ハンセン病

2015年04月07日

桜雲便りNo.7:「あん」の火曜日

ヒコーキ雲便りNo.29:「アン」な土曜日では坂木司さんの『和菓子のアン』についての感想などを書きましたが、今日はまたひと味違う、ほんのり桜色のしょっぱいドリアン助川さんの『あん』です。樹木希林さんが主演で来月映画が公開になるので、内容をなんとなく知っている方もいるかしらん?


線路沿いから一本路地を抜けたところにある小さなどら焼き店「どら春」。千太郎が日がな一日鉄板に向かう店先に、バイトの求人をみてやってきたのは70歳を過ぎた手の不自由な女性・吉井徳江だった。年齢的にアウト!なんですが、彼女のお手製のあんが絶品で、時給も200円でかまわないと言われ……雇われ店長の千太郎と老女の店舗再生物語(映画『タンポポ』みたいな)……と思いきや……。


徳江があんを作るようになると「どら春」の売り上げは伸び始め、初めての完売御礼も出るように(^o^)v しかし、ある日を境に客が減ってしまうのです。指が折れ曲がり、左右の目の大きさの違う老女・徳江が、ハンセン病患者だという噂が原因でした。たしかに彼女は難病の療養施設に暮らしていました。何十年も前に彼女の病気は完治し、ハンセン病は現代医療で簡単に治癒するものとなり、施設に暮らすすべての人が快復者です。ですが、長い隔離の歴史を生きた徳江たち元患者は、今も偏見から自由ではなかったのです。



第151号:書くことは生きること…『いのちの初夜』ヒコーキ雲便りNo.49:再びの命などで少し書いてきましたが、実際身近にそういう立場の方々に接したことのない私……正直、その場所に足を運ぶとなったらためらってしまうと思います。映像や写真だけではわからない、五感を刺激するものが絶対あるでしょうから。


後半は徳江さんの過去がわかります。病気とわかった時のこと、同じ病のダンナさんが強制的な断種をさせら子どもをもてなかったこと、家族のこと、裁判後のことなど、同じ園で生活している人たちのことなど……。ヘタレな千太郎に伝えてくれたたくさんのこと……最後はやっぱり涙が出ちゃう(´;ω;`)



桜の季節に始まり、また桜の季節に終わる語…………読みやすいのに、中身は「あん」がギッシリ!でどら焼きをしみじみ味わいながら食べたくなる一冊です。『多摩川物語』もよかったけれど、この本もよかった~映画も希林さんに頼りきりでなくて、原作の良さがきちんと表現されていたらいいなぁ。



今日は肌寒いになりそうです。皆さま、あったかいモノに囲まれた1日になりますように(*´∀`)ノ





rohengram799 at 09:53コメント(10) 

2013年06月01日

ヒコーキ雲便りNo.49:再びの命

6月になりました~土曜日だからでしょうか、夏服の女学生になかなかお目にかかる機会がなく…残念(--;)とおやぢモードのワタクシですが、ガチャガチャで「素焼きなめこ」と「化石なめこ」ストラップを手に入れ「んふんふ♪」とお子さまモードでもあります。ところで、化石といえば新聞に<村越化石>という名前がありました。


『再びの命涼しく座しゐたり』(村越化石)


くちなしの白い花の写真と一緒に載っていた俳句です。村越化石さんはハンセン病の患者でした。現在は群馬県・草津に近い「楽泉園」に暮らしていらっしゃいます。卒寿を迎えるにあたり過去の句集からの自選句と最近の作品を一冊にまとめた『籠枕』が出版されているそうです。


療養中に俳句をつくりはじめ、良い作品が出来て雑誌などに掲載されるにしても本名で名乗るわけにもいかない。故郷にも戻れないし、社会復帰も出来ない。もう死んだようなものだが、化石のように自分の俳句だけはしっかり残したい…そういう気持ちから化石と名乗ったそうです。


「再びの命」は燃え上がる熱い炎ではなく涼しくある……長い闘病生活に社会の偏見、心身ともに辛く苦しい体験をし、乗り越えた人の言葉は重いですね。私も気持ちにカビを生やさないように、今月もたくさんこんな素晴らしい言葉や出来事に出逢えるよう、アンテナを張り巡らせたいと思いますp(^^)q


<村越化石さん>
http://www.fujieda.gr.jp/contents/NOD97/428745.html



*2014年3月8日に老衰のため91歳で逝去されました。





rohengram799 at 22:50コメント(5) 

2010年06月24日

第151号:書くことは生きること…『いのちの初夜』

今週一週間は『ハンセン病を正しく理解する週間』になっているようですが、あまり記事をみかけません。厚生省(現在の厚生労働省)等が1964(昭和39)年に制定しました。


1931(昭和6)年に、らい病(ハンセン病)の予防と患者の救済に深い関心をよせられていた、大正天皇の后・貞明皇后の誕生日(6月25日)を記念して「救らいの日」として始められました。ハンセン病に対する正しい知識の普及と、偏見の是正の運動をさらに広げるため、1964(昭和39)年から6月25日を含む一週間の「ハンセン病を正しく理解する週間」としています。「世界救らいの日」も1月29日に制定されています。


癩とは、ハンセン病の旧称で、らい菌の感染によって起こる慢性の感染症です。感染・発症すると、神経が侵され、皮膚症状が現れたり、病状が進むと身体に変形が生じてしまうこともあります。
癩菌の感染力は極めて弱く、感染しても発病するのは稀で、体力や抵抗力が非常に弱くなっている時に発病。また、以前は不治の病とされていましたが、現在は薬によって完治できる病気になっています。


その外見上の特徴や、遺伝病だと思われていたこと等により、患者に対する偏見は強く、「らい予防法」によって療養所に強制的に隔離されていました。この法律は1996(平成8)年にようやく廃止されましたが、まだまだ誤解や偏見が残っているのは事実です。


私がこの病気を知ったのは、おそらく「ブラック・ジャック」が最初で、その後、栗本薫さんの「グイン・サーガ」第1巻の記述に問題があるので訂正を…という記事を読み(訂正前の初版本を私は購入していました)、北條民雄さんの「いのちの初夜」にたどり着いたのだと思います。病気のために地獄のような生活に追い込まれ、死ぬことも出来ない自分を嘆き、悶える中で迎えた入院初日、それが彼の「いのちの初夜」でした。


以前、「文学のなかの看護」という本の紹介でも書きましたが(第71号)、差別や偏見のひどさの中で綴られた言葉の重みは、私の上っ面だけの文字の羅列とは比較してはいけない次元のものです。


現在、全国ハンセン病療養所入所者協議会の会長に就任されている、神(こう)美知宏(みちひろ)さん(76)のインタビュー記事の切り抜きから抜粋します。全国13の国立ハンセン病療養所にある「自治会」をまとめ、入所者約2400人の医療・介護水準を維持するため、国との交渉の先頭に立つ人です。
福岡県出身で、17歳で発病。高松市にある「大島青松園」に入所。10年目に完治をつげられますが、「自分だけ幸せになれない」と残り、待遇改善に努めました。多感な少年時代を療養所で過ごさねばならなかったことを思うと、言葉になりません。


らい予防法の廃止の遅れを謝罪に来たのは、現総理の菅直人(当時厚生相)でした。世間に知られたら家族が困るだろうと言われ、名乗れないでいた本名を名のることにし、「ハンセン病問題解決促進法」成立に尽力し、2008年「終生在園保障」を法に明記させました。入所者の平均年齢も80歳を越えたそうです。「憤りがエネルギー源だ。最後の一人まで安心して暮らせるよう、命がけで頑張る」という言葉で記事は締めくくられていました。


時には、自分の知らないところで、命がけで行動している人々のことを考えてみることも大事かなと思いました。





rohengram799 at 13:27コメント(2) 
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