広島忌

2021年08月06日

金涼雲便りNo.6:ヒロシマ神話

失われた時の頂にかけのぼって
何を見ようというのか



ずっと忘れていた、教科書に載ってた詩の冒頭を思い出しました。タイトルは『ヒロシマ神話』。作者は嵯峨信之さんという方でした。一緒に石垣りんさんの詩『私の前にある鍋とお釜と燃える火と』(*)も載っていたような気がする。こちらの授業の記事も考えさせられました。

https://komatsu3.at.webry.info/201208/article_6.html



 
嵯峨信之さんの『小さな灯』という詩も知りました。



小さな灯


人間というものは
なにか過ぎさつていくものではないか
対いあつていても
刻々に離れていることが感じられる
眼をつむると
遠い星のひかりのようになつかしい
その言葉も その微笑も
なぜかはるかな彼方からくる
二人は肩をならべて歩いている
だが明日はもうどちらかがこの世にいない
だれもかれも孤独のなかから出てきて
ひと知れず孤独のなかへ帰ってゆく
また一つ小さな灯が消えた
それをいま誰も知らない




台風が3つも発生しているという状況……どうぞ皆さま、お気をつけ下さいませ。


(*)http://www.ne.jp/asahi/choonji/namo/hanasi3-256.html



rohengram799 at 18:50コメント(0) 

2020年08月09日

親月雲便りNo.8:幸あれ

大好きな人に幸あれ 今すぐに幸あれ 日常的に幸あれ 尼崎 武



■ありきたりな世界 だけど とても貴重な毎日

https://ikkokukan.exblog.jp/3215202/




折鶴にいのち吹き込む原爆忌 平岡しづこ 


八月の拳いくつあっても足らぬ  加藤法子



rohengram799 at 00:00コメント(0) 

2019年08月06日

燕月雲便りNo.2:1945年8月6日

挨拶

  原爆の写真によせて





   あ、

   この焼けただれた顔は

   一九四五年八月六日

   その時広島にいた人

   二五万の焼けただれのひとつ



   すでに此の世にないもの

   とはいえ

   友よ

   向き合った互の顔を

   も一度見直そう

   戦火の跡もとどめぬ

   すこやかな今日の顔

   すがすがしい朝の顔を



   その顔の中に明日の表情をさがすとき

   私はりつぜんとするのだ



   地球が原爆を数百個所持して

   生と死のきわどい淵を歩くとき

   なぜそんなにも安らかに

   あなたは美しいのか

   しずかに耳を澄ませ

   何かが近づいてきはしないか

   見きわめなければならないものは目の前に

   えり分けなければならないものは

   手の中にある

   午前八時一五分は

   毎朝やってくる



   一九四五年八月六日の朝

   一瞬にして死んだ二五万人の人のすべて

   いま在る

   あなたの如く 私の如く

   やすらかに 美しく 油断していた。




石垣りん詩集『私の前にある鍋とお釜と燃える火と』より




rohengram799 at 23:51コメント(0) 

2018年08月06日

炎昼雲便りNo.19:しずかな夫婦

『この世界の片隅に』漫画は読んだけれど、アニメは見ていない私、ドラマはチラチラと見ていますが、みんなスマートでキレイ過ぎるのは仕方ないのでしょうか。「傘問答」(柿問答)時代だなぁと思いました。

https://happyrico.com/konogsekai-kakimondo/




天野忠さんの『しずかな夫婦』という詩があります。 『通勤電車で読む詩集』に収められていました。編著の小池昌代さんの

【 詩のなかに、いびきをかく女房が出てくる。いや女房とは、いびきをかく者のことを言うのだ。なにしろいつも、深く疲れているのだから。結婚とは実に面倒で厭なものだ。それは確かだが、この詩を読むと、そう言い切ることに躊躇を覚える。だが同時に、この一篇が生まれるために費やされた歳月を思って、誰もが言葉をなくすだろう。人を無口にさせる名詩だ。】

という言葉が深くしずかに心に沁みていきます。





 『しずかな夫婦 』 天野 忠


結婚よりも私は「夫婦」が好きだった。
とくにしずかな夫婦が好きだった。
結婚をひとまたぎして直ぐ
しずかな夫婦になれぬものかと思っていた。
おせっかいで心のあたたかな人がいて
私に結婚しろといった。
キモノの裾をパッパッと勇敢に蹴って歩く娘を連れて
ある日突然やってきた。
昼めし代わりにした東京ポテトの残りを新聞紙の上に置き
昨日入れたままの番茶にあわてて湯を注いだ。
下宿の鼻垂れ息子が窓から顔を出し
お見合いだ お見合いだ とはやして逃げた。
それから遠い電車道まで
初めての娘と私は ふわふわと歩いた。
-ニシンそばでもたべませんか と私は云った。
-ニシンはきらいです と娘は答えた。
そして私たちは結婚した。
おお そしていちばん感動したのは
いつもあの暗い部屋に私の帰ってくるころ
ポッと電灯の点いていることだった-
戦争がはじまってた。
祇園まつりの囃子がかすかに流れてくる晩
子供がうまれた。
次の子供がよだれを垂らしながらはい出したころ
徴用にとられた。便所で泣いた。
子供たちが手をかえ品をかえ病気をした。
ひもじさで口喧嘩も出来ず
女房はいびきをたててねた。
戦争は終った。
転々と職業をかえた。
ひもじさはつづいた。貯金はつかい果たした。
いつでも私たちはしずかな夫婦ではなかった。
貧乏と病気は律儀な奴で
年中私たちにへばりついてきた。
にもかかわらず
貧乏と病気が仲良く手助けして
私たちをにぎやかなそして相性でない夫婦にした。
子供たちは大きくなり(何をたべて育ったやら)
思い思いに デモクラチックに
遠くへ行ってしまった。
どこからか赤いチャンチャンコを呉れる年になって
夫婦はやっともとの二人になった。
三十年前夢見たしずかな夫婦ができ上がった。
-久しぶりに街へ出て と私は云った。
 ニシンそばでも喰ってこようか。
-ニシンそばは嫌いです。と
私の古い女房は答えた。

    


rohengram799 at 16:52コメント(0) 
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