備忘の果実 〜オスカー戯言日記〜

ようこそ゚+(人・∀・*)+。♪ 自分の好きなこと、興味のあることをチマチマと書いています。

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今日は「1」が3つ並ぶ金曜日~年末ジャンボ宝くじの当たり確認に売り場にいそいそとお出かけしましたよ~!!……ええ、わかっていました、30枚9000円分買っても900円しか戻ってこないことは(;_;)でも今日引き換えたかったのよ(-.-)そのお金を持ってワタクシは本屋にGO!!だって今日は200円以外の中古本が半額なんですもの♪


年末年始に本を売りにきた人が多いらしく、なかなかの品揃えになっていました。本日の日付にあわせて歌野晶午さんの『正月十一日、鏡殺し』(ミステリーなのでめでたさから程遠いタイトルでスミマセン!)他合計9冊を650円で購入しました~また読み終わったら感想などぼちぼち書いていきたいと思います。


さて…昨日の新聞にですが《励まされたお年玉 優しい父の形見に》という60代の主婦の投書が載っていました。この方はダンナさまを突然亡くされたのですが、翌年のお正月から父親がお年玉をくれるようになったというのです。ご本人は当時44歳、お父さまは75歳。娘を励まし元気になってもらいたいとの親心だったのでしょう。2001年に亡くなられたそうですが、毎年お正月にはお年玉をくれたそうです。


…お年玉袋の裏面にはもらった年を記入し、すべてタンスにしまってあります。中身の現金1万円はありがたく使わせてもらいましたが、最後の1袋だけは使わずに裏面をテープで留めたまま、父の形見になってしまいました。今でも時々取り出しては、袋のふくらみをそっとなで、父の優しさを思い出します。これからもお守りとして大切にしまっておくつもりです。…


この記事を読んで日本生命コマーシャル「愛する人のために」 というシリーズで流れていた谷川俊太郎さんの詩を思い出しました。



『保険にはダイヤモンドの輝きもなければ、パソコンの便利さもありません。
けれど目に見えぬこの商品には、 人間の血が通っています。人間の未来への切ない望みがこめられています。 愛情をお金であがなうことはできません。
けれどお金に、愛情をこめることはできます、生命をふきこむことはできます。
もし愛する人のために、
お金が使われるのなら。』


コマーシャルではパソコンになっていますが、作られた時はカラーテレビだったそうです。生命保険ということで、いろんな意見があったみたいですが(私は当時全く知らなかった)「お金に、愛情をこめることはできます」というフレーズはなんとなくフム!と思ったものです。そして現在、私も母も兄も父の残してくれた「お金に形を変えた愛情」で生活しているんだ…としみじみ思いました。


お守りのお年玉、カネゴンの私の場合はポチ袋のみですが(--;)……ヒョロヒョロくんが初詣にいった時に「おばあちゃんに」とお守りを買ってきてくれてました。袋には『今年も元気でいて下さい!』のメッセージが…私の生んだ子どもとは思えない(ToT)早く母に渡しに山梨に帰らなくては…!!


うふふ、皆さま、トキさまのヒナ5羽の名前公募の話をお聞きになりまして?きっと私のようにラオウさまやケンシロウ、サウザーなどと思う輩がいるに違いありませんわ!(((^^;)でもきっと、愛とか平和とか夢や希望、宇宙とか~そんな未来に向かう名前や昔ながらの雅(みやび)な名前が選ばれるような気がします。横文字も(笑)ありかしら!?なんにせよ、健やかに成長して欲しいですね(*^^*)


健やかに…と言えば、新聞の投稿欄になかなか良い話がありました。中学男子なのですが、母親が自分の靴の中に脚下照顧】と書いたカマボコ板みたいなものを入れることがある。ある日、気になり言葉の意味を調べてみたら…というものでした。


脚下照顧(きゃっかしょうこ)とは、禅家の語で「他に向かって悟りを追求せず、まず自分の本性をよく見つめなさい」という戒めの言葉。転じて、他に向かってアレコレと理屈を言う前に、まず自分の足元を見て自分のことをよく反省すべき。また「足元に気をつけなさいよ」=「身近なことに気をつける」という意味。「脚下」は足元=(転じて)本来の自分、自分自身。「照顧」は反省しよく考える、またよくよく見る。「照顧脚下:しょうこきゃっか」ともいうそうですが、裁判の「証拠却下」に聞こえそう('~`;)


もともとのエピソード(?)は……昔、むかし、中国に法演(ほうえん)というお坊さんがいました。ある晩、3人の弟子を連れて寺に帰る時のこと、夜道に一陣の風が吹き、持っていた灯が吹き消され、真っ暗になってしまいました(;o;)そこで立ちすくむ4人。その時、法演は弟子達に質問をしました。「暗い夜に道を歩く時は明かりが必要だ。その明かりが今消えてしまった。さあお前達、この暗闇の中をどうするか言ってみなさい」と。「思いも寄らない災難に遭ってしまい、前途は暗いがどう切り抜けていく?」という意味合いを含んだ問いかけです。


1人目の仏鑑(ぶっかん)は「すべてが黒一色のこの暗闇は、逆にいえば、美しい赤い鳥が夕焼けの真っ赤な大空に舞っているようなものだ」次に仏眼という人は「真っ暗の中で、この曲がりくねった道は、まるで真っ黒な大蛇が横たわっているようである」と答えましたが、こんな必要以上に装飾された言葉は師匠にスルーされます。いくら僧職系だからって、ねぇ~アレ!?( ̄▽ ̄;)


最後に圜悟克勤(えんごこくごん)が「看脚下」と答えました。「真っ暗で危ないから、つまずかないように足元をよく見て歩きましょう」と答えたのです。この言葉に師匠は「そこだ、その通り!!」と絶賛したということです。暗い夜道で突然明かりが消えたならば、まず今ここでなすべきことは何か?それは他の余計なことは考えずに、つまずかないように足元をよく気を付けて行くということ、それしかありません。自分の足元を直しながら、我が生き方を深く反省しなさい。足元を見ると同時に、自分の至らなさ、未熟である自分に気づく、発見する。「足元を見る」ことには、こんな大事な意味があったのですよ、奥さん~バシバシ!!あ、とっくにわかっていますよね(-_-;)


投書の学生は歯医者に行った時、玄関にバラバラになっていた他の人たちの靴も揃えました。次にきた人たちもきちんと揃えてくれて、清々しい気分になったそう!自分の足元を見て反省し、次の行動に移した少年、エライぞ(^-^)/そして「きちんとしなさい」と言うだけでなく、本人にも気づかせる方法を選んだ母上、ただ者ではない(笑)お茶を習っている方なのかしら?と思いました。


長くなってしまいました~お付き合いありがとうございました。


「戦争」特集の投書欄で『無事の生還 贈り物に託す』という70代男性の記事がありました。


出征を控えた親戚の家にいったら、一握りの大豆と4~5個のクルミ、松の小枝が三方にのせられ、床の間に飾ってあったそうです。


なんでだろう?と思ってきいても大人は教えてくれない…すると3才上のお兄さんがそっと物陰で「マメは元気、クルミは帰って来る身、松は待つ」とその意味について話してくれたそうです。


元気で無事に帰って来て欲しい、ずっと待っているから…!


肉親として人として当たり前の気持ちを口にできなかった時代に何とかして伝えようとした結果の贈り物。武勲を祈り勝ち栗を持たせるとかもききますが、それも無事に帰還することを願う悲痛な想いだったのではー。


出征された方はシベリア抑留後、帰ってこられたそうです。よかったです。


戦争の功罪につき議論したり検証することも大事でしょうが、こうした声にならない気持ちを抱えて暮らしてきた人がたくさんいたことを幼い頃から伝える努力をしなくては…と思います。


今日から7月、富士山は山開き、そして富士吉田駅が富士山駅に…ちっとも嬉しくないんですけど…なんでそこまで「富士山」にこだわりあやかろうとするのか…富士吉田という地名が好きな私には理解できません。


そして新聞で読んだ「体育祭の朝美容院予約に驚き」の投書!!


修学旅行前とか入学式前に床屋さん(笑)に行くというのはありましたが(前日に切ると馴染んでなくてヘンだからね~)ステージ発表のある文化祭でなく体育祭当日ってナニ!?


投書を読むと「演目の中の創作ダンスで衣装を着て踊るため、髪形も決めたい」と高1の娘さんが言ったそうで予約時間は当日朝6時!!


これだけでも驚きなのに、この時期、体育祭向けの予約が多くて美容院は大忙しで、男子の予約も珍しくないんだそうです!!いつからそんなふうになったぁ~男子が何の必要があって美容院にいくんだ!?どんな演目なんだよぉ~!!


ちなみに投書者は新潟市の方でした。地方都市だけの話でしょうか?都内でも当たり前なのかしら?教えてほしいですぅ!!

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