原爆忌

2020年08月09日

親月雲便りNo.8:幸あれ

大好きな人に幸あれ 今すぐに幸あれ 日常的に幸あれ 尼崎 武



■ありきたりな世界 だけど とても貴重な毎日

https://ikkokukan.exblog.jp/3215202/




折鶴にいのち吹き込む原爆忌 平岡しづこ 


八月の拳いくつあっても足らぬ  加藤法子


rohengram799 at 00:00|PermalinkComments(0)

2020年01月12日

献春雲便りNo.12:不思議の国の…

この前、紙ふうせんの話を書きましたが、宮田應孝(みやた・まさたか)さんの句集『空の涯』(そらのはて)に

風船の溜りをるなり空の涯

という句があることを知りました。「はるかなる空の涯には、飛ばした風船が溜っているのだ、という意。若くして亡くなった人への鎮魂の意が籠る。無念の死を遂げた人へ風船を届けたいという思いが感じられる。」………詳しくはこちらのブログ記事をお読み下さい。

https://fragie.exblog.jp/30999889/


第64回長崎原爆平和祈念俳句大会(2017年8月)の大会大賞句「雑巾のねぢれて乾く原爆忌」(小田恵子さん)も映像とともに「熱波」「爆風」いろんなものが自分の身体を取り巻いている感覚が…。




さてさて、以下は絵画(?)に関してのつぶやきのようなものです。


棟方志功というとお仏像の版画のイメージが強かったので、「不思議の国のアリス」の挿し絵にビックリした! これはアリスなのか? わからない(-""-;)

https://bonplaisir.exblog.jp/29336661/


そしてツヨちゃんの画力も相変わらず……シンゴちゃんの描く世界とはまた違うけれど、味わいがありすぎて泣けてくる( ´△`)

https://ameblo.jp/kusanagitsuyoshi-blog/entry-12565760285.html


長岡秀星さんがメーテルを描いていたとは……一度だけ長岡さんの原画展に行ったことがある……と思う。当時は知らなくてまだ山梨にいた頃。原宿に行って(田舎の子なので😅) どこかの建物でやっていて中に入った気がする。

https://ameblo.jp/blue-seamade/entry-12566415125.html


こちらで他の作品も見られます。スクロールするとメーテルも出てきます✨

https://gensun.org/pid/2016972

rohengram799 at 10:40|PermalinkComments(4)

2019年08月06日

燕月雲便りNo.2:1945年8月6日

挨拶

  原爆の写真によせて





   あ、

   この焼けただれた顔は

   一九四五年八月六日

   その時広島にいた人

   二五万の焼けただれのひとつ



   すでに此の世にないもの

   とはいえ

   友よ

   向き合った互の顔を

   も一度見直そう

   戦火の跡もとどめぬ

   すこやかな今日の顔

   すがすがしい朝の顔を



   その顔の中に明日の表情をさがすとき

   私はりつぜんとするのだ



   地球が原爆を数百個所持して

   生と死のきわどい淵を歩くとき

   なぜそんなにも安らかに

   あなたは美しいのか

   しずかに耳を澄ませ

   何かが近づいてきはしないか

   見きわめなければならないものは目の前に

   えり分けなければならないものは

   手の中にある

   午前八時一五分は

   毎朝やってくる



   一九四五年八月六日の朝

   一瞬にして死んだ二五万人の人のすべて

   いま在る

   あなたの如く 私の如く

   やすらかに 美しく 油断していた。




石垣りん詩集『私の前にある鍋とお釜と燃える火と』より



rohengram799 at 23:51|PermalinkComments(0)

2018年08月06日

炎昼雲便りNo.19:しずかな夫婦

『この世界の片隅に』漫画は読んだけれど、アニメは見ていない私、ドラマはチラチラと見ていますが、みんなスマートでキレイ過ぎるのは仕方ないのでしょうか。「傘問答」(柿問答)時代だなぁと思いました。

https://happyrico.com/konogsekai-kakimondo/




天野忠さんの『しずかな夫婦』という詩があります。 『通勤電車で読む詩集』に収められていました。編著の小池昌代さんの

【 詩のなかに、いびきをかく女房が出てくる。いや女房とは、いびきをかく者のことを言うのだ。なにしろいつも、深く疲れているのだから。結婚とは実に面倒で厭なものだ。それは確かだが、この詩を読むと、そう言い切ることに躊躇を覚える。だが同時に、この一篇が生まれるために費やされた歳月を思って、誰もが言葉をなくすだろう。人を無口にさせる名詩だ。】

という言葉が深くしずかに心に沁みていきます。





 『しずかな夫婦 』 天野 忠


結婚よりも私は「夫婦」が好きだった。
とくにしずかな夫婦が好きだった。
結婚をひとまたぎして直ぐ
しずかな夫婦になれぬものかと思っていた。
おせっかいで心のあたたかな人がいて
私に結婚しろといった。
キモノの裾をパッパッと勇敢に蹴って歩く娘を連れて
ある日突然やってきた。
昼めし代わりにした東京ポテトの残りを新聞紙の上に置き
昨日入れたままの番茶にあわてて湯を注いだ。
下宿の鼻垂れ息子が窓から顔を出し
お見合いだ お見合いだ とはやして逃げた。
それから遠い電車道まで
初めての娘と私は ふわふわと歩いた。
-ニシンそばでもたべませんか と私は云った。
-ニシンはきらいです と娘は答えた。
そして私たちは結婚した。
おお そしていちばん感動したのは
いつもあの暗い部屋に私の帰ってくるころ
ポッと電灯の点いていることだった-
戦争がはじまってた。
祇園まつりの囃子がかすかに流れてくる晩
子供がうまれた。
次の子供がよだれを垂らしながらはい出したころ
徴用にとられた。便所で泣いた。
子供たちが手をかえ品をかえ病気をした。
ひもじさで口喧嘩も出来ず
女房はいびきをたててねた。
戦争は終った。
転々と職業をかえた。
ひもじさはつづいた。貯金はつかい果たした。
いつでも私たちはしずかな夫婦ではなかった。
貧乏と病気は律儀な奴で
年中私たちにへばりついてきた。
にもかかわらず
貧乏と病気が仲良く手助けして
私たちをにぎやかなそして相性でない夫婦にした。
子供たちは大きくなり(何をたべて育ったやら)
思い思いに デモクラチックに
遠くへ行ってしまった。
どこからか赤いチャンチャンコを呉れる年になって
夫婦はやっともとの二人になった。
三十年前夢見たしずかな夫婦ができ上がった。
-久しぶりに街へ出て と私は云った。
 ニシンそばでも喰ってこようか。
-ニシンそばは嫌いです。と
私の古い女房は答えた。

    

rohengram799 at 16:52|PermalinkComments(0)

2011年08月08日

ひつじ雲便り481:Do you remember me

『人間の証明』のテーマ曲を歌ったジョー山中さんの訃報を聞きました。あの作品も戦争の悲劇を描いていたと思います。


6日の読売新聞朝刊投書欄に「息子たち見て思う風化する8月6日」の見出しがありました。


私たちが小学生の頃は8月15日が全校登校日でしたが、投書された方は広島の方で毎年6日に登校されていたようです。広島県では原爆について幼い頃からいろんな話を聞く機会があり、他県の人たちよりこの日に対しての意識が強いと思っていました。


しかし「先日、テレビ番組で、地元の子どもたちでさえ、原爆投下の正確な日時が答えられなくなっているという報道があった」そうです。今は8月6日が登校日という学校も少ないのでしょうか?


戦争体験を語り継ぐ人たちも高齢になりました。今まで隠されてきた事実も、たくさんの資料や証言の検証により私たちが知ることも出来るようになりました。


声高に「平和」を叫ぶだけでなく、一人一人があの時代の小さな出来事をひとつでも記憶して、伝えることが大事なのではと思います。難しい理屈や理論は抜きにして、確かにあの時代を生きた人がいたということを忘れない…肉体の死の後に忘却という二度目の死に至らしめてはいけない…それだけはいつも心に大事に持ち続けたいと思う夏の日であります。



rohengram799 at 10:23|PermalinkComments(20)
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