして並べられた父親の、母親の、祖母の、男衆たちのそれぞれの道具たち。「西側の板壁のすき間からさしこむ夕日に刃先が銀色に光り、納屋は物音ひとつせず、鍬や鉈は静かに眠っているように見える。テイにはどんな神様よりもいちばんありがたく思えて、農具の前で深々と頭を下げたものだった。」……この文章を読んだ時に、第520号:私の心はヴァイオリンで書きましたが、千住真理子さんの過去のヴァイオリンたちに「長いこと、ご苦労様でした。ほんとうにありがとうございました」と、両手を膝について、深々と頭を下げた、兄の博さんを思い出しました。


今の子どもたちには、この本に描かれている田舎の風景や人付き合いなどの雰囲気が伝わらないかもしれません。でもなんとなく、知らないけれどなんか懐かしい気持ちになれるものがあるんじゃないかなと思います。心の豊かさというのかな。


残念ながら、テイさんは101歳で亡くなってしまいました。最期まで産みの母親を求めていたテイさん……それはとても切ないことですが、本を通してテイさんに出逢えたことに感謝です。本を教えて下さった、のざわ様、ありがとうございます!





rohengram799 at 01:16|PermalinkComments(11)
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