七夕空襲

2018年08月01日

炎昼雲便りNo.14:聴音壕

「炎昼雲便り」と7月の記事タイトルを決めた時には災害レベルの暑い毎日が続くと8月全く考えていませんでした。今日から8月ですが、引き続きこのタイトルでぼちぼち更新していくつもりです。またよろしくお願いいたします m(_ _)m


『歴史群像』8月号(通巻150号)の「迷宮歴史倶楽部」で“聴音壕”というのを知りました。これはネットで画像検索するとかなりの数が出てきます。皆さまの近くにもあるかもしれませんね。


雑誌にも載っていた山梨・大月の聴音壕です。
http://www17.plala.or.jp/tokoma_higashi/syuron/sensoiseki.htm

大月駅までは私の実家の最寄り駅から30分くらいでしょうか? 戦争遺跡について学校で教えてもらった記憶もないし、自分からそういう場所があるかな?と考えたこともなかったです。


小学生の頃、社会科クラブというのに入っていて、町内にある文学碑を調べたり(文学散歩という言葉をこの時知りました)足利学校みたいな、そこそこ古い建物を見に行ったりしたことはありますが、自宅から歩いて行ける場所に戦争遺跡があったことを今回調べて知って驚きました。あの崩落防止にコンクリートで固めた崖みたいな場所に壕があったとは。専門的な地質云々とかは全く理解出来なかったですが。広島・長崎・沖縄等の悲惨な出来事を知るのと同じように、小さい時に地元の戦史について知ることからはじめるのが大切なのかも、と思いました。


【遺髪塚】
http://www.soumu.go.jp/main_sosiki/daijinkanbou/sensai/virtual/memorialsite/yamanashi_ootsuki_004/index.html


千葉市の空襲は「七夕空襲」と漢字ですが、甲府空襲はひらがなでした。当時、甲府に住んでいた太宰治や井伏鱒二も被災。


【たなばた空襲】
http://www.asahi-net.or.jp/~un3k-mn/kusyu-koufu.htm



rohengram799 at 09:33コメント(2) 
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