時雨

2021年09月18日

鹿火雲便りNo.12:時の雨に秋の女

台風14号の影響は全くなかったという感じの我が家周辺、皆さまのところは大丈夫でしたか?


「時雨心地(しぐれごこち)」という言葉を知りました。涙が出そうな時の気持ちを伝える言葉だそうです。涙を流すことは「時雨れる(しぐれる)」というらしい。間違えて「時化る(しける)」と言ったら大変な状況ですな(^o^;)


コチラは佐藤春夫の『秋の女よ』という詩です。過去に別れた女性の面影を思い出しておセンチになっているのでしょうか? それとも妄想……? ( ̄~ ̄;)



秋の女よ


泣き濡れて、秋の女(おみな)よ
わが幻のなかに来る
泣き濡れた秋の女を
時雨だと わたしは思ふ、

泣き濡れて 秋の女よ
汝(なれ)は古城の道に去る
頸(うなじ)に柳葉がちりかゝる
枯れた蓮(はちす)を見もしない、

泣き濡れて 秋の女よ
汝があゆみは 一歩一歩
愛する者から遠ざかる
泣き濡れて 泣き濡れて

泣き濡れて 秋の女よ
わが幻のなかに去る
泣き濡れた秋の女を
時雨だとわたしは思う

一しきり わたしを泣かせ
またなぐさめて 秋の女よ
凄まじく枯れた古城の道を
わが心だと わたしは思ふ



rohengram799 at 17:00コメント(0) 

2018年10月27日

稲熟雲便りNo.28:ひょんの笛

『どうしても悲しく吹けぬ瓢の笛』( 後藤比奈夫)



瓢の笛・・・瓢箪で作った笛?(・_・;? 読み方は「ひょんのふえ」名前からして悲しい音色は想像出来ない。そして、その形状も想像出来ないので検索してみました。こういうモノなのですね。


https://blogs.yahoo.co.jp/biroochana/44861074.html?__ysp=44Gy44KH44KT44Gu56yb

http://haikumeikyu.seesaa.net/article/390272915.html




「木の実時雨」という言葉がありました。時雨(しぐれ)は秋の末から冬の初めにかけて、ぱらぱらと通り雨のように降るのこと。あまり大きい実では風情、情緒がなさそう(笑)


https://blogs.yahoo.co.jp/hoppyannnahimoattayona/41481080.html?__ysp=5pyo44Gu5a6f5pmC6Zuo



rohengram799 at 07:39コメント(2) 

2016年06月09日

閑雲便りNo.13:胸の泉に

「時雨(ジウ)」という言葉があります。ほどよいときに降る恵みの雨……今日はまとまった雨が降るのかな?と思いましたが、今のところその気配はなし……農作物にも影響がありそうですね。 



さてさて、前の記事『戦地の図書館』については私の覚書みたいなもので「こんな本があるのか」で頭のすみにおいてもらえたらいいかな、という感覚なのですが、今回のはずっと覚えておいていただきたいと思っています。



6月末になると《ハンセン病を正しく理解する週間》が実施されます。ハンセン病に対する正しい知識の普及に努め、ハンセン病療養所入所者等の福祉の増進を図ることを目的に、6月25日を含めた週の日曜日から土曜日までを毎年実施してきています。なぜこの日なのか等ハンセン病関連記事については桜雲便りNo.7:「あん」の火曜日を読んでいただけたら……m(__)m


塔和子(とう・かずこ、本名・井土 ヤツ子(いづち やつこ/1929年8月31日~ 2013年8月28日)さんという詩方の詩を偶然ブログで知りました。ハンセン病の元患者さんで13歳から83歳で病没されるまで、四国の大島青松園という所で暮らしていました。ダンナ様も同じ患者さんでした。子どもを望むことは許されませんでした。



『涙』

あるとき
死のうと思った私が夫に
「一生懸命なのよ」と言うと
夫は
「同じ一生懸命になるのなら
生きることに一生懸命になってくれ
がむしゃらに生きようではないか」
と言ってくれた
私は目が覚めたように
そうだと思った
どんなに懸命に生きたとしても
永遠に続いている時間の中の
一瞬を
闇から浮き上がって
姿あらしめられているだけだ
   いのち
   この愛(いと)けないもの
思いっきりわが身を抱きしめると
きゅっと
涙が
にじみ出た



記事タイトルにした『胸の泉に』はこちらのブログでお読み下さい。(*)

http://blogs.mobile.yahoo.co.jp/p/blog/myblog/content?bid=kenmochibunko3&id=7927208




『アリバイ』

深い目で
今日生きていたのかと問われると
どうも生きてはいなかった
ようなのです

では
死んでいたのかと問われると
どうも死んでもいなかった
ようなのです

足跡を探しに出かけたけど
どこにもなかった

ふと
暗い庭を見ると
洗濯物がひらひらしていて
やっと今日のアリバイを
思い出した

私はたしかに
洗濯をして
干したのでした

それは
この洗濯物がわずかに
証明してくれます

信頼する
わたしの神様
どうか
生きていたのだという証明書を
一枚だけ私に下さい

そうしないと私は
この過剰な時代の中に
埋もれてしまいそうなのです




思春期には「死にたいなぁ」とよく考えていたし、今でも恵まれているのに、ついつい不平不満や愚痴をこぼしてしまう私です。こうして「生きる」ことに対して真摯である(あった)人たちにお叱りをうけながら、また頑張ろうのです。


たくさんの詩に込められた想いをすべて共有したり共感出来るなんて思い上がった考えはありませんが、また伝えていくことは出来るし、しなくてはいけないし……決意表明みたいな意味もありこうして書いているのかもしれません(; ̄ー ̄A



次の記事はまたおとぼけおやぢになっている可能性大!ですが、読んでいただいてありがとうございました。




(*) サイト閉鎖により記事は読めなくなっていました。コチラでお読み下さいませ。

http://www.peace-create.bz-office.net/k_toukazuko3.htm


rohengram799 at 15:23コメント(8) 
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