愛憐

2019年02月20日

令月雲便りNo.22:緑の袖

『グリーン・スリーヴス』という曲がありますが、このタイトルの「緑の袖」が何を示しているのか、いろんな説があるそうですね。袖に草の緑の葉緑素が付着している...という発想から、この女性は野外を仕事場とする娼婦だったのだ、とか(なんでそんな発想になるんだ? 私でも考えないぞ)緑は特にケルトの影響が強いイングランド北部やスコットランドでは妖精の色とされているために、この女性はすでに亡くなっているのだ、とか。こちらのブログの考察が一番スッキリ感があったのでお読み下さいませ。


https://seiko24.blog.so-net.ne.jp/2016-07-03




あと『月に吠える』というタイトルの絵を見つけたので(この話はまた後日)、萩原朔太郎の詩集にこんなのがなかったか?と検索していたら「グリーン・スリーヴス」のムフフ(*ノωノ)解釈に通じるような詩がありました。う~ん、殿方の中にはこんな気持ちが潜んでいるのでしょうか?



『愛憐』萩原朔太郎

きつと可愛いかたい歯で、
草のみどりをかみしめる女よ、
女よ、
このうす青い草のいんきで、
まんべんなくお前の顔をいろどつて、
おまへの情慾をたかぶらしめ、
しげる草むらでこつそりあそばう、
みたまへ、
ここにはつりがね草がくびをふり、
あそこではりんだうの手がしなしなと動いてゐる、
ああわたしはしつかりとお前の乳房を抱きしめる、
お前はお前で力いつぱいに私のからだを押へつける、
さうしてこの人気のない野原の中で、
わたしたちは蛇のやうなあそびをしよう、
ああ私は私できりきりとお前を可愛がつてやり、
おまへの美しい皮膚の上に、青い草の葉の汁をぬりつけてやる。




朔太郎って自分の性に悩んでいる感じの、なんだかちょっとせつない詩も書いているので、またイメージが変わってきました。



『恋を恋する人』


 わたしはくちびるにべにをぬつて、
 あたらしい白樺の幹に接吻した、
 よしんば私が美男であらうとも、
 わたしの胸にはごむまりのやうな乳房がない、
 わたしの皮膚からはきめのこまかい粉おしろいのにほひがしない、
 わたしはしなびきつた薄命男だ、
 ああ、なんといふいぢらしい男だ、
 けふのかぐはしい初夏の野原で、
 きらきらする木立の中で、
 手には空色の手ぶくろをすつぽりとはめてみた、
 腰にはこるせつとのやうなものをはめてみた、
 襟には襟おしろいのやうなものをぬりつけた、
 かうしてひつそりとしなをつくりながら、
 わたしは娘たちのするやうに、
 こころもちくびをかしげて、 
 あたらしい白樺の幹に接吻した、
 くちびるにばらいろのべにをぬつて、
 まつしろの高い樹木にすがりついた。





rohengram799 at 11:50コメント(2) 
メッセージ

名前
メール
本文
記事検索
月別アーカイブ