サッカーの女子ワールドカップ、カナダ大会で「日本代表・なでしこJAPANが4強!!」のニュースを見聞きしたからではありませんが(伊勢なでしこの時に読むつもりでした~!)伊吹有喜さんの『なでし子物語』を読んでいます。続編も書かれているようです。
静岡県の天竜川流域の山間にある架空の里・峰生が舞台。そこには江戸の頃から山林業や養蚕業で栄え、事業を広げてきた遠藤家が持つ「常夏荘」があります。広大な敷地には邸宅以外に、ゲストハウスや使用人が住む長屋に蔵も建ち並ぶという、ちょーお大尽さんなおうち(笑)時代は1980年。伊吹さんご自身は三重県の出身だそうで、小さい頃住んでいたところにも山林王の大きなお屋敷があったとか。「歩いても歩いてもそのお家の塀が続いていましたね。身近な存在だったんです。彼らは木を植えるのに二代三代先のことまで考えるので、時代の流れを読むのに敏感な人たちだそうで、今でも各地に山林王はたくさんいると聞いています。」とのこと。実際の土地を舞台にした場合、どの一族か特定されてしまう可能性があるので架空の場所を作ったそうです。○○王とか最近は聞かない…かな? 海運王とか石油王とか外国の大金持ちのイメージしかありません(^。^;)
一族はすでに東京に拠点を移していて、ここ常夏荘は女主人と使用人たちが静かに暮らしています。女主人は遠藤照子、47歳。本家の当主である遠藤龍巳の長男、龍一郎と結婚し長男が生まれますが、夫は10年前に病死。その後息子が大学生になったのを見届けてから、常夏荘で暮らしはじめます。夫との思い出にひたりながら、静かに暮らすため……だったのに、そこにやってきたのは、龍巳が若い愛人に産ませた立海7歳。
病弱な彼は転地療養のために家庭教師の青井(なんかハイジのロッテンマイヤ夫人を思い出すキャラ)と一緒にここで過ごすことに。立海は女の子のような服装で言葉づかいも「なあに」「お夕飯」という感じ。伊吹さんは「小さい頃は男の子よりも女の子のほうが強いので、病弱な男の子には女の子の格好をさせるという風習があったようなんです。私も小さい頃、身近に女の子用のキュロットなどをはいていた男の子がいて、お姉ちゃんのお古を着ているんだなと思っていて。実はその子は病弱で、そうした風習のために着ていたと知った時には、ああ、あの服装には親御さんたちの切実な願いがあったのか、と思いました。その記憶があったものですから、立海の人物像はすーっと浮かんだんです。話し言葉に関しては、ばあやさんが英語も日本語も話せる日系の方で、昭和のクラシカルで美しい日本語を話す人だったのでその影響を受けているということにしました」とインタビューで言っていました。彼の母親については何か訳ありっぽい……まだそこは読みかけなので謎なままです。
もう一人、山の管理をしている使用人、間宮勇吉の孫の耀子・10歳がやってきます。勇吉の息子(耀子の父)はすでに亡くなっており、母は男とかけおち(--;)施設に預けられたりした後に、ここに来ました。耳垢がたまりにたまって聞こえが悪く、また食事も満足に与えられなかったので、とにかく早く食べなきゃ!でがっつく……学校ではイジメの対象になってしまいます。学校でひどいヤケドをしたのをきっかけに立海の家庭教師の青井から「選びなさい。変わる? 変わらない?」と問いかけられます。すべてを諦めるには早すぎる、まだまだ未知なる可能性を秘めた子どもの耀子、学びに意欲を見せた彼女に最初に教えるたのは「ジリツとジリツ」でした。
自立、かおを上げて生きること。
自律、うつくしく生きること。
あたらしいじぶんをつくること。
「イメージとしては撫子の花。花屋にある薔薇や百合のような大輪の花とは違って、撫子はどこにでも咲いている小さな花だけれども、そこで精いっぱい天をあおいで咲いている。この花のように、撫でたくなるような愛おしい子たちの話だと意識して書いていました」
三人がそれぞれの想いを語るみたいなかたちになっているので、感情移入もしやすく読みやすいです。まだバブル景気にわくこともなく、一億総中流なんていってもまだまだ番地方と都会、貧富の差もあり、職人気質の人たちがたくさんいた時代……懐かしいような、でも今も抱えている悩みに変化はないような……作者インタビューはコチラです。
http://www.quilala.jp/fbs/old_from_bs/pu_interview54.html
明日からまた梅雨空に戻りそうですが……「自由・自主・自尊・自律」(どこかできいたような…しかしワタクシは帝国ファン!)でまた1週間頑張りましょう o(`^´*)
静岡県の天竜川流域の山間にある架空の里・峰生が舞台。そこには江戸の頃から山林業や養蚕業で栄え、事業を広げてきた遠藤家が持つ「常夏荘」があります。広大な敷地には邸宅以外に、ゲストハウスや使用人が住む長屋に蔵も建ち並ぶという、ちょーお大尽さんなおうち(笑)時代は1980年。伊吹さんご自身は三重県の出身だそうで、小さい頃住んでいたところにも山林王の大きなお屋敷があったとか。「歩いても歩いてもそのお家の塀が続いていましたね。身近な存在だったんです。彼らは木を植えるのに二代三代先のことまで考えるので、時代の流れを読むのに敏感な人たちだそうで、今でも各地に山林王はたくさんいると聞いています。」とのこと。実際の土地を舞台にした場合、どの一族か特定されてしまう可能性があるので架空の場所を作ったそうです。○○王とか最近は聞かない…かな? 海運王とか石油王とか外国の大金持ちのイメージしかありません(^。^;)
一族はすでに東京に拠点を移していて、ここ常夏荘は女主人と使用人たちが静かに暮らしています。女主人は遠藤照子、47歳。本家の当主である遠藤龍巳の長男、龍一郎と結婚し長男が生まれますが、夫は10年前に病死。その後息子が大学生になったのを見届けてから、常夏荘で暮らしはじめます。夫との思い出にひたりながら、静かに暮らすため……だったのに、そこにやってきたのは、龍巳が若い愛人に産ませた立海7歳。
病弱な彼は転地療養のために家庭教師の青井(なんかハイジのロッテンマイヤ夫人を思い出すキャラ)と一緒にここで過ごすことに。立海は女の子のような服装で言葉づかいも「なあに」「お夕飯」という感じ。伊吹さんは「小さい頃は男の子よりも女の子のほうが強いので、病弱な男の子には女の子の格好をさせるという風習があったようなんです。私も小さい頃、身近に女の子用のキュロットなどをはいていた男の子がいて、お姉ちゃんのお古を着ているんだなと思っていて。実はその子は病弱で、そうした風習のために着ていたと知った時には、ああ、あの服装には親御さんたちの切実な願いがあったのか、と思いました。その記憶があったものですから、立海の人物像はすーっと浮かんだんです。話し言葉に関しては、ばあやさんが英語も日本語も話せる日系の方で、昭和のクラシカルで美しい日本語を話す人だったのでその影響を受けているということにしました」とインタビューで言っていました。彼の母親については何か訳ありっぽい……まだそこは読みかけなので謎なままです。
もう一人、山の管理をしている使用人、間宮勇吉の孫の耀子・10歳がやってきます。勇吉の息子(耀子の父)はすでに亡くなっており、母は男とかけおち(--;)施設に預けられたりした後に、ここに来ました。耳垢がたまりにたまって聞こえが悪く、また食事も満足に与えられなかったので、とにかく早く食べなきゃ!でがっつく……学校ではイジメの対象になってしまいます。学校でひどいヤケドをしたのをきっかけに立海の家庭教師の青井から「選びなさい。変わる? 変わらない?」と問いかけられます。すべてを諦めるには早すぎる、まだまだ未知なる可能性を秘めた子どもの耀子、学びに意欲を見せた彼女に最初に教えるたのは「ジリツとジリツ」でした。
自立、かおを上げて生きること。
自律、うつくしく生きること。
あたらしいじぶんをつくること。
「イメージとしては撫子の花。花屋にある薔薇や百合のような大輪の花とは違って、撫子はどこにでも咲いている小さな花だけれども、そこで精いっぱい天をあおいで咲いている。この花のように、撫でたくなるような愛おしい子たちの話だと意識して書いていました」
三人がそれぞれの想いを語るみたいなかたちになっているので、感情移入もしやすく読みやすいです。まだバブル景気にわくこともなく、一億総中流なんていってもまだまだ番地方と都会、貧富の差もあり、職人気質の人たちがたくさんいた時代……懐かしいような、でも今も抱えている悩みに変化はないような……作者インタビューはコチラです。
http://www.quilala.jp/fbs/old_from_bs/pu_interview54.html
明日からまた梅雨空に戻りそうですが……「自由・自主・自尊・自律」(どこかできいたような…しかしワタクシは帝国ファン!)でまた1週間頑張りましょう o(`^´*)