徘徊

2017年04月19日

菫青雲便りNo.18:イツカ、向コウデ

仕事の休みが続いたので、本屋さんに行っていろいろ立ち読みしたり、本を買ったり読んだりしてきました。だから最近は本からの話が多くなっなっていますが、今日もです!



『幼子に 帰りし妻の 手をとりて 今も変わらじ 若き日のぬくもり』


いつから「老老介護」という言葉が使われるようになったのでしょうか・・・『八重子のハミング』(陽信孝)という、映画にもなった本を読みました。



思いもよらなかった夫婦の同時発病。夫は胃がんが発見され摘出手術。その直後、妻にアルツハイマー病の兆候が見え始めた―。その後、夫は三度のがん手術から生還する一方で、妻の症状には改善の兆しが見られなかった。自らも迫り来る死の影に怯むことなく闘病、そして献身的に妻の介護を重ねる日々…。“三十一文字のラブレター”短歌約八十首を詠み、綴った、四千日余に及んだ老老介護の軌跡。「現代の智恵子抄」とも評された話題の単行本、待望の文庫化。二〇〇二年末に他界した愛妻を偲んだ「終章」を補記。(文庫裏表紙より)




文章はとても読みやすいです。最初にぎゅっ!と手を握って歩くふたりのモノクロの写真があります。途中『智恵子抄』の一部が抜粋され、奧さまと智恵子を重ねている場面も。奧さまは次女・三女の結婚の時には症状が進んでいて、本当なら女同士でいろんな話をしたり、相談にのってもらったり、きちんと挨拶をしてお嫁入りなのに、せつないなぁと思いました。全体に奧さまへの愛があふれていて、それゆえに一緒に死んでしまおうと思ったり・・・。姑さんも徘徊を繰り返し、迷子になり近所の人が見つけてグレたら時に優しく声をかけてくれます。

「まあ、八重子さんごめんね。怪我はなかったかね。信孝がいないのはわかっていたのに、気がつかなくて、私が悪かったね」

そう言って肩を抱くようにして家の中に導いたそうです。そのお母さんも八重子さんを見送った2年後に亡くなります。近所の方々の協力、姑のやさしさ、娘婿のやさしさ、孫たちのやさしさ。親がよく言い聞かせているのでしょう、小さいのに本当にいい子たちです。


『妻の介護をしてきたことで私が強く心に感じるのは、「優しさ」と「怒り」の限界についてである。人間、怒りには限界があっても、優しさには限界がないということだ。優しさは、後から後から涌き出てくる泉のごときもので、人間が持つ肉体のすべてから醸し出されるものではないだろうか。』


『それに紙おむつをしていればそれでいいというものでもない。おむつをあてて事足れりとするのは「介護」ではなく、おむつを汚さないよう、トイレに連れていって用を足せるよう心を配るのが本物の「介護」である。』




八重子さんが息を引き取った後の場面は辛いです。だって普段と変わらずにいたのに、ほんの30分ほど洗濯物を干したりしていただけなのに、なぜ別れは突然やって来てしまうのか。解説は母親の介護経験がある落合恵子さん。長田弘さんの『イツカ、向コウデ』という詩についてふれていたので、検索してみました。今回の記事の締めくくりに・・・。





『イツカ、向コウデ』長田 弘


人生は長いと、ずっと思っていた。
間違っていた。おどろくほど短かった。
きみは、そのことに気づいていたか?

なせばなると、ずっと思っていた。
間違っていた。なしとげたものなんかない。
きみは、そのことに気づいていたか?

わかってくれるはずと、思っていた。
間違っていた。誰も何もわかってくれない。
きみは、そのことに気づいていたか?

ほんとうは、新しい定義が必要だったのだ。
生きること、楽しむこと、そして歳をとることの。
きみは、そのことに気づいていたか?

まっすぐに生きるべきだと、思っていた。
間違っていた。ひとは曲がった木のように生きる。
きみは、そのことに気づいていたか?

サヨナラ、友ヨ、イツカ、向コウデ会オウ。




rohengram799 at 09:05コメント(10)トラックバック(0) 

2016年11月27日

新雲便りNo.16:子になり親になり

バタバタしながら久々の5連勤が終わりました。すっかり2勤1休を繰り返す勤務に慣れてしまったので、疲れた〜!というよりヘンなテンションになっていたような気がします(;・∀・)



帰りの電車内で「神様のケーキを頬ばるまで」を読み終わりました。私が今、アラサー・アラフォーだったら絶対ハマっていたに違いない!という、大人の胸キュン💕な本でしたね。ただ甘いだけでなく、ちゃんと年相応の苦労も悩みもあって、もがいてあがいて、またガンバる!と前に進もうとする姿が、とても愛おしくてたまらない短編集でした。またこの方の作品を読んでみたいです。


さてさて、新聞に認知症についての記事があり、夜間の徘徊防止のためにダンナさんが奥さんの手をつないで、昼間、疲れるまでにお散歩する、というようなことが書いてありました。小さい子どもが夜更かししてなかなか寝ないので、昼間にたくさん外遊びをさせるというのを思い出しました。自分が小さい時にしてもらったことを大人になってから、自分の親や配偶者に返すんだなぁ・・・なんて考えて、しみじみしてしまいました。実際にはとても大変で、まわりの手助けや行政の援助など無しにはやっていけないと思うのですが、こういう話を出来ない見聞きしながら、自分が老いた時のことなどを考えはじめています。



11月も残りわずかになりました。皆さまもどうぞお身体に気をつけて、胸ときめく毎日をお過ごし下さいませ(*´ω`*)




rohengram799 at 23:39コメント(2) 

2015年12月27日

色雲便りNo.20:ハイカイカレンダー

年末、薬局や銀行、洋服屋さん(笑)などに行くと、昔ほどではありませんが来年のカレンダーをくれたりしますよね。


♪ひとつめくり忘れた暦が 寒そうにふるえ柱に張りついている……


これは懐かしいとんぼちゃんの『ひと足遅れの春』の歌い出しですが、○○暦(こよみ)というカレンダーもたくさん売られていますね。英語のcalendarは、毎月の最初の日を意味するラテン語「kalendae」に由来するそうで、日本語のカレンダーはこの英語からの借用語だそうです。そのカレンダーについてこんな記事を読みました。


《大安、仏滅…六曜「差別につながる」 カレンダー配布中止、大分》
大分県や佐伯市などは25日、カレンダーや冊子に大安や仏滅といった「六曜」を記載していたとして、配布中止などの対応を取ったと明らかにした。県人権・同和対策課は「科学的根拠のない迷信を信じることが差別につながる場合がある」と説明する。



えっと……よくわからないのですが、なぜこんな発想になってしまったのか? 文字が多いと印刷代が高くつくからシンプルにするよ!という方がまだ納得できるのですが……。大安とかにこだわる人は確かにいるけれど、行政がらみでそんなに気にすることなのか? 迷信による大事件が続いたのでしょうか?


カレンダーに書かれた見慣れない言葉や文字に「これはなに?」と祖父母にたずねる孫もいるでしょう。そこから会話も始まるし、その考えがどこで生まれて、どんな風に活用されてきたかとか、こだわるのはよくないと思うなら具体例をあげてそれを話せばいいし……知識を増やすきっかけにもなるのでは?と私なんかは思うのですが……。



痴呆やボケは放送禁止用語となり、認知症と変わりましたね。そして「徘徊」も……認知症の人に対して「徘徊(はいかい)」という言葉を使うのをやめる自治体や団体が全国で増えているそうです。あてもなく歩き回るという意味の「徘徊」という言葉が、認知症への誤解や偏見を招きかねないとの指摘があるため……だそうで、実際検索してみたらかなり前から「ひとり歩き」「お散歩」などに言い換えているところもたくさんありました。 厚生労働省は2004年、侮辱的な意味が含まれるなどとして「痴呆症」から「認知症」に変更しましたが、徘徊については「医学的には症状を表す言葉で、国が用語を変更する段階にはない」(担当者)と……。



「徘徊」という言葉、いろんな受け取り方があると思いますが、私は「ひとり歩き」より危機感があり、その人に注意が向けられている気がするのであえて言い換えるのはなぁ……と思っています。施設内などで入所者やその家族向けの言葉として「お散歩」とか使うのは悪くないと思いますが(ぶっちゃけて言うと、職員が私たちはこんなところまで入所している方々やその、ご家族に配慮してるんですよ~というアピール、自己満足にしか感じられない……すみません、なんの経験もないのに)対外的には「徘徊」の方がいろんな状(情)況をつたえやすい気がします。



♪母はすべてを暦に刻んで流して来たんだろう 
悲しさや苦しさはきっとあったはずなのに
運がいいとか 悪いとか 人は時々 口にするけど
めぐる暦は季節の中で漂いながら過ぎてゆく……



私の暦はどんな暦ですかね~日めくりだったら毎日グチばかりかしら……まぁ1日たてば破り捨ててしまうのでスッキリはするかも(;^_^A) 出来れば、ささやかでも美しい人生の花暦を完成させたいものです~1年一枚の大判サイズで~今のところ、51枚ですね(笑)


4月生まれだから、いろんな桜が描かれていたらいいな~なんて夢想をしていたら、休憩が終わってしまう~もうひと頑張り、仕事してきまーす(*・x・)ノ






rohengram799 at 17:23コメント(10) 
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