国際平和デー

2016年09月24日

秋雲便りNo.21:平和の「ぞう」

このところバタバタしついて新聞のテレビ欄さえ見ない日が続いていたのですが、9月21日は国際連合が制定した記念日(国際デー)のひとつ「国際平和デー」だったのですね。1981年にコスタリカの発案により国連総会によって制定されたそうです。なぜコスタリカからかはわかりません。(コスタリカは1949年に憲法で軍隊を放棄することを決めたのでコレに関係ある?)


当初は国連総会の通常会期の開催日である9月第3火曜日でしたが、2002年からは9月21日に固定されました。平和を呼びかける日で、国連ではこの日1日は敵対行為を停止するよう働きかけているそうです。ニュースでやっていたでしょうか? 呼びかけなくてもおだやかな日常があるのが当たり前の世界であって欲しいのですが……。


Facebookではリアクションボタンのハートマーク「超いいね」(こんなのがあるんですか!Facebookとは無縁なワタクシです)を押すと、たくさんのハートが飛び散るアニメーションが表示されて評判になっていたそうです。


先月までは、原爆忌や終戦の日など戦争に関連した記事をたくさん目にしていました。オリンピックやパラリンピックなどがあり、今は豊洲問題がメインになっていて、どこか平和に関する話題は8月だけみたいになっているような……私もそうなんですが、いつでも考えなくてはいけないことですね。


『英霊いつまで直立不動炎天下』という句があるのですが、これを読んでいろんな兵隊さんや軍人銅像について考えてしまいました。慰霊のために、彼らを忘れないために建てられたものでも、風雨にさらされる外にあるというのは……たくさんの人に知ってもらえる(見てもらえる、気にしてもらえる)けれど、今でも現世に留まり、戦っているという捉え方もあるんだと……こんなのは「ちっぽけな感傷」なんでしょうけど、せつなくなりました。



「ぞう」つながりというワケではありませんが、川崎洋さんの『象』という詩を思い出しました。“象が識らないことがらの総量と私が識らないことがらの総量とでは私の分がずっしり重い”……自分がもの知らずだと思う度にこのフレーズが浮かんできます。



『象』 川崎洋


気の合う
象 と
めぐりあいたい

象が眠っている間に
象の牙に
小鳥の絵をかきたい

象が識らないことがらの総量と
私が識らないことがらの総量とでは
私の分が
ずっしり 重い

象の前に
象の目方分の
花束を積み上げたい

象の背中に
誰も乗せないように
したい
仏陀にも
触らせないようにしたい


その具象としての
ミステリアスと
私は
生命連鎖の
どんな環に位置して
繋がっているのか





rohengram799 at 18:12|この記事のURLComments(6)
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