信仰

2021年05月18日

梅月雲便りNo.11:抱擁

朝々の抱擁さえも確認の意味を持ちたり老いゆく二人


5/10(月)読売新聞 読売歌壇で栗木京子さんが選ばれた作品のひとつで、作者は福岡県 森田五三郎さん。年齢はわからないのですが、若者の情熱的な抱擁ではなく、やさしくいたわりあう老夫婦の姿が浮かんできました。


栗木さんの【評】
愛情の証の抱擁だが、それにくわえて互いの体調確認の意味も持つ。歌人の馬場あき子氏は、亡くなった歌人の夫・岩田正氏と就寝前にいつも握手をなさっていたと聞く。


馬場あき子さんについて
https://www.daiwahouse.co.jp/mansion/premistclub/premist_salon/vol14_p2/



栗木さんの

観覧車回れよ回れ想ひ出は君には一日我には一生

教科書に載っているそうですね。「一日(ひとひ)」に「一生(ひとよ)」と読むらしく……リズムもよく美しくなるなぁ。「いちにち」「いっしょう」だと学生のデートっぽい。読み方ひとつで大人の恋愛関係になってせつなさ倍増!(笑)


夏のうしろ、夕日のうしろ、悲しみのうしろにきつと天使ゐるらむ


こちらの短歌も素敵(*´ー`*)




前に狼酒の話を書きましたが、狼信仰の記事を見つけたので 🐺

https://search.yahoo.co.jp/amp/s/nagomeru.com/wolf-faith/%3Ftype%3DAMP%26usqp%3Dmq331AQRKAGYAdHy0cC0gZfhlQGwASA%253D




rohengram799 at 22:10|PermalinkComments(2)

2016年10月20日

徳雲便りNo.14:時代

テレビで「ハロウィンイベントの次に来る(新しいお祭りさわぎ)のはイースターではないか」と言っていましたが、本来の意味を全く知らないで騒ぎたいだけ!というのは、もうやめたらいいんじゃないかと思ってしまいます。鶏卵業者が「よっしゃー!タマゴ売りまくるで~!」とノリノリでイベント企画するなら、それはそれでスゴいな……と感心しますが。その後、別の番組でエッグタルトを見てダンナが「エッグ……タマゴか……中は、たまごやき?」とボソッとつぶやいていたので、ああ、だいぶお疲れなのね、と思いました(´;ω;`)



《慶長元年暮、こごえそうな寒風のなかを、ボロをまとい、みじめに垢じみて、一様に片方の耳をそぎ落された二十数人が、裸足のまま山陽道を引き立てられていった、長崎で磔に処されるために…。》


秀吉により、苛酷に弾圧された切支丹信者の悲劇を描いた『磔(はりつけ)』(吉村昭)を読んでいます。表題作の他「三色旗」「コロリ」「動く牙」「洋船建造」……史実を元にした作品ばかりで、今は蘭方医・沼野玄昌殺害事件を扱った「コロリ」まで読み終わりました。短編なのに、中身が濃い!いかに自分が歴史を知らないかを痛感しました。



《日本二十六聖人殉教地(西坂公園)》……長崎の観光ガイドには必ず出てくる場所ではないでしょうか、キリストが十字架に架けられたゴルタゴの丘に似ていることから、信者達がこの地を処刑の場に願い出たのだといわれているそうです。二十六聖人の殉教以降も多くの人々が“火あぶり”“水責め”“穴吊り”といったむごい手段でこの地で処刑されています。


戦後、原爆の破壊から立ち上がった長崎は殉教地であった小高い丘を公園にかえ、昭和31年に長崎県はこの丘を史跡に指定しました。26人の殉教者が列聖して100年目の昭和37年に、二十六聖人等身大のブロンズ像嵌込(はめこみ)記念碑と記念館が建てられ、西坂公園ができました。また、昭和25年(1950)には、ローマ教皇・ピオ十二世がこの地をカトリック教徒の公式巡礼地と定めています。



以前、長崎の教会を巡る旅番組で、この公園を見た記憶があります。「二十六聖人」という言葉はなんとなく聞いたことがあるという程度で、はじめから長崎にいた隠れキリシタンだと思っていました。小説では、殉教者たちよりも命令に従わなくてはならない、長崎奉行代理の心境がメインに描かれています。


まだ海外や外国人についての知識などなく、神道や仏教以外のものを信仰するということが信じられない時代です。彼らが口にする聞きなれない祈りの言葉も、ただ不気味に感じられるだけで、理解するとかしないの次元にはいっていないのですよね。 また純粋に布教目的だけの宣教師もいたでしょうが、日本が外国に乗っ取られてしまうのでは、植民地化しようとしているのではないか、という動きもあり……見せしめのために長い道中を歩かせ、処刑ということになったのでしょう。



処刑後、夕暮れになり、信者たちが「死体の衣服をはぎとり、柱を小刀でけずりと」り「翌朝、死体は、ほとんど裸体同然となり、柱にも刀の跡がおびただしかった。」という状況になります。監視する者たちもいましたが、海方向にはあまり目を向けていなかったようで、小舟で崖下に接近し、崖を這い上がったのです。死体を布切れで被い、近づけないように柵などもたてましたが、そんなものは関係なく、また衣類を持ち去ったとありました。


殉教者のものを何か少しでも身に付けたい、欲しい、そうしたら自分も神さまに近づくことが出来る、というような考えからの行動なのかもしれませんが……なんかあんまりじゃないだろうかと……ボロボロの姿で磔にされ、亡くなった後も同じ信仰心を持つ人たちに身ぐるみ剥がされるなんて……。


亡くなった人を悼む気持ちはどこに……と考えてしまったのは、イエスの教えを知らないからでしょうか? 彼らは自分たちの一部でも与えることが出来てよかったと思っているのでしょうか? 強い揺るぎない信仰心というものが、ぶれぶれで生きている私にはないのでわからなくて……非常に難しいです。



淡々と綴られた文章なので、自分の中でそれぞれの立場からいろんなことを考えることが出来ますが、処刑を扱っていますし、そういう場面は読んでいてキツいかなぁ、やっぱり……自分には出来ない!ってすぐ思ってしまいます。



二十六聖人に関連する作品はたくさんあるようなので、また興味をひく、読みやすいものがあれば読んでみたいです。





rohengram799 at 23:53|PermalinkComments(10)

2015年10月13日

暁雲便りNo.7:心の鏡

三連休の三連勤務終わりました~!! もっと働いている皆さま、お疲れさまです。今日はお昼頃に買い物に出掛けたのですが、暑い……半袖パーカーで出掛けたのに夏みたいでした……(;´д`)



久しぶりに本屋さんにいきました。来年のカレンダーや手帳、年賀状関連の雑誌がたくさんあって、あと今年も3ヶ月ないのだと実感しましたわ。


以前読んで面白かった野口卓さんの『ご隠居さん』の続編「心の鏡」があったので買ってしまいましたわ。心の鏡……鏡を磨くと我(が)がとれて神(かみ)になると言いますが、流しの鏡磨き師で話上手で聞き上手の梟助さん、今回はどんな出来事が…?と楽しみに積ん読しておきましょう(;^_^A


今、読みかけなのは帚木蓬生さんの『聖灰の暗号』下巻です。「カタリ派」という12,3世紀に南フランスを中心に栄えたキリスト教の一派に対する迫害の史実を背景にしたミステリーです。主人公は現代日本人学者。ところどころに聖書の言葉が引用されていて「聞いたことがある…」と思ったり、隠れキリシタンのことを考えたり……。カタリ派なんてはじめて聞いた言葉なので、全て作者の作り事かと最初は思っていたのが恥ずかしい……。


宗教って難しいですね。長者番付常連だった斎藤一人さんが「あなたの神さまもいいね。ボクの神さまもいいよ」みたいにならないのか…的なことを書いていたような気がするのですが(うろ覚えですみません)……信仰心を政治利用する権力者などはどの時代もいますし……。強引な勧誘とか怪しげな新興宗教とかには関わりたくないですね。



なんとなく秋は歴史物語や時代小説を読むのにいいかな~というかイメージ的にあう季節のような気がします。夏は冒険小説、春は恋愛小説、冬は家族小説……かな? まぁ厳密にわけられませんけど( ̄▽ ̄;)



遅くなりましたが、前の記事にもコメントをありがとうございました。返事書かせていただきました。皆さまもお身体に気をつけて下さい。





rohengram799 at 16:28|PermalinkComments(12)TrackBack(0)
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