バッタもん

2014年06月26日

慶雲便りNo.21:バッタ塚

日付がかわりましたが、昨日は「雷鳴の水曜日」でしたわ……皆さまのお住まいは被害などありませんでしたか? 仕事が休みでよかったです。


『花工房ノンノの秘密』を読み終わりましたが、2時間ドラマで見てみたいかも…!と思いました。その中で山口県出身者によって開拓された一帯が札幌にあり、今は手稲山口という地区だと知りました。1881年に最初の入植者が移住し、その開拓地を故郷の地名にちなんで山口村と名づけたそうです。そして見つけた《バッタ塚》!ちなみに小説には特に関係ないです( ̄▽ ̄;)


北海道開拓使時代に、十勝地方で大量のバッタが発生し、札幌まで飛来。その後毎年のように札幌でバッタが大発生し、農作物は食べ尽されていきました。人々はバッタを減らすために、幼虫を追い込んで穴に埋めたり、鋤でつぶしたり、野原に火をつけたり…雨が降れば卵が死ぬという事で、雨乞いのために大砲まで撃ったとも言われているそうです。その後、明治政府は札幌中から卵を買い集め、砂地だったこの地に埋めてバッタを減らそうとしました。これが手稲山口バッタ塚のはじまりだそうな。 バッタ塚は札幌の他の地域にもあったようですが、現在まで残っているのは手稲山口バッタ塚のみ。


そんな苦労の中、大正5年ごろから砂地を生かした山口スイカ(現在のサッポロスイカ)の試作栽培が始まります。大正7年から販売を始めると、糖度が高くて味が良いと評判になりました。 しかし、昭和55年の大冷害によってスイカが大きな打撃を被ったため、これを機に、冷害に強くてスイカ作りのノウハウをそのまま生かせるカボチャの栽培が始められました。 こうして手稲のカボチャとして有名な「大浜みやこ」が誕生。一瞬「大月みやこ」かと思ってしまった(O.O;)(oo;) 味わいの深さが全国的にも高い評価を得ているそう。もしかしたら、知らないうちに食べていたかも。


しかし「鯨塚」とか「包丁塚」とか聞いたことはありますが「バッタ塚」とは……(@ ̄□ ̄@;)!! 何も知らないと悪徳業者がバッタもんを処分するために埋めた場所だと想像してしまいそうです←私だけ!?



「バッタもん」ですが、「ばった」は「投げ売り」を意味する古道具商の隠語で、そこから商品を格安で売る店を「バッタ屋」と呼ぶようになり、正規ルートを通さず仕入れた商品を売る店も呼ぶようになったそう。さらに、そこで売られている物を「バッタもん」と呼ぶようになり、正規ルートの仕入れ商品でないことから、偽物商品や粗悪品なども「バッタもん」と呼ぶようになったらしいです。


バッタもバッタもんも関わりたくないモノですな~夢の中でバッタの大群に襲われませんように……おやすみなさいまし(-_-)zzz




rohengram799 at 00:22コメント(6) 
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