川崎洋
2019年11月15日
菊花雲便りNo.14:重いツバサ
新聞に「弥縫策」とあって、なんだ、これは?と思ったら、ビホウサクと読み、一時のがれに取り繕って間に合わせるための方策のことだそう。首相、来年のお花見はひっそりこっそりですかね?
さてさて、クレーの「泣いている天使」の絵を見て川崎洋さんの詩「重いつばさ」を思い出しました。岸田智史さんが歌っていましたけど、昔なので知らない人の方が多いかも。今日は七五三。子どもたちが健やかに、少しでも辛い出来事に遭わずにすむようにと祈るばかりです。
【重いつばさ】
https://sp.uta-net.com/movie/1079/
さてさて、クレーの「泣いている天使」の絵を見て川崎洋さんの詩「重いつばさ」を思い出しました。岸田智史さんが歌っていましたけど、昔なので知らない人の方が多いかも。今日は七五三。子どもたちが健やかに、少しでも辛い出来事に遭わずにすむようにと祈るばかりです。
【重いつばさ】
https://sp.uta-net.com/movie/1079/
rohengram799 at 18:15|Permalink│Comments(2)
2019年07月05日
桐月雲便りNo.4: 柵
今年の夏は涼しくなるとテレビで言っていましたが、冷夏じゃないよねぇ?と思ってしまいました。地球のあちこちで、いろんな自然災害が起こっています。宅地開発やら人間のやってきたことが遠因にあるのだろうけれど……被害が拡大しないように祈るばかりです。こういう気持ちってバカにならないと思うので。
さてさて……「移民」という言葉、自分のまわりにはそういう立場の人も係わっている人もいないのですが、この本は読んでみたいなと思いました。
6歳で「移民」になった少女が15年かけて書き上げた半生記〜『ふるさとって呼んでもいいですか』ができるまで|大月書店 @otsukishoten|note(ノート) https://note.mu/otsukishoten/n/nbaf388accd5f
川崎洋さんも好きな詩人のひとりですが、この詩は初めて知りました。柵っていったい何ですか、この言葉を繰り返している人たちがたくさんいるのでしょう。
「こちら側と向こう側」 川崎 洋
柵っていったい何ですか
柵のこちら側と向こう側だなんて
ああ可笑しい
棒杭の一本一本に
どんな意味があるんですか
並べて土に打ち込めばいいと思ってる
そうすりや
つながったような感じがするんですか
どうかしてやしませんか
何かのおまじないですか
柵って何ですか
柵のこちら側と向こう側だなんて
元来すうっと歩いていけばそれでいいのに
どうってこともないのに
柵だなんて
そればかりじゃない
柵のこちら側では喜びが
向こう側では悲しみだなんて
すうっと歩いていけば
ただそれだけの話だったのに
柵があって
向こう側へ行けば殺されてしまう
なんて
柵ってなんですか
こちら側から向こう側へ行けないなんて
そこの所でこちら側へ廻れ右
向こう側も
こちらを向いて歩いてきて
そこの所で
くるりと向こうを向く
しょうがないなあなんていいながら
柵ってなんですか
草や木が生えているのっぺらの大地に
そいつがあって それで
こっち側と向こう側
だなんて
棒杭が並んでいて
それに針金が絡まっていて
同じ位無造作に
死体が絡まっていて
向こう側とこっち側
向こうで
出ていけ
が
こっちでは
やあいらっしゃい
だなんて
柵っていったい何ですか
柵のこちら側と向こう側だなんて
さてさて……「移民」という言葉、自分のまわりにはそういう立場の人も係わっている人もいないのですが、この本は読んでみたいなと思いました。
6歳で「移民」になった少女が15年かけて書き上げた半生記〜『ふるさとって呼んでもいいですか』ができるまで|大月書店 @otsukishoten|note(ノート) https://note.mu/otsukishoten/n/nbaf388accd5f
川崎洋さんも好きな詩人のひとりですが、この詩は初めて知りました。柵っていったい何ですか、この言葉を繰り返している人たちがたくさんいるのでしょう。
「こちら側と向こう側」 川崎 洋
柵っていったい何ですか
柵のこちら側と向こう側だなんて
ああ可笑しい
棒杭の一本一本に
どんな意味があるんですか
並べて土に打ち込めばいいと思ってる
そうすりや
つながったような感じがするんですか
どうかしてやしませんか
何かのおまじないですか
柵って何ですか
柵のこちら側と向こう側だなんて
元来すうっと歩いていけばそれでいいのに
どうってこともないのに
柵だなんて
そればかりじゃない
柵のこちら側では喜びが
向こう側では悲しみだなんて
すうっと歩いていけば
ただそれだけの話だったのに
柵があって
向こう側へ行けば殺されてしまう
なんて
柵ってなんですか
こちら側から向こう側へ行けないなんて
そこの所でこちら側へ廻れ右
向こう側も
こちらを向いて歩いてきて
そこの所で
くるりと向こうを向く
しょうがないなあなんていいながら
柵ってなんですか
草や木が生えているのっぺらの大地に
そいつがあって それで
こっち側と向こう側
だなんて
棒杭が並んでいて
それに針金が絡まっていて
同じ位無造作に
死体が絡まっていて
向こう側とこっち側
向こうで
出ていけ
が
こっちでは
やあいらっしゃい
だなんて
柵っていったい何ですか
柵のこちら側と向こう側だなんて
rohengram799 at 08:40|Permalink│Comments(2)
2019年02月26日
令月雲便りNo.30:石の鐘
長野県信濃町の称名寺に鳴らない「石の鐘」が吊るされています。1941年に公布された国家総動員法にもとづく金属回収令によって、生活のなかにあるあらゆる金属類は根こそぎ回収され、称名寺の梵鐘も1942年、門信徒の手により戦地に送られました。大砲の弾丸になったとも言われているそうです。門信徒は寺の近くにあった石をそこに吊るしました。70年以上を経たいまも「石の鐘」はそのまま……しかし語らない石の鐘が雄弁に語っているのですね。
https://search.yahoo.co.jp/amp/news.livedoor.com/lite/article_detail_amp/16068507/%3Fusqp%3Dmq331AQECAEoAQ%253D%253D
『石の鐘の物語』
https://www.himitsuyadane.com/%E8%81%B4%E3%81%93%E3%81%86-%E7%9F%B3%E3%81%AE%E9%90%98%E3%81%AE%E3%83%A1%E3%83%83%E3%82%BB%E3%83%BC%E3%82%B8/
この石の鐘についてはたくさんの方がブログに書いていました。本の感想などもあります。お時間のある時にでも検索して読んでみて下さいませ。
『抹殺』
両親がいて
わたしは生まれた
それは祖父母がいてのこと
さらには曾祖父母がいてのこと
そうやって十代さかのぼると
両親を始めとする先祖の総計は
一〇二四人となる
この中の一人が欠けても
今のわたしはいなかった
戦争は
「この中の一人」を殺す
いや一人だけではない
未来の数え切れないいのちを
抹殺する
(川崎 洋)
http://www.soufusha.co.jp/kjm/shin030521.html
https://search.yahoo.co.jp/amp/news.livedoor.com/lite/article_detail_amp/16068507/%3Fusqp%3Dmq331AQECAEoAQ%253D%253D
『石の鐘の物語』
https://www.himitsuyadane.com/%E8%81%B4%E3%81%93%E3%81%86-%E7%9F%B3%E3%81%AE%E9%90%98%E3%81%AE%E3%83%A1%E3%83%83%E3%82%BB%E3%83%BC%E3%82%B8/
この石の鐘についてはたくさんの方がブログに書いていました。本の感想などもあります。お時間のある時にでも検索して読んでみて下さいませ。
『抹殺』
両親がいて
わたしは生まれた
それは祖父母がいてのこと
さらには曾祖父母がいてのこと
そうやって十代さかのぼると
両親を始めとする先祖の総計は
一〇二四人となる
この中の一人が欠けても
今のわたしはいなかった
戦争は
「この中の一人」を殺す
いや一人だけではない
未来の数え切れないいのちを
抹殺する
(川崎 洋)
http://www.soufusha.co.jp/kjm/shin030521.html
rohengram799 at 08:26|Permalink│Comments(2)
2018年03月12日
桃月雲便りNo.13:駄祭り
スーパーに行ったら「獺祭」がたくさん並んでいました。暖かい日が続いているので、お花見🌸🍶✨も早くなるかも?
前の記事に書いた入試問題には江戸時代の随筆『牛馬問(ぎゅうばもん)』からの出題もありました。て、これを検索していた時に「駄祭り」という記事を見つけました。ダサい祭りではありませんぞ!
http://www.city.chikushino.fukuoka.jp/furusato/sanpo74.htm
『牛馬問』の内容についてはわからないままです(◎-◎;)
川崎 洋さんの『 動物たちの恐ろしい夢のなかに』という短い詩で、今日はおやすみなさいませ(。-ω-)zzz
『動物たちの恐しい夢のなかに』
犬も
馬も
夢をみるらしい
動物たちの
恐しい夢のなかに
人間がいませんように
前の記事に書いた入試問題には江戸時代の随筆『牛馬問(ぎゅうばもん)』からの出題もありました。て、これを検索していた時に「駄祭り」という記事を見つけました。ダサい祭りではありませんぞ!
http://www.city.chikushino.fukuoka.jp/furusato/sanpo74.htm
『牛馬問』の内容についてはわからないままです(◎-◎;)
川崎 洋さんの『 動物たちの恐ろしい夢のなかに』という短い詩で、今日はおやすみなさいませ(。-ω-)zzz
『動物たちの恐しい夢のなかに』
犬も
馬も
夢をみるらしい
動物たちの
恐しい夢のなかに
人間がいませんように
rohengram799 at 23:27|Permalink│Comments(2)
2016年09月24日
秋雲便りNo.21:平和の「ぞう」
このところバタバタしついて新聞のテレビ欄さえ見ない日が続いていたのですが、9月21日は国際連合が制定した記念日(国際デー)のひとつ「国際平和デー」だったのですね。1981年にコスタリカの発案により国連総会によって制定されたそうです。なぜコスタリカからかはわかりません。(コスタリカは1949年に憲法で軍隊を放棄することを決めたのでコレに関係ある?)
当初は国連総会の通常会期の開催日である9月第3火曜日でしたが、2002年からは9月21日に固定されました。平和を呼びかける日で、国連ではこの日1日は敵対行為を停止するよう働きかけているそうです。ニュースでやっていたでしょうか? 呼びかけなくてもおだやかな日常があるのが当たり前の世界であって欲しいのですが……。
Facebookではリアクションボタンのハートマーク「超いいね」(こんなのがあるんですか!Facebookとは無縁なワタクシです)を押すと、たくさんのハートが飛び散るアニメーションが表示されて評判になっていたそうです。
先月までは、原爆忌や終戦の日など戦争に関連した記事をたくさん目にしていました。オリンピックやパラリンピックなどがあり、今は豊洲問題がメインになっていて、どこか平和に関する話題は8月だけみたいになっているような……私もそうなんですが、いつでも考えなくてはいけないことですね。
『英霊いつまで直立不動炎天下』という句があるのですが、これを読んでいろんな兵隊さんや軍人銅像について考えてしまいました。慰霊のために、彼らを忘れないために建てられたものでも、風雨にさらされる外にあるというのは……たくさんの人に知ってもらえる(見てもらえる、気にしてもらえる)けれど、今でも現世に留まり、戦っているという捉え方もあるんだと……こんなのは「ちっぽけな感傷」なんでしょうけど、せつなくなりました。
「ぞう」つながりというワケではありませんが、川崎洋さんの『象』という詩を思い出しました。“象が識らないことがらの総量と私が識らないことがらの総量とでは私の分がずっしり重い”……自分がもの知らずだと思う度にこのフレーズが浮かんできます。
『象』 川崎洋
象
気の合う
象 と
めぐりあいたい
象が眠っている間に
象の牙に
小鳥の絵をかきたい
象が識らないことがらの総量と
私が識らないことがらの総量とでは
私の分が
ずっしり 重い
象の前に
象の目方分の
花束を積み上げたい
象の背中に
誰も乗せないように
したい
仏陀にも
触らせないようにしたい
象
その具象としての
ミステリアスと
私は
生命連鎖の
どんな環に位置して
繋がっているのか
当初は国連総会の通常会期の開催日である9月第3火曜日でしたが、2002年からは9月21日に固定されました。平和を呼びかける日で、国連ではこの日1日は敵対行為を停止するよう働きかけているそうです。ニュースでやっていたでしょうか? 呼びかけなくてもおだやかな日常があるのが当たり前の世界であって欲しいのですが……。
Facebookではリアクションボタンのハートマーク「超いいね」(こんなのがあるんですか!Facebookとは無縁なワタクシです)を押すと、たくさんのハートが飛び散るアニメーションが表示されて評判になっていたそうです。
先月までは、原爆忌や終戦の日など戦争に関連した記事をたくさん目にしていました。オリンピックやパラリンピックなどがあり、今は豊洲問題がメインになっていて、どこか平和に関する話題は8月だけみたいになっているような……私もそうなんですが、いつでも考えなくてはいけないことですね。
『英霊いつまで直立不動炎天下』という句があるのですが、これを読んでいろんな兵隊さんや軍人銅像について考えてしまいました。慰霊のために、彼らを忘れないために建てられたものでも、風雨にさらされる外にあるというのは……たくさんの人に知ってもらえる(見てもらえる、気にしてもらえる)けれど、今でも現世に留まり、戦っているという捉え方もあるんだと……こんなのは「ちっぽけな感傷」なんでしょうけど、せつなくなりました。
「ぞう」つながりというワケではありませんが、川崎洋さんの『象』という詩を思い出しました。“象が識らないことがらの総量と私が識らないことがらの総量とでは私の分がずっしり重い”……自分がもの知らずだと思う度にこのフレーズが浮かんできます。
『象』 川崎洋
象
気の合う
象 と
めぐりあいたい
象が眠っている間に
象の牙に
小鳥の絵をかきたい
象が識らないことがらの総量と
私が識らないことがらの総量とでは
私の分が
ずっしり 重い
象の前に
象の目方分の
花束を積み上げたい
象の背中に
誰も乗せないように
したい
仏陀にも
触らせないようにしたい
象
その具象としての
ミステリアスと
私は
生命連鎖の
どんな環に位置して
繋がっているのか
rohengram799 at 18:12|Permalink│Comments(6)