夕焼け

2019年05月30日

景明雲便りNo.22:赤と白

この前『ねこのずかん』を立ち読みしてきました。絵本ですね。


ねこのずかん (コドモエのえほん) >> https://i.bookmeter.com/books/13577253


私はネコを飼ったこともないし、キジトラやサビネコとか小説の中に出てきても(´・ω・`)?な人間、三毛猫くらいわかりやすいといいのに、と思いました(笑)


読書メーターの感想の中に「赤トラ」という言葉があって、赤帽さんの配達トラックを連想し、検索する時に「赤ネコ」と入力したら「放火」とか出てきて焦ったおバカさんなワタシです(-_-;)




ふはふはの白犬が来る春が来る



なんとなく、うふふ(*´ω`*)となる俳句を見つけました。 もう夏の陽気ですけど、春を待ち望んでいたあの感覚を思い出しました。


山崎照三句集『あはうどり』から。


あはうどりだけが見てきし夕焼こそ


夕焼けこそ………のあとにどんな気持ちがあるのでしょうね。アホウドリだから何を見てきたか忘れてる?(笑) いろんな想像ができますね。




では、皆さま、よい1日を♪(o・ω・)ノ))



rohengram799 at 09:06|この記事のURLComments(4)

2018年04月06日

暮歳雲便りNo.9:ガーネット

以前、釧路を舞台にした『旅籠屋あのこの』というラノベを読みました。


霧の街・釧路の幣舞橋(ぬさまいばし)を少しこえた先に、その宿はある。紺と白、二色の暖簾がゆれる古民家風の《旅籠屋あのこの》。この宿のモットーは「どんな客人も、来るもの拒まず」。そこは死者も生者も訪れる、“あの世”と“この世”を結ぶ宿だったのです~!という内容。
https://store.kadokawa.co.jp/shop/g/g321709000193/


北海道でほぼ間違いなく場所がわかるのは函館しかないワタクシ、釧路湿原という言葉は知っていてもどの場所にあるのか、うやむや・・・小学生の時にもっと地図を眺めておくべきだった! 今からでも日本地図、世界地図を買うべきかしら? いろんな観光スポットも出てくるのですが、本当にあるのか?と疑ってしまいました。いやーね(-ω-;)

その中で印象的だったのが、釧路の夕日スポットです。
https://icotto.jp/presses/11958

美しいです~こんな景色はひとりではなく、やはりだれかとふたりでみたい。だれかはだれでもいいわけではなく、やっぱり・・・( 〃▽〃)・・・と自分も相手も最大限、いえ無限大に美化し、妄想炸裂(笑)なワタクシにさらに拍車をかけた寺山修司さんの詩をお届けします。寺山さんの詩は本当に乙女そのものです。


『ガーネット』寺山修司

もしも 思い出をかためて
一つの石にすることが出来るならば
あの日二人で眺めた夕焼の空を
石にしてしまいたい と
女は手紙に書きました

その返事に 恋人が送ってよこしたのは
ガーネットの指輪でした

あかい小さなガーネットの指輪を 見つめていると
二人はいつでも
婚約した日のことを思い出すのです



4月の誕生石はダイヤモンドですが、ガーネットの赤もルビーより好きかもしれない~だれか下さい(笑)

rohengram799 at 22:39|この記事のURLComments(4)

2018年04月04日

清和雲便りNo.6:人形

♪夢を見る人形と みんな私を呼ぶの 風に揺られ 白い風船 飛んでるみたいと

昨日は田舎の月遅れのひな祭りでした。雛人形ではないけれど、伊藤つかさちゃんの「少女人形」が脳内に~。作曲は南こうせつさんでした。うん、らしいメロディです。

小林秀雄さんが昭和37年(1962年)10月に「朝日新聞」に発表した随筆『人形』、短いので全文載せます。この年はウチの兄が生まれた年。自分が作者の立場だったら、娘さんの立場だったら、夫だったら、妻だったら・・・。全く空気を読めない人間係ひとりでもいたら、と考えると恐ろしい。ただ、そこにいて、静かに穏やかに、何年経っても癒えない深い傷を当たり前のように共有する、そんな人間になりたいと思った作品でした。吉野弘さんの詩『夕焼け』の娘さんを思い出しました。



『或る時、大阪行の急行の食堂車で、遅い晩飯を食べていた。四人掛けのテーブルに、私は一人で坐っていたが、やがて、前の空席に、六十恰好の、上品な老人夫婦が腰をおろした。
細君の方は、小脇に何かを抱えて這入って来て私の向いの席に着いたのだが、袖の蔭から現れたのは、横抱きにされた、おやと思う程大きな人形であった。人形は、背広を着、ネクタイをしめ、外套を羽織って、外套と同じ縞柄の鳥打帽子を被っていた。
着附の方は未だ新しかったが、顔の方は、もうすっかり垢染みてテラテラしていた。眼元もどんよりと濁り、唇の色も槌せていた。何かの拍子に、人形は帽子を落し、これも薄汚くなった丸坊主を出した。
細君が目くばせすると、夫は、床から帽子を拾い上げ、私の目が会うと、ちょっと会釈して、車窓の釘に掛けたが、それは、子供連れで失礼とでも言いたげなこなしであった。
もはや、明らかな事である。人形は息子に違いない。それも、人形の顔から判断すれば、よほど以前の事である。一人息子は戦争で死んだのであろうか。夫は妻の乱心を鎮めるために、彼女に人形を当てがったが、以来、二度と正気には還らぬのを、こうして連れて歩いている。多分そんな事か、と私は想った。
夫は旅なれた様子で、ボーイに何かと註文していたが、今は、おだやかな顔でピールを飲んでいる。妻は、はこばれたスープを一匙すくっては、まず人形の口元に持って行き、自分の口に入れる。それを繰返している。私は、手元に引寄せていたバタ皿から、バタを取って、彼女のパン皿の上に載せた。彼女は息子にかまけていて、気が附かない。「これは恐縮」と夫が代りに礼を言った。
そこへ、大学生かと思われる娘さんが、私の隣に来て坐った。表情や挙動から、若い女性の持つ鋭敏を、私は直ぐ感じたように思った。彼女は、一と目で事を悟り、この不思議な会食に、素直に順応したようであった。私は、彼女が、私の心持まで見てしまったとさえ思った。これは、私には、彼女と同じ年頃の一人娘があるためであろうか。
細君の食事は、二人分であるから、遅々として進まない。やっとスープが終ったところである。もしかしたら、彼女は、全く正気なのかも知れない。身についてしまった習慣的行為かも知れない。とすれば、これまでになるのには、周囲の浅はかな好奇心とずい分戦わねばならなかったろう。それほど彼女の悲しみは深いのか。
異様な会食は、極く当り前に、静かに、敢えて言えぱ、和やかに終ったのだが、もし、誰かが、人形について余計な発言でもしたら、どうなったであろうか。私はそんな事を思った。』




【小林秀雄プロフィール】
http://www.shinchosha.co.jp/sp/writer/1511/



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2016年06月04日

閑雲便りNo.5:馬冷やし・尻冷やし

『馬洗ふ田川の果の夕焼(ゆやけ)雲』(岩佐東一郎)


なんかこう、のどかでそれでいてあたたかさ、懐かしさのある句だなぁと思いました。農作業が終わり、暑いし汗もかいてよごれてしまった馬の身体を、田川で洗っている……その川の流れはずっと遠くまで続いていて、西の空には夕焼雲が美しい。「今日もよく働いたね。お疲れさま」とお天道様が労ってくれているような……美しい日本の風景ですね。


「馬洗ふ」には「馬冷やす」「冷し馬」などの傍題があるそうです。「かつて瀬戸内海地方には陰暦六月一日に、ダニを洗い落とすために海で牛を洗う行事があった」という文章を読んだ記憶がありますが、『氷の朔日(こおりのついたち)』という、やはり陰暦6月1日に宮中で、冬にできた氷を氷室(ひむろ)から取り出して群臣に賜る儀式が行われていました。民間では、正月の餅を凍み餅にしておいたのをこの日に炒って食べたそうです。自分たちだけでなく、一緒に働いてくれる牛馬も労う行事でもあったのかな?と思いました。実際、そういう行事がありました。


他の地域でもあるのかもしれませんが、山形県庄内町の大野地区では、300年以上続いている伝統行事「馬冷やし」があります。この祭事は地元民のみでひっそりと行われてきたらしい。大野八幡神社にまつられている3体の“神聖”な木馬を春と秋の年2回、男児が洗い清めます。かつて存在した農耕用の馬に対する感謝と豊作、集落の平和を願う行事で、YouTubeに動画もあるのでご覧下さいませ。


加藤楸邨の『冷し馬の目がほのぼのと人を見る』という句も、信頼関係が伝わってきますね。福島で震災のために牛を置いて避難しなくてはならなかったおじいさんのことも思い出し、せつなくなりました。新宿書房からは『夢の蹄―馬をめぐるアンソロジー』(黒舘ゆうじ、室野井洋子・編 1989年)が発売されていました。今年はサル年ですが、ウマに関する本を読みたくなるかも……!!




さてさて……第239号:『橋の地蔵』さま桜雲便りNo.8:ランドセル地蔵など今までもいくつかお地蔵さんに関する記事を書いてきましたが、なんと!『尻冷やし地蔵』が……(;゜∀゜) なんか……痔になりそう!!


場所は愛知の春日井市。江戸時代初期[正保4年(1647年)]の銘があり、市内で最古の地蔵と思われる石仏。伝説としては……敵に追われた手負いの武士が清水で傷口を洗いのどをうるおしていたところ、追手に発見され討たれてしまいました。その霊を慰めるため、その清水の上に建てられたのが、このお地蔵さま。かつては台座の下から清水が湧き、水で尻を濡らしていたことからこの名があるそうです。


皆さまは、尻も冷やさず、肝も冷やさず、心がホッコリあたたかくなる出来事にたくさん出逢える土曜日になりますように(´∇`)





rohengram799 at 09:00|この記事のURLComments(4)

2015年10月28日

暁雲便りNo.12:夕焼け子焼け

『石がけに 子ども七人こしかけて ふぐをつりおり 夕焼け小焼け』(北原白秋)



白秋がこんな短歌を作っていたとは知りませんでした。海辺の石がけに、子どもが7人並んで腰かけている。これだけでも「子ども七福神」! 絵になるなぁ~と思いますが、釣っているのが「ふく」とも言われる「ふぐ」なのがまた……美しい美しい夕焼けに空も海も子どもたちもキラキラしている様子が浮かんできて、赤い光につつまれていて、子どもたちのこれからの未来に幸あれ!と思ってしまいます。



ところで、この「夕焼け子焼け」の「子焼け」はなんぞや?となりますが……北原白秋は「栗鼠栗鼠小栗鼠(りすりすこりす)」「涼風小風(すずかぜこかぜ)」「仲よし小よし」など言葉の調子を調えるみたいな感じでいくつか書いている例があるようです。《童謡謎解き ゆうやけこやけ》という記事ではちょっとそれはこじつけすぎにならないか?と個人的には考えてしまう解釈がありました。皆さまはどう考えるでしょう?


http://www.office-goda.co.jp/column/nazotoki-014.html




土曜日の夜からなんとなく調子が悪いぞ…と思っていたら、翌日にはじんましんみたいなものが全身に……でしばし体調不良で、また更新が遅くなってしまいました。もう10月も終わり、道行く人たちの服装も秋というより冬支度ですか?みたいになってきました。空気も乾燥していますし、皆さまもお身体に気をつけて下さいね。いつもありがとうございます(´∇`)




rohengram799 at 08:30|この記事のURLComments(10)
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