晩夏光

2016年04月06日

暮雲便りNo.6:長いお別れ~花いちもんめ

今日は踊り子さんに休んでいただいて、日本医療小説大賞(日医主催、厚生労働省後援、新潮社協力)についてのお話を。


「国民の医療や医療制度に対する興味を喚起する小説を顕彰することで、医療関係者と国民とのより良い信頼関係の構築を図り、日本の医療に対する国民の理解と共感を得ること及び、わが国の活字文化の推進に寄与すること」を目的として創設したもので、今月1日に第5回日本医療小説大賞(日本医師会主催)が決まりました。


中島京子さんの『長いお別れ』です。中島さんの本は映画化された『小さいおうち』と「スカイツリーと東京タワーの往復書簡」という言葉にひかれて買った『眺望絶佳』の2冊を読んでいますが、この受賞作も前書評を読んで気になっていました。


ちなみに第1回(平成24年度)の受賞作品は「蠅の帝国 軍医たちの黙示録」「蛍の航跡 軍医たちの黙示録」(帚木蓬生)。戦時下の食料や医薬品が欠乏する過酷な状況で、陸海軍将兵や民間人への医療活動を懸命に続けていた医師たちの物語。こちらも新聞で読んで気になっていて、文庫本をBOOK・OFFで見つけて買ったのですが、積ん読状態になっております……(O.O;)(oo;)


さてさて……“ロング・グッドバイ”は少しずつ記憶を失くして、ゆっくりゆっくり遠ざかって行く……認知症をアメリカではこう表現するらしいです。『長いお別れ』というとすぐチャンドラーが浮かんでしまいますが、中島さんの小説も認知症のお話。厚生労働省は国内における認知症患者が2025年には700万人に及ぶと言っているそう……65歳以上の高齢者のうち5人に1人が、と思うと、誰にでもどこの家庭でも直面し得る身近で切実な問題です。



主人公の昇平は3年前に初期のアルツハイマー型認知症と診断。かつて区立中学の校長や公立図書館の館長を務めていた彼はその夏、東京郊外の自宅から都心で開かれた高校の同窓会の会場に、たどり着けなかったのです……混乱した様子で帰宅した姿を見て妻が認知症外来に連れていって検査をし判明しました。なかなか検査を受けるまでいかないとききますから、このお父さんは素直だったのかも? 認知症と診断されてからの老夫婦と3人の娘とその家族の日常、10年間が計8編の連作で描かれているそうです。


認知症という言葉がまだ使われていなかったと思うのですが、ダンナさんと付き合っていた頃『花いちもんめ』という映画を観ました(検索したら1985年公開でしたわ)。もと大学教授の鷹野冬吉は、めまいがもとで勤務先の松江歴史史料館で大事な縄文土器を床に落として破損してしまいます。やがて勇退を勧告されたのですが、その事を妻には言えず……毎朝弁当を手にあてのない出勤を繰り返していました。ここでも3人の子どもが登場します。『リア王』を意識しているのではないのでしょうけど。


冬吉は家庭で介護が難しくなり、精神病院に入れられてしまうのですが、ベッドに拘束され……ダンナさんが「あれはかわいそうだよ…」とつぶやいたのをよく覚えています。花いちもんめ(1985年/日本)にあらすじなど書いてありますので、読んでみて下さいませ。



中島さんの物語でも、昇平はゆっくりと少しずつ理解できないことが増えていって、想い出も家族の名前さえも忘れ、食事や排泄といった日常生活にも介助が必要になります。奥さんは網膜剥離で入院したり、より深刻な事態に。でも奥さんはこう思うのだと書いてありました。


「この人が何かを忘れてしまったからといって、この人以外の何者かに変わってしまったわけではない。 ええ、夫はわたしのことを忘れてしまいましたとも。で、それが何か?」


樹木希林さんの声で再生されてしまった……! しかし、自分が忘れてしまう立場になったら……にじ雲便りNo.9:忘れものを忘れたい(ノ_・,)で書いたの物語の母親のように「私ね 少し前まで何だかとても恐いものがあって……何か忘れてしまったけれど でも今は違う 今は…この日差しのような心持ちなの」と言えるのかしら?



いつかこの『長いお別れ』を手にし、一冊読み終えたら、私は何を感じ何を記事にするでしょう……まだまだ感性が鈍らないうちに、いろんな物事を考えられるうちに読んでおかなくてはいけないのかな、と思いました。 





rohengram799 at 09:55|この記事のURLComments(12)

2014年01月10日

にじ雲便りNo.9:忘れものを忘れたい(ノ_・,)

今日はまた一段と寒いですね! 最近はずっと鼻がつまっている感じ……そして確かに買ったはずのものをどこかに忘れてきているらしく……そろそろヤバイかも(;゜∇゜)


この前は鶏肉のつみれとスープの素がなかった(~_~;)買い物かごに入れてレジに行った記憶はあるのですが、袋に詰めたか不明(・_・?)でもスーパーのかごには何もなかったのは覚えているんです。帰宅して冷蔵庫に他の品物を入れた時にないような気がする……になり、あちこち見たけどナイ!!ダンナの車で行ったのでそこにあるのかなぁ?とノンキに思って確認もせず何日か過ぎた今日、またやってしまった!


コンビニで買ったダンナの酒が1本ナイ……2本買ったのに。他にはお茶とおむすび。思いあたるのはバスの中に置き忘れ!袋が小さくて(リュックは他で買い物したものでいっぱいで中に入れられなかった)横にしたりしてたからコロンとしてしまったかも……ポッケには文庫本やPASMOがあっていてムダに動いたのが悪かったのか( ̄~ ̄;)


この前わた雲便りNo.24:銀河のワルツ(追記:蕎麦ばった)で書いた『ふるさと銀河線』のマンガ版を買ったのですが、このマンガの感じは好きです~読んでいて胸がいっぱいになってしまった(´∇`) その中にアルツハイマーになった母親が出てくる話があります。だんだん物忘れがひどくなってきて、受診したら…かつて介護していた姑のことを思い出して、自分もあんなふうになってしまうのかと…。息子家族に迷惑はかけられない!と自分は忘れないようにノートにメモして忘れたら読んで……と遠方で暮らす息子たちに気づかれないよう努力するのですが、やっぱり限界がきました。


施設の庭のベンチに座わるふたり、息子だとわからなくなったお母さんと静かに語らいます。


「今は? 春?」
「夏の終わりです」
「そう なら晩夏光ね」
「え?」
「ほら あの太陽 真夏のギラギラした陽差しに比べてやわらかでまろみのある光でしょう? まるで今の私みたい…」


そうしてこう言っておだやかにほほえむのです。


「私ね 少し前まで何だかとても恐いものがあって……何か忘れてしまったけれど でも今は違う 今は…この日差しのような心持ちなの」



乙羽信子さんが存命なら映画で見たい作品ですが、自分はどうなるんだろう、もし認知症になり、記憶が曖昧になり、子どもたちがわからなくなっても、人としての美しさを一部でも保っていられるかしら…と考えてしまいました。



あと寺山修司の『幸福が遠すぎたら』をタイトルにした作品が最初にあるのですが、年齢も近いこともあり、マンガで読んでまた・゜・(つД`)・゜・でありました。



『幸福が遠すぎたら』


さよならだけが
人生ならば
また来る春は何だろう
はるかなはるかな地の果てに
咲いてる野の百合何だろう

さよならだけが
人生ならば
めぐりあう日は何だろう
やさしいやさしい夕焼けと
ふたりの愛は何だろう

さよならだけが
人生ならば
建てたわが家は何だろう
さみしいさみしい平原に
ともす灯りは何だろう

さよならだけが
人生ならば
人生なんか いりません




rohengram799 at 22:22|この記事のURLComments(8)
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