慟哭の家

2015年05月12日

碧雲便りNo.12:慟哭の家

台風の影響でしょうか、風がとても強いです。こちらも夕方には雨になりそう……皆さまもお気をつけ下さいませ。



~~『哭』は涙を流して声をあげる、「声涙(せいるい)相共(あいとも)に下る」という泣き方のこと。
『慟哭』この泣き方を最初にしたのは孔子で、最愛の弟子である顔回(がんかい)に先立たれた時に身も世もあらず「慟哭」(身悶えしながら哭する)したことが『論語』に書かれているそうです。~~


以前、泣き方の表現についてこんな記事を書きましたが、昨日は江上剛さんの『慟哭の家』を読みました。私は文庫で読みましたが、ポプラ社から一般書で発売される前にご本人が2013年2月8日のブログにこの本について書いていました。何年か前、ある新聞記事でダウン症の子どもとその母親を殺してしまった父親の事件を知ったことがきっかけだったそうです。


……僕は、涙が流れて仕方がなかった。
父親は僕とほぼ同じ年だ。同じ時代を生きて来て、それも真面目に生きて来てなぜ彼は子どもと妻(母親)を殺さねばならなかったのか?
僕の回りにも障害児を育てている親が何人かいる。彼らの苦しみもその記事から感じたのだ。僕の幼い頃にも回りに障害児がいた。彼らの顔も浮かんできたのだ。
僕は、折に触れ、編集者とこの父親のことを小説にしたいと話した。
拘置所で本人にも会った。事件に関する資料も少しずつ集めた。
しかし僕のイメージにわないのか、仕事としては進まなかった。
そんなときAさんという編集者が「やりましょう」と言って下さった。
それで2人で色々な人に会った。ダウン症の子どもを育てている親、医者、NPOの人たちなど…。
質問は「なぜ彼は殺したのか?殺さねばならなかったのか?」だ。取材を進めて行くうち今話題の出生前診断の問題や、いろいろな人たちの苦悩が自分の身に沁みて来た。
僕は、この小説を泣きながら書いた。……


内容はとても重くて、幼い頃に継母から虐待されて育った主人公が結婚し、子どもが生まれた。自分の理想とする威厳があり尊敬される父親、愛情深くしっかり家庭を守る母親、賢い子ども……そんな理想を描いていた主人公を現実が打ちのめす……他人に幸福を期待してはいけない、誰にも頼らず親子三人で生きていく……その決意が悲劇を招くのですが、果たして彼は本当に家族を愛していたから殺したのか、死にきれず死刑を望む彼の本心はどこにあるのか……。 



この本にはいくつかの施設や団体が出てきます。群馬にある国立の重度知的障害者総合施設という言葉を見た時には、本当にそんな施設があるのか?と思ったのですが、私が知らなかっただけでした。「国立のぞみの園は、重度の知的障害者に対する自立のための先導的かつ総合的な支援の提供、知的障害者の支援に対する調査及び研究等を行うことにより、知的障害者の福祉の向上を図ることを目的とする総合的な福祉施設です。」サイトをご覧下さい。


《独立行政法人 国立重度知的障害者総合施設のぞみの園》

http://www.nozomi.go.jp



今日の本は感想が書きにくいというか、安穏とした毎日を暮らしている私に何かを言う資格があるのかとかいろいろ考えてしまったので、紹介のみにさせていただきます。





今は《愛鳥週間》(5月10日から16日までの野鳥愛護のために設けられた週間)ですね。「キジの記事」を見つけたので、ご覧下さいませ。昔、ウチにキジの剥製がありました。私の寝ていた部屋の床の間に他の置物とゴチャゴチャに飾ってありましが、一度も触れなかったです~(((^_^;)


http://blogs.mobile.yahoo.co.jp/p/blog/myblog/content?bid=rekanazawa&id=39215761






rohengram799 at 10:26コメント(12) 
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