空のお城通信~オスカー戯言日記~

空のお城へようこそ゚+(人・∀・*)+。♪ 自分の好きなこと、興味のあることを書いています。

タグ:介護

世の中にこんな漢字があったのか Σ(*゚Д゚*) とビックリすることがたくさんあります。私が知らないだけ〜という可能性もありますが(-ω-;)

敷衍(ふえん)

なんだ、これは……(;゚∇゚) 「敷」はともかく、次の字はいったい……「行」の間に無理やり入り込んだサンズイさん……もう読み方は「ギョウズイ(行水)」で良くない?と思ってしまう! 多分、明日には忘れている漢字ですわ。


「衍」
https://dictionary.goo.ne.jp/word/kanji/%E8%A1%8D/



コチラは俳句にあった漢字……「潦」 リョウ……ではなかった! ニワタズミ、と読む。雨が降って地上にたまったり流れたりする水のことで、この言葉自体は季語として使われることはありません。


濃あぢさゐ昨夜のなごりの潦 栗原公子(*)


う~ん……「潦」の意味を知ってからこの句を読み返すと、なんと意味深なのでしょうか……! 考え過ぎ?



コロナウィルスの影響で、デイサービスに行けなくなった方々も多いようですが、pixivでこんな作品を見つけました。完結しています。1話1話はそんなに長くないので、少しずつ読んでいます。

介護漫画『 オニオカメ』
https://www.pixiv.net/artworks/23378698



(*)栗原公子さんの句集の紹介記事です。
https://search.yahoo.co.jp/amp/s/fragie.exblog.jp/amp/27351031/%3Fusqp%3Dmq331AQRKAGYAYvbqMzcvqWBzgGwASA%253D

3月になりました。今朝は小雨で肌寒いです。幼稚園や学校も今日から休みになったらしく、にぎやかな子どもたちの声も姿もないです。早く落ち着いて欲しいですね。



pixivで介護関連の漫画を見つけました。ページ数は多いですが、ひとつひとつの話は短いので、少しずつ読んでいましたが、皆さまもよかったら。

https://www.pixiv.net/artworks/42220259


この中にあった ♪おもいだした〜おもいだした〜 の歌がYouTubeにありました。

https://youtu.be/JSqDlKJWjqY




今年は暖冬で桜の開花も早いというので、今月は3月の異名「桜月」からタイトルをつけました。またよろしければお付き合い下さいませ m(_ _)m

池下和彦さんの『わけるな』という非戦詩を探していた時に『母の詩集』を知りました。内容は下記で、また印象深い、考えさせられた詩をいくつか紹介させていただきます。『つづき』にでてくる「うたこ」は池下さんのお母さんの名前です。


http://www.dowa-ya.co.jp/books/poem/others/hahanoshishu.html

http://www.teinenjidai.com/chiba/h19/01/index.html





『いつ』

 1人でトイレに行かれなくなったのはいつ
 1人で歩けなくなったのはいつ
 1人で食べられなくなったのはいつ
 1人で風呂に入れなくなったのはいつ
 どれもいつからと答えられない

 看病でも介護でもなく
 いっしょに暮らしているだけだったから



『川』


川を見て
母は

という
ぼくが少しとがめた口調で

とききかえすと
母は
海から流れる川といいなおした
あまりに静かなものいいだったので
それを
ふたりのあいだの真実にする




『つづき』

うたこ
だんだん
ばかになる
どうかたすけて
起きぬけ
母はそう言って私にすがりつく
だれが
この病を
老年痴呆と名づけたのだろうか
かつて私は
こんな賢いさけびをきいたことがない
私は
母のまねをしてすがりつく





『わけるな』はこちらで。

https://plaza.rakuten.co.jp/tora11/diary/201607300001/

仕事の休みが続いたので、本屋さんに行っていろいろ立ち読みしたり、本を買ったり読んだりしてきました。だから最近は本からの話が多くなっなっていますが、今日もです!



『幼子に 帰りし妻の 手をとりて 今も変わらじ 若き日のぬくもり』


いつから「老老介護」という言葉が使われるようになったのでしょうか・・・『八重子のハミング』(陽信孝)という、映画にもなった本を読みました。



思いもよらなかった夫婦の同時発病。夫は胃がんが発見され摘出手術。その直後、妻にアルツハイマー病の兆候が見え始めた―。その後、夫は三度のがん手術から生還する一方で、妻の症状には改善の兆しが見られなかった。自らも迫り来る死の影に怯むことなく闘病、そして献身的に妻の介護を重ねる日々…。“三十一文字のラブレター”短歌約八十首を詠み、綴った、四千日余に及んだ老老介護の軌跡。「現代の智恵子抄」とも評された話題の単行本、待望の文庫化。二〇〇二年末に他界した愛妻を偲んだ「終章」を補記。(文庫裏表紙より)




文章はとても読みやすいです。最初にぎゅっ!と手を握って歩くふたりのモノクロの写真があります。途中『智恵子抄』の一部が抜粋され、奧さまと智恵子を重ねている場面も。奧さまは次女・三女の結婚の時には症状が進んでいて、本当なら女同士でいろんな話をしたり、相談にのってもらったり、きちんと挨拶をしてお嫁入りなのに、せつないなぁと思いました。全体に奧さまへの愛があふれていて、それゆえに一緒に死んでしまおうと思ったり・・・。姑さんも徘徊を繰り返し、迷子になり近所の人が見つけてグレたら時に優しく声をかけてくれます。

「まあ、八重子さんごめんね。怪我はなかったかね。信孝がいないのはわかっていたのに、気がつかなくて、私が悪かったね」

そう言って肩を抱くようにして家の中に導いたそうです。そのお母さんも八重子さんを見送った2年後に亡くなります。近所の方々の協力、姑のやさしさ、娘婿のやさしさ、孫たちのやさしさ。親がよく言い聞かせているのでしょう、小さいのに本当にいい子たちです。


『妻の介護をしてきたことで私が強く心に感じるのは、「優しさ」と「怒り」の限界についてである。人間、怒りには限界があっても、優しさには限界がないということだ。優しさは、後から後から涌き出てくる泉のごときもので、人間が持つ肉体のすべてから醸し出されるものではないだろうか。』


『それに紙おむつをしていればそれでいいというものでもない。おむつをあてて事足れりとするのは「介護」ではなく、おむつを汚さないよう、トイレに連れていって用を足せるよう心を配るのが本物の「介護」である。』




八重子さんが息を引き取った後の場面は辛いです。だって普段と変わらずにいたのに、ほんの30分ほど洗濯物を干したりしていただけなのに、なぜ別れは突然やって来てしまうのか。解説は母親の介護経験がある落合恵子さん。長田弘さんの『イツカ、向コウデ』という詩についてふれていたので、検索してみました。今回の記事の締めくくりに・・・。





『イツカ、向コウデ』長田 弘


人生は長いと、ずっと思っていた。
間違っていた。おどろくほど短かった。
きみは、そのことに気づいていたか?

なせばなると、ずっと思っていた。
間違っていた。なしとげたものなんかない。
きみは、そのことに気づいていたか?

わかってくれるはずと、思っていた。
間違っていた。誰も何もわかってくれない。
きみは、そのことに気づいていたか?

ほんとうは、新しい定義が必要だったのだ。
生きること、楽しむこと、そして歳をとることの。
きみは、そのことに気づいていたか?

まっすぐに生きるべきだと、思っていた。
間違っていた。ひとは曲がった木のように生きる。
きみは、そのことに気づいていたか?

サヨナラ、友ヨ、イツカ、向コウデ会オウ。


突然の雷雨があるかも……!!にドキドキしていましたが、少なくとも私が仕事をしている間、外を見ても晴れ!夕方になってちょっと雨が降りましたか?というくらいで……傘の忘れ物が増えるわけですな(-。ー;)



♪それはまだ私が神様を信じなかった頃 9月のとある木曜日に雨が降りまして こんな日に素敵な彼が現れないかと 思ったところへあなたが雨やどり……


これはさだまさしさんの乙女チックな歌詞が恥ずかしくも初々しい(笑)『あまやどり』ですが、せっかくあまやどりしても、なかなか雨が上がらず、かえってスゴい雨になることってありますよね。江戸川柳の『本降りになって出て行く雨宿り』なんてまさにコレ!!( TДT) しかし、こちらなら大歓迎かも……「あまやどり」という品種の桜です。桜吹雪の中ならゆっくり歩いて帰ります(´∇`)


http://www.tree-flower.jp/26/nijojo_sakura_446/nijojo_sakura.htm


http://www.kagiken.co.jp/new/kojimachi/hana-amayadori_large.html




川柳と言いますと、新聞の文芸投稿欄にこんな一句がありました。


『陽が昇る介護施設が動き出す』(千葉市 野口一風)


瀬々倉卓治さんが秀逸に選ばれた作品です。選評に『母は九十歳で逝き、父は百歳まで生きて、逝った。母の死後、私は父と添い寝をした。水道が凍る冬の朝、靴下を穿かせていた父から、不意に「お前が神様にみえる」と言われた。私に出来たのは、それだけだ。施設で、朝は同じ陽が昇る。これも一期一会だ。』



私は介護をするような状況になる前に両親がいなくなってしまいました。介護関係の話や小説にそんな描写があると、私は本当に何も知らないし何もやらない娘だったなぁと思います。いつも「ご苦労なし」と言われてきたので、とてもじゃないけど面倒みてほしくないわぁ~と両親が思っていて、それを神様が聞き入れてくれたのではないかしら、と考えてみたり……苦労が足りない分、人としての「厚み」「深み」に欠けているんだろうなぁ…身体の厚みと欲望の深さは人並み以上にあるのに……とか、ガッツリ落ち込まない程度に考えながら、黙々とモップをかけたりしています。



『親の希望次々残して子は育つ』(サラリーマン川柳)


末は博士か大臣か……今だと何になるのかな? そんな大それた希望はなくても、親にしてみたらささやかな希望っていろいろありますね。子どもにも理想の親とか家庭とかあるでしょうけど。子どもが巣立った後に残るのは「希望という名の親のエゴ」なのかしらん( ̄~ ̄;)



先ほど小川洋子さんの『夜明けの縁をさ迷う人々』を読み終わりました。小川作品って私の中では結構好き嫌いがあるのですが、この本はなんとも言いがたい雰囲気が好きです。「お探しの物件」はいろんな変な人が建てたり、関わった変な物件を紹介してくれる不動産さんの話。ちょっとどの家もパス!!って感じです(笑) 全部で9つ、どれもSF(少し不思議)(☆o☆)な短編集でした。



ではでは、思いがけない出逢いのある木曜日になりますように……私はそろそろ寝ます~おやすみなさい(+.+)(-.-)(__)..zzZZ




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