山内容堂

2015年05月28日

碧雲便りNo.28:クジラ酔わせてどうするつもり~(´・ω・`)?

昨日読んだ『鴨川食堂』に高知まで出掛けた話があり、おみやげに「酔鯨」「南」という日本酒を父親が買ってきていました。 昔、「女房酔わせてどうするつもり?(///∇///)」というコマーシャルがありましたが「鯨酔わせてどうするつもり(;゜∀゜)」ですわ……さすが高知ですね!←誉め言葉です!


「鯨飲馬食」という言葉がありますが、まとまった形の四字熟語はないようです。「鯨飲」は史記・范雎(ハンショ)蔡沢(サイタク)列伝に、「馬食」は杜甫の『飮中(インチュウ)八仙(ハッセン)歌』からのようです。


戦国時代、魏の人范雎が秦昭王(ショウオウ:B.C.306~B.C.251)に「遠交近攻」を献策し、王の信任を得て宰相にまで上り詰めました。魏の国にいた時、宰相の魏齊(ギセイ)と須賈(シュカ)に、今で言うならば冤罪で死ぬ目にあわされました( TДT) 須賈が秦に来た時に報復としてこんなことをしたそうです。
 
……須賈を堂下に座らせ、その前に芻(まぐさ)と豆を置き、馬のように食らわせながら、責めて言った。「魏王に告げよ。魏齊の首を持ってこい。さもないと、国都を滅ぼすぞ、と」……馬食は、ただたくさん食べるというのではなく、箸を使わず馬のように、直接口で食べるということを言っているみたいですね。犬食いというヤツでしょうか(-_-;)


「鯨飮」は唐の時代、長安では愛酒家として名の高い人物として8人が知られていましたが、杜甫の『飮中八仙歌』にそのうちのひとり、左相(サショウ)のことを「遊びに大金を使って、飲みっぷりは、鯨が川を飲み干すよう(;´д`)」だと……。中国だとナマズのイメージがありますが、クジラもどこかにいたのかしらん?



幕末の土佐藩主・山内豊信(容堂)公は、自ら「鯨海酔侯」と名乗り『昨は橋南に飲み、今日は橋北に酔う、酒あり飲むべし 吾、酔うべし』と謳い、その見事な鯨飲ぶりは、外出の際、赤ひょうたんを腰から離したことはなかったと伝えられているそうです。リッパな呑んだくれですな( ̄▽ ̄;) しかし、彼の名前を聞いても山内一豊と松平容保をあわせたような名前だ、と思う私もどうかと……(゜゜;)



http://www.suigei.jp/

http://item.rakuten.co.jp/mashidayahonten/c/0000000123/



「山鯨」という言葉がありますが、こちらはイノシシの肉。獣肉をさすことも。獣肉を食べることは禁忌であったので言い換えたワケですが、もしかしたら酒豪の奥さまの隠語だと思っている人もいるかも(^o^;)



今日は5月最後の花木ハナモク(◎-◎;) 皆さま、にぎやかに楽しくお過ごし下さいませ♪





rohengram799 at 11:31コメント(6) 
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