備忘の果実 〜オスカー戯言日記〜

好きなことを好きな時にチマチマと書いています(⁠๑⁠˙⁠❥⁠˙⁠๑⁠)

タグ:四国

『自転車のおんなの5月の大股』


きむらけんじさんの大胆すぎる一句でスタートの5月であります(*´∀`)♪


香る雲と書いてコウウン……皆さまに香り豊かな幸せな気分になるようなお便りを毎日お届け出来たらと思いますが、果たして(^^;)(;^^)



今日は♪夏も近づく八十八夜~ですね。江戸時代に宇治の永谷宋円が蒸して揉み、乾かすという製法を草案しました。これが今日の煎茶の製法の始まりだで「手もみ製法」と呼ばれる青製煎茶製法(宇治製法)。現在各地で伝承されている手もみ技術はすべてこの宇治製法の流れをくむものとされているそうです。


それまではお茶といえば碾茶(抹茶)のこと。庶民は、抹茶にしたあとに残ったお茶や、茶葉をそのまま干したような、日乾番茶などを飲んでいたとか。美味しくはなかったでしょうね('~`;)


京都ではお茶といえば抹茶!揉んだお茶など受け入れてもらえなかったので、江戸で売ることを考えつきました。新しい製法の煎茶は色や香り、味が良くて江戸や各地で非常に評判が高く、大いにもてはやされたそうです。一般庶民がお茶を楽しめるようになったのはこれ以降……江戸時代はお茶の生産が大きく進展した時代なんですね。


その後、宇治では「玉露」が創製されました。修学旅行が京都でしたが、お土産に買う品物に必ず入っていました(笑) この時代には、将軍が飲むお茶を宇治から江戸に運ぶ「お茶つぼ道中」がありました。「当時は大名行列でさえ道を譲らなければならなかった」そうで……あの♪ズイズイ ズッコロバシ ごまみそズイ 茶つぼにおわれて ドッピンシャン ぬけたら ドンドコショ~に出てくる「茶つぼ」はコレだったらしいです~田植えで忙しいお百姓さんたちがお茶壺道中を風刺した歌ともいわれているとか。



地域特産のお茶のひとつに「阿波晩茶」というのがあります。阿波晩茶は微生物で発酵させる全国でも珍しいお茶で、便秘改善など腸内環境を整えてくれる効果があるといわれています。テレビで紹介されブームになり売り切れたところもあるとか。高知には囲碁茶(碁石茶?)もありますし、お遍路さんたちもお接待で四国のお茶巡りが出来たかもしれないですね。



一杯のお茶で心が和む……そんな時間を皆さまがたくさん持てますように。今月もどうぞよろしくお付き合い下さいませ。




○○男子やら○○女子やら見聞きしますが、『お遍路ガールズ』(又井健太)を読み終わりました。


リストラなどで今はブラックな教育系出版社に勤める千春は、小説家の夢破れた31歳。この勤務先は『御不浄バトル』の主人公を思い出しましたわ。彼は教材の訪問販売をしていましたけど。


千春ですが、彼女はある日、高校時代の親友・沙織とかつて交わした「お遍路に行こう」という約束を思い出して、会社とは逆方向の電車に飛び乗ります。沙織が香川の高松に越してから、もう10以上会っていないません。お遍路に行って、生まれ変わろう!沙織に会いに行こう!と目的を決め、徳島に到着し、四国八十八箇所霊場を巡るべく歩き始めます。


同い年の琴美と出会って、ケンカして別行動になったり、仲直りしたり……他のワケ有りな女性たちと会ったり別れたり、再会したりと大忙し! ヘンなじいさんに絡まれて胡散臭いお数珠を売りつけられそうになったり、イケメンに胸ときめかせたり、ご当地グルメや地酒を楽しんだり(これはお金がないので機会は少ない)……作者は実際に八十八箇所を巡ったみたいで(他にも世界中を旅しているらしい)随所に体験談と思われるちょっとしたトラブル(?)が書き込まれています。


発心の道場(徳島)・修行の道場(高知)・菩提の道場(愛媛)・涅槃の道場(香川)……お接待などの独自の遍路文化やユーモアと格言めいた看板、四国各県の名所旧跡、変わった地名などなど……たぶん住んでいる人や行ったことがある人は「そうそう、こんな場所!」と思うのではないでしょうか? お遍路さんのことや札所の雰囲気など文章だけでなく、写真が豊富なガイドブックを手にしていたら自分も同行している気持ちになるかも……!


徳島在住のなう60様のブログで何度か読んだ札所の登場を嬉しく思ったワタクシ、皆さまも季節の花や風景に癒される記事をご覧下さい。

《ナウの人生日記♪》

http://white.ap.teacup.com/ausika311/




*いつも記事がダラダラ長いのでは…と思い、短めにしたので、今回の本の感想・妄想は次回に続きます…(; ̄ー ̄A



『はじめの一歩』(漫画)に出てくる愛すべきキャラ、猫田さんのセリフではありませんぞ(笑)


『弥谷』とかいて、いやだに…まさかこんな地名があるとは~!


きっかけは、船橋市の飯山満(はさま)に『ゆるぎ地蔵』があるという記事。この地名も読めませんでしたが、入り組んだ地形の「狭間」にちなんだもので、米がたくさん取れ「飯が山ほど満たされていた地区」としてこの漢字をあてたそうです。


こちらのお地蔵さまは座像で(行脚用の錫杖を持つお馴染みの姿ではない)宝珠を両手で抱えているお姿です。


江戸時代に「ゆるぎの松」の枯死を惜しんだ村人が、木食僧に彫らせたものだそうで…他にもあるのかな?と調べたら『イヤダに~』にたどり着いたというわけです。


弥谷観音堂(いやだにかんのんどう)~徳島県阿南市に所在する仏堂で、本尊は如意輪観音。四国八十八箇所二十二番札所平等寺奥の院、阿波坂東観音霊場一番札所でした。


伝承によると…延暦12年(793年)空海(弘法大師)が19歳の時、この地を訪れ岩肌に如意輪観音を刻みつけ17日間の厄除けの護摩供養をしたのが起こりだということです。
そして、空海は満願の日に七不思議を残して立ち去ったと言われています。


『弥谷観音の七不思議』は「不二地蔵」「竺地蔵」「四寸通し」「硯石」「ゆるぎ石」「日天月天の跡」「胎内くぐり」だそうですが、ブログ検索すると、さすがに札所だけあってたくさんの方が記事にされ、写真もたくさん見ることができました!!


七不思議の具体的な話は皆さま、頑張って調べて下さい……にゃ♪

このページのトップヘ