出征祝

2016年06月12日

閑雲便りNo.17:百年経っても笑えない話

♪禁じられても 逢いたいの~ は懐メロになってしまいますが、閑雲便りNo.12:戦地の図書館に猫ムスメ様からこんなコメントをいただきました。


戦時中、落語にも【禁演落語】がありました。主に廓話や泥棒モノが国によって禁じられ、浅草の「はなし塚」に封じられたそうです。 逆に【国策落語】もあり、これは完全に新作。出征や特攻を讃えた内容で、全く笑える代物ではなかったそうです。


私は古谷三敏さんのマンガ『寄席芸人伝』を読んでいたのですが「禁演落語」と「はなし塚」については描いてあった!とはっきり記憶しているのですが「国策落語」は全くなくて……もしかしたらその話も描いてあったのに自分が忘れているのかもしれません。手元になくなってからだいぶ経つので確認も出来ず、残念ですが『はなし家たちの戦争 禁演落語と国策落語』(柏木新)という本が出版されているのですね。



当時のスローガン《産めよ殖やせよ》をテーマにつくられた『子宝部隊長』という落語があったそうで、これがまたひどい……!!

「何が無理だ。産めよ殖やせよ、子宝部隊長だ。国策線に順応して、人的資源を確保する。それが吾れ吾れの急務だ。兵隊さんになる男の子を、一日でも早く生むことが、お国の為につくす一つの仕事だとしたら、子供を産まない女なんか、意義がないぞ。お前がどうしても男の子を産まないんなら、国策に違反するスパイ行動として、憲兵へ訴えるぞ」
 


落語家林家三平さんが3月1日に、祖父の故・七代目林家正蔵さんが創作した落語《出征祝》を台東区のホールで約70年ぶりに口演したそうですね。全然知らなかった……。 「出征祝」を知ったのは昨年夏ごろ。家族の歴史をたどるテレビ番組に出演した際、スタッフが集めた資料の中に台本があったそうです。「台本に目を通して、はっとした。おじいちゃんの言葉じゃない…。検閲を受けて直されて。それでも祖父は、生きていくためにやらざるを得なかったんですよね」……父親で「昭和の爆笑王」と呼ばれた初代林家三平は特攻隊要員だったそうです。戦争末期は米軍の上陸に備え千葉県の海岸にいて、火薬を付けた竹やりで戦車を突いて自爆する役目だった、と。母の海老名香葉子さんは東京大空襲のことを語り継いでいます。



《出征祝》ですが、店の若旦那に召集令状が届き、大旦那や番頭が歓送会の準備をするという内容。


「めでたいね、皇紀2600年とせがれの出征が重なった。店の者全部の名で国防献金をしよう」などと言い始めた大旦那。「なんでも好きなものを食ってくれ」と店の者に言うと、それぞれ口々に食べたいものを挙げ始めます。
「(ビフ)テキが食べたい」
「テキはいけないね、ぜいたくはテキだからね」
「じゃあ、トンカツはいかがでしょう」
「いいだろう。テキにカツだから」
「お酒も呑んでかまいませんか」
「いいとも、ちゃんと一升で二本買ってある」
「縁起がいいや」


日本で一勝、というオチらしいのですが……これはいくら噺のうまい師匠が演じても、笑えないし、仮におやじギャグ的なものにクスッとなったとしても、笑っていいのか困りますよね……。当時、この噺を聴いた人はどのくらいいたのでしょう。そしてどんな気分になったのか……。



『寄席芸人伝』について、どんなものかを知りたい方は寄席芸人伝についてや下記の記事をお読み下さい。

http://www.geocities.co.jp/Bookend-Akiko/6209/1999.10.24.htm






rohengram799 at 12:53コメント(10) 
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