久世光彦

2016年07月27日

布雲便りNo.27:女ごころ

去年の春に読んでから、半分くらいで放置いた太宰治の『女生徒』を読み終わりました。関連記事はコチラ→桜雲便りNo.2:女学生…(^.^)



どの短編も女性の一人称で書かれています。戦中・戦後の暗い時期でも人々の暮らしや思うこと、感じることなど今と変わらないんだなぁ、と思いながら読みましたが、中でも『雪の夜の話』は挿話があり、印象的でした。
 

東京で兄夫婦と暮らすしゅん子が、妊娠している姉のためにスルメを持って帰ろうとする。しかし、積雪の中へ落としてしまい、代わりに美しい雪景色を目に焼き付けて帰るというお話です。その中で、デンマークの水夫の話が出てくるのです。


《むかし、デンマークの或るお医者が、難破した若い水夫の死体を解剖し、その眼球を顕微鏡で調べると、網膜に美しい一家団欒の光景が写されていた。友人の小説家にそれを報告したところ、その小説家はたちどころにその不思議の現象に対し次のような解説を与えた。その若い水夫は難破して怒濤に巻き込まれ、岸にたたきつけられ、無我夢中でしがみついたところは、燈台の窓縁であった。ああ、よかった! 助けを求めて叫ぼうとして、ふと窓の中をのぞくと、燈台守の一家がつつましくも楽しい夕食をはじめようとしているところだった。ああ、いけない。今「助けてえ!」と凄い声を出して叫ぶとこの一家の団欒が滅茶苦茶になる……そう思ったら、窓縁にしがみついた指先の力が抜け、また大浪が来て水夫のからだを沖に連れて行ってしまった……たしかにそうだ、この水夫は世の中で一番優しく、そして気高い人なのだ。医者もそれに賛成したので、二人でその水夫の死体をねんごろに葬ったという。》


物語は青空文庫のサイトで読めます。また感想が書かれたブログも空腹の少女小説――太宰治「雪の夜の話」などいくつかありました。

http://www.aozora.gr.jp/cards/000035/files/1573_34633.html



網膜に残された光景で、北 一輝(きた いっき)の義眼を思い出しました。中国の革命運動に参加し中国人革命家との交わりを深めるなかで、中国風の名前「北一輝」を名乗るようになります。右目は義眼 。このことから「片目の魔王」の異名を持つことに。二・二六事件 の理論的首謀者とされ、処刑されますが、久世光彦さんの『陛下』という小説に、右の義眼の裏に天皇の肖像を貼り付けている(もちろんフィクションですが)という場面があります。「私は生きている左目で、曠野を見ています。その代わり、見えない右目で、陛下を真っすぐに見ているのです」………ヒャー!久世さんらしいと言えばらしい耽美な場面でドキドキしました( 〃▽〃) 関連記事はコチラ→桜雲便りNo.13:混乱するあずさ号(;゜∇゜)



話をもどしまして……デンマークのお話ということは、アンデルセン童話なのかと思いましたが、どうもハッキリしません。ただ太宰は『一つの約束』という随筆でこれと同じ話を紹介しているそうです。結構お気に入りだったのかしら?


他には『おさん』という子どもたちと疎開している間にダンナが浮気をしていて、その相手と無理心中…という話がありました。ダンナに「(前略)ひとを愛するなら、妻を全く忘れて、あっさり無心に愛してやって下さい。」と小声でいう場面があり、東野作品の不倫にはなんかウンザリしていた私はちょっとスッキリした気分になりました(笑)


また『貨幣』という紙幣が語り手の話もおもしろかったし(貨幣は女性名詞になるらしい)『饗応夫人』は、お客さまを病的に、身を削ってでも、もてなさないと気のすまない未亡人が出てきます。お手伝いさんがその女主人について語る設定です。玄関のベルが鳴り、饗応するほどの縁もゆかりもない、笹島という男がやってくると夫人は「泣くような笑うような笛の音に似た不思議な声を挙げ」て接待に狂奔するのです。彼ひとりでなく男も女も連れてきたり、泊まったり、ワガママでやりたい放題。接待のせいで、財産をかなり減らし、身体まで悪くなり……夫人が苦痛を感じつつも、もてなさずにはいられないという脅迫的な心の一部は、太宰自身にもあったのか? この夫人のモデルは画家だったそうで、子供はいなかったらしいのですが、親類の女性はじっさいにとてもいい方だったと話していたそうです。


「ごめんなさいね。私には、出来ないの。みんな不仕合せなお方ばかりなのでしょう? 私の家へ遊びに来るのが、たった一つの楽しみなのでしょう。」つまり彼女は自分も夫を戦争で失っているにも拘らず、笹島たちの不幸を思うと自分は幸せであり、また彼らの唯一の楽しみは自分の家に来て遊ぶことである。それを奪うことは自分にはできない、と言うのです。この彼女の強い意志はラストにも表れています。このままでは身体を壊してしまうという女中の言葉に従い、奥さまは家を離れることにしたのですが、タイミング悪くその日に笹島がやってきて……彼らのことをもう一度思い返し、その場に留まり、もてなすことを決心し、切符をふたつに破った奥さま……!! 「奥さまの底知れぬ優しさに呆然となると共に、人間というものは、他の動物と何かまるでちがった貴いものを持っているという事を生れてはじめて知らされたような気がし」て自分も切符を破ってしまいます。なんというか、無償の愛というのとも違うけれど、ここまで出来る人もいない気がしました。今だと強迫観念とか強迫神経症とか言われてしまうのかな……なんともいろんなことを考えさせられた作品でした。


『女生徒』に収められた14の短編は「太宰ねぇ…」という、教科書でしか読んだことのなく、あまり興味がないなぁ~な、私のような人間にはチョー読みやすくてオススメです(≧∇≦)





rohengram799 at 08:36|この記事のURLComments(8)

2015年04月13日

桜雲便りNo.13:混乱するあずさ号(;゜∇゜)

♪明日私は旅に出ます~8時ちょうどのあずさ2号で~  ああ懐かしい狩人の『あずさ2号』!! ちなみに私はおに~さんの方が好きでした。そう言えばプロレスのファンク兄弟もお相撲の若貴もおに~ちゃんLOVEでしたわ(^。^;)



なかなか田舎に帰れないので、本屋で『恋するあずさ号』(坂井希久子)という文庫本を見つけ買ってしまった……もっとも「あずさ」は私が利用する塩山駅には停まらず(1日1往復あったかな?)長野の松本へ行ってしまうはず……なので新宿から「かいじ」に乗ります!って私の帰省方法はどうでもよくって(-_-;) 介護福祉士の梓(あずさ)が特急あずさに乗り長野で思わぬ出逢いが……みたいな話のようです。またチマチマ読んでいこうっと。さてさて、樹木のアズサはミズメというカバノキ科カバノキ属の落葉高木のことらしく、なんと!!「ヨグソミネバリ(夜糞峰榛)」とも呼ばれる……その後に「皇太子徳仁親王のお印でもある。」と書かれていて………どうしよう(O.O;)(oo;)と意味なく焦ってしまう!!……サロメチールみたいなニオイが枝を折るとするそうです。しかし酷い字面ですわ(´;ω;`)



「古くは梓弓を作るときに使用されていた」ともあって、昔読んだ久世光彦さんの『陛下』という小説に梓と弓のふたりが出てきたはず……二・二・六事件が起こった時代を背景に、剣持梓という若い陸軍中尉を主人公にした物語です。そして「魔王」と異名をもつ革命家・北一輝が登場。彼は実在の人物。作中では虚実入り混じり、なんとも私好みのイイ男で……自らの義眼の裏側に、敬愛する「陛下」の写真を貼り付けているというエピソードは銀英伝のオーベルシュタインもカイザーの写真を義眼の裏に!?なんて妄想炸裂してしまいました←バカです(;^_^A


北はかつて暗殺された美しい中国の革命家を、梓にダブらせ、アツい思想を語ります。彼の思想に引きずられるように「陛下」への熱い想いを胸に拡がり……馴染みのお女郎さんの名前が「弓」なのですが、ふたり合わせて梓弓だとか言っていたような……そして合体しながら(巧い言い回しが思いつかない)「陛下!」と叫んでいたような………弓はこの言葉に込められた彼の複雑な感情は知らなかったと思います。「久世さん、こんなこと書いて大丈夫なの?」と心配になったことも思い出しましたわ(◎-◎;) 今、こんなことを書いている私も大丈夫でしょうか?


また、記憶になかったのですが、あらすじを検索していたら「恋闕(れんばつ)」という言葉が出てきていたようです。女性に恋をするように天皇を思慕すること。忠誠以上の情熱的な想いを抱き、恋するが如く尽くす」という意味らしいです。幕末には使われていて、この言葉を作ったのは久留米出身の真木和泉ではないかと言われているとか……中国から伝わった熟語的なものではなく、日本で生まれた言葉だそうです。



私は郷愁から「あずさ」という言葉の入った本を買っただけなのに、なんかトンでもない方向に進んでしまいました。恋するどころか脱線しそう(;´д`)



皆さまには、物事がスムーズに運行する1週間でありますように(´ー`)ノ




rohengram799 at 00:22|この記事のURLComments(6)TrackBack(0)

2014年04月04日

おぼろ雲便りNo.4:雛の家

『草の戸も住み替わる代ぞ雛の家』


芭蕉は「奥の細道」の旅に出る時に、江戸で自分が暮らしていた家をお弟子さんか知り合いに譲ったみたいですね。その方には娘さんがいらしたのでしょう~主が替わり、自分が住んでいた時には縁のなかった雛人形が飾られる……人もまた変わっていく、みたいなことを考えたのかしらん? 田舎では昨日がひな祭りなので、この句を思い出し、また久世光彦さんの『雛の家』を読んでいます(笑)


時代はふたつの大戦の狭間、、日本橋の老舗人形屋「津の国屋」の美しい三姉妹、ゆり子、真琴、菊乃の恋物語です。今は菊乃ちゃんが出遅れてまだ清らかなままですが(半分も読んでいないからこれからのお楽しみだ←おやぢ!)これが男三人ではむさ苦しいというか、跡取りの長男以外は他のお店に修行に出されて、いろいろやらかしそう( ̄▽ ̄;)


『そのなかに汐くむ雛のあはれかな』(久保田万太郎)


実家には、多分七段飾りがあると思うのですが、ケースに入った日本人形も母が飾ってくれました。藤娘はなんとなくわかるのですが(可愛らしい)「汐汲」と書かれた人形はなんだろう?と疑問でした。綺麗な着物姿なのに天秤棒担いでいるし……働き者になるようにってことなのかしらん(; ̄Д ̄)?と自分なりに意味を見出だしていたのですが「水桶を担い、金烏帽子をかぶって狩衣を着けた娘海女(あま)の松風が、都に帰った恋人を慕って舞う姿」なんですと! 烏帽子に狩衣(実際には長絹という能装束)、これは都へ帰ってしまった在原行平が残したという形見の品らしい。一途な女心を表した人形なんでしょうか? なんか失恋してちょっと違う世界にいっちゃった若い娘さんという気がしないでもない……こんな風に思うのは私だけかしら(-""-;)


ウチにあるのと同じお人形さんの画像がないかと探したのですが、今風のお顔でちょっとポーズも違うお人形さんばかり~まぁ時代が違いますもんね(´д`)





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2013年10月24日

しらす雲便りNo.44:1999YEN秋―PASMO

PASMOの残高が1999円になったのを見て、2000年になった時の騒ぎを思い出しました。私の小学生時代は「富士山大噴火」に「ノストラダムスの大予言」と「俺たちに明日はない(T-T)」な話が蔓延していて、ワタクシはそんなお子さまね!という顔をしながらも内心はどうしようΣ(T▽T;)な女の子でありました。


今、角田光代さんの『ツリーハウス』を読んでいます。戦前戦中戦後と満州で過ごし、帰国してから新宿で中華料理店を開いた夫婦。お互い男女の愛情があって結ばれたのかわからないまま子どもが産まれ、孫ができ…三世代の物語で、現在と過去が交差するのでちょっとわかりにくいところもあるかも…。昭和の出来事・事件なんかが出てきて、パンダがはじめて来た時のことや中国残留孤児の肉親探しのことなどを思い出しました。


肉親が見つかった人とそうでない人の中国に帰る時の表情が全く違ったこととか(おみやげに電化製品とかありましたよね)日本で生活するようになったけれど、なかなか馴染めなかったりとか……すっかり記憶から抜けていました。50年近く生きているのだから、たくさんの出来事があって全部覚えているなんて無理な話ですが、中国の大気汚染が大きく取り上げられている時にも、全く他の中国関連の事を思い出さなかったとは……ここ最近の国内での事件や事故があまりにも悲惨だからでしょうか……でもこれってちょっとコワイ気がする(-_-;)


本の中でお祖父さんが亡くなった後にお祖母ちゃんが中国旅行に出掛けるのですが(もちろん同行者あり)昔お世話になったお店と人を探すんですね。でも記憶もあやふやで街並みも変わっている。たどり着けないけれど、当時の面影を残すお店に入り、そこにいる人に感謝やお詫びの言葉を一気に喋るお祖母ちゃんに胸がいっぱいになってしまいました。お世話になった家族はもう亡くなっているかもしれない、今目の前にいる人たちは無関係だとわかっている、それでもずっと言えずにいた気持ちを伝えたい、吐き出したい……!子どもや孫には自分たちの人生を語ることはなかったので、それだけ抱え込んできたものの重さがあったのだと思いました。


言葉も通じないのだから自己満足かもしれませんが、戦争を体験した人たちはこんな気持ちではないのかと…生きるために逃げて逃げて……のほほんと生活している自分にはこういう生き方をした人たちを責めることなんか出来ないし、まだまだ知らないこてばかり……と、おそらく角田さんが伝えたいこととは違うことを考えてしまいました。


「あんた、自分がやった馬鹿はね、ぜんぶ自分に跳ね返ってくるんだよ。」とか「ここじゃない、どこか遠くにいけば、すごいことが待っているように思うんだろ。でもね、どこにいったって、すごいことなんて待ってないんだ。」というお祖母ちゃんの言葉、半分わかっているけどやっぱりここではないどこかにいきたい……(゜-゜)


朝刊に若山牧水の『けふもまたこころの鐘をうち鳴らしつつあくがれて行く』の歌についてのコラムがありました。「あくがれ」の語源は「在所」を「離る」、つまり「魂が今在るところを何かに誘われ離れ去って行く」という意味。そこから「思いこがれる」という今日の意味が生れたそうです。


たそがれて、あくがれて……「2013年秋―オスカー」でありました。ちなみにタイトルは私の好きな本、久世光彦さんの『一九三四年冬―乱歩』からいただきましたf(^_^;)




rohengram799 at 21:21|この記事のURLComments(6)

2012年10月07日

あかね雲便りNo.173:じなんです

長男ですが「じ」なんです…この前、例の担当者がやってきて「痔で入院して大変だった時の話」をして帰っていきました。仕事の話より熱心でしたわ(-_-;)しかし区切り一つでかなり言葉が変わりますよね~こういうのを「ぎなた語」というんだそうです!!


「弁慶がなぎなた(薙刀)をふりまわしふりまわし」という文章を、本来なら「弁慶が、なぎなたを、ふり回しふり回し」と区切るべきなのに、1回目の「な」を間投詞の一種と解釈し「弁慶がな、ぎなたをふり回しふり回し」と読めることに由来するそうです。あと「ギロッポン」(六本木)など業界用語、隠語的なものは「倒語」(とうご)と言われるとか。ゴルゴ13が「チャンネェ」と言っている姿を想像し、ひとりウケてしまう私(((^^;)←「デューク・“トウゴ”ウ」…それだけのつながりなのに!!


私は仕事で隠語や符丁のようなものを使ったことがないので、ひそかに憧れていたりします。普通に「食事にいってきます」とかだったし。隠語が一番多い職業ってやはり警察関係なんでしょうか?たまに警察小説なんか読むと、そんな言葉が出てドキドキしちゃいます!!


お話は変わりますが、昨日から例のパチの歌が『1994年の雷鳴』というヤツになりました。この年に何か意味があるのか、歌詞が聞き取れないのでワカラナイ~!しかし、このタイトルを見ると♪マリリ~ン~を思い出すのは私だけではないハズ!!


こんなふうに年号のついたタイトルの物語で面白いのがあったら教えてほしいです!私はマンガだと大和和紀木さんの『紀元2600年のプレイボール』小説だと久世光彦さんの『一九三四年冬―乱歩』が好きです!←それしか思いつかなかった!!(笑)



rohengram799 at 19:00|この記事のURLComments(18)
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