クジラの葬式

2014年10月08日

恋雲便りNo.6:イキシテル

今夜は満月、皆既月食も見られそうですね。


この前読んだ『0.5ミリ』の同時収録作品が『クジラの葬式』というタイトルで、こちらも他人との関わり、看取りについて考えさせられる作品でした。最後はこんな文章です。



私の知らない時空を生き、時代を駆け抜けてきた人。
あなたという生きる歴史の、最後の事件になりたい。
静かにその火が消えるのを、そっと寄り添い、
その灯火の最期の目撃者になりたい。
あなたは息を引き取って、結局全て持って行ってしまうなら、
最後に吐いた息だけは、どうか私に引き取らせて下さい。



駅に『R25』という無料雑誌が置いてあって、巻末にエッセイが載っていて、誰の時かは忘れてしまいましたが、「お前は今何してるの?」と聞かれて「息してる」と言った友だちの話がありました。笑い話になりそうですが「息してる」ってスゴいことなんじゃ…みたいな事が書かれていた気がします。


「息を引き取りました」って何回も当たり前のようにドラマや小説、現実の中で見聞きしてきましたが、婉曲表現としてしかとらえていなかったことに気づいて衝撃をうけたものです。


「息」について思い出すものはたくさんあります。河野裕子さんの『手をのべてあなたとあなたに触れたきに息が足りないこの世の息が』高村光太郎『レモン哀歌』の一節「それからひと時 昔山巓でしたやうな深呼吸を一つして あなたの機関はそれなり止まつた」そして何年か前の大晦日に記事にした斎藤ひとりさんのこの詩。



『生きとおし』


人は生きとおしなんだよ。魂は死なないんだ。
死ぬ時に、スーッって息を吸って、その息をずっともってて次に生まれる時に、おぎゃーって言って、最初に吐いて、命をつなげて生きていくんだって。
大切に、大切に、つないできてくれた命に、今世、出逢えてしあわせです。
あなたに出逢えてしあわせです。



両親がいなくなり実家にも帰り難くなり(これは私の気持ちの問題なんですが)自分の家族のこととかを考えながらヒンヤリした空気の中、とぼとぼ帰る日が続いてなんだかふしゅ~んと凹みがち(´;ω;`)……寝付きは相変わらずよいのですが、夢ばっかりみて熟睡感がなく、泣きたくなるワタクシなのです←全くカワイクないですが。智恵子の死から11年後に光太郎が書いたこの詩のようにおだやかに語りかけることができたらなぁ、と思いつつ、また、ため息をついてしまうワタクシなのでした。




『案内』


三畳あれば寝られますね。
これが小屋。
これが井戸。
山の水は山の空気のように美味。
あの畑が三畝(うね)、
今はキャベツの全盛です。
ここの疎林(そりん)がヤツカの並木で、
小屋のまわりは栗と松。
坂を登るとここが見晴らし、
展望二十里南にひらけて
左が北上山系、
右が奥羽国境山脈、
まん中の平野を北上川が縦に流れて、
あの霞んでいる突き当りの辺が
金華山(きんかざん)沖ということでせう。
智恵さん気に入りましたか、好きですか。
後ろの山つづきが毒が森。
そこにはカモシカも来るし熊も出ます。
智恵さん こういうところ好きでせう。



*ヤツカはハンノキのことらしいです。ケルト神話に、ハンノキ(種は不明)はよく登場し、4月の守護樹、勇気・慈愛・寛容を表すそうです。またハンノキは「妖精の国へ続く道を守る木」ともされているとか……アイルランドに行ってみたいですわ。






rohengram799 at 13:03コメント(6) 
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