東京大空襲
2023年03月10日
柳絮雲便りNo.6:甘い生活
今日は東京大空襲から78年。
53の演目が「禁演落語」として封印された一方で、
「産めよ増やせよ」のスローガンに沿った「子宝部隊長」、「隣組」の重要性を訴えた「隣り組の奥さん」、貯蓄や債券購入、献金を奨励する「女夫(めおと)貯金」などの国策落語が生まれた戦時中。「芝浜」も改作されて「新芝浜」に。
今は「自由」という名前の元に芸能人、政治家、皇族……あらゆる出来事、人物に悪質な言動が目立つようになってきました。ネットの匿名性からでしょうか、親の仇ですか?というくらいに信じられない言葉を見聞きすることも……嘆かわしいです。
◆甘い生活
今日は3月10日なので砂糖の日だわ、と野口五郎さんの「甘い生活」を懐かしく思い返して、以前も解体替え歌もどきを手直ししたりして🥸 字数はあっているかしらん?
https://www.uta-net.com/movie/348/
子どもが食べない 大量のお菓子は
見ないままでいればよかった
ダイエットするんだから!と強く心に
誓ったのは今年で何度め
“一口食べればそれで満足”と
手に取ったのが間違いだったわ
大福にチョコレート ポテチ
やめられない とまらない
決意は砂糖の城ね
3日も持たず 欲望に溶けていく
気温が高くなり薄着の季節に〜いろいろヤバいわ💦
「甘い生活」というタイトルの歌がいくつかあって、その中でも奥村チヨさんのはかなりのインパクトがありました(☉。☉)! 「終着駅」とか好きだったけど、この歌は知らなかったです。
甘い生活 奥村チヨ
https://www.uta-net.com/song/104704/
皆さま、今夜もWBCをご覧になるのかしらん? 昨晩、ダンナさんが叫んでうるさかった……勝つのは嬉しいことですが😅
53の演目が「禁演落語」として封印された一方で、
「産めよ増やせよ」のスローガンに沿った「子宝部隊長」、「隣組」の重要性を訴えた「隣り組の奥さん」、貯蓄や債券購入、献金を奨励する「女夫(めおと)貯金」などの国策落語が生まれた戦時中。「芝浜」も改作されて「新芝浜」に。
今は「自由」という名前の元に芸能人、政治家、皇族……あらゆる出来事、人物に悪質な言動が目立つようになってきました。ネットの匿名性からでしょうか、親の仇ですか?というくらいに信じられない言葉を見聞きすることも……嘆かわしいです。
◆甘い生活
今日は3月10日なので砂糖の日だわ、と野口五郎さんの「甘い生活」を懐かしく思い返して、以前も解体替え歌もどきを手直ししたりして🥸 字数はあっているかしらん?
https://www.uta-net.com/movie/348/
子どもが食べない 大量のお菓子は
見ないままでいればよかった
ダイエットするんだから!と強く心に
誓ったのは今年で何度め
“一口食べればそれで満足”と
手に取ったのが間違いだったわ
大福にチョコレート ポテチ
やめられない とまらない
決意は砂糖の城ね
3日も持たず 欲望に溶けていく
気温が高くなり薄着の季節に〜いろいろヤバいわ💦
「甘い生活」というタイトルの歌がいくつかあって、その中でも奥村チヨさんのはかなりのインパクトがありました(☉。☉)! 「終着駅」とか好きだったけど、この歌は知らなかったです。
甘い生活 奥村チヨ
https://www.uta-net.com/song/104704/
皆さま、今夜もWBCをご覧になるのかしらん? 昨晩、ダンナさんが叫んでうるさかった……勝つのは嬉しいことですが😅
rohengram799 at 15:45|この記事のURL│Comments(6)
2022年03月15日
春和雲便りNo 9.:『生きるかなしみ』
おはようございます。昨日はアツかった〜半袖の小学生も見かけました。関東地方、お彼岸には桜の開花宣言があるかもしれませんね。
10日は東京大空襲、11日は東日本大震災……9日が語呂合わせの「ありがとうの日」だけにその後に続く出来事になんとも言えない気持ちになります。コロナの影響もありますが、皇族の方々の慰霊祭参列がなくなり……若者への記憶の継承、発信ということも含めて来年は愛子さまに参列していただけたら、などと考えてしまいます。しかし、相変わらず週刊誌の皇室関連記事の見出しは酷い(他の内容もですが)……持ち上げたり貶めたり。何が真実かはわからないですけど(´-ω-`)
東京新聞のコラム記事に「銀河鉄道の夜」を引用した記事がありました。
https://www.tokyo-np.co.jp/article/164940?rct=hissen
最後の『幸せとは勇気を持って人のために生きること、だろうか。それはきっと、星になった人のためでもいい。』が沁みます。 読売新聞の「編集手帳」にあたるものが東京新聞の「筆洗(ひっせん)」なのですね。以前の記事も読めるのが有り難いです。
宮沢賢治というと『生きるかなしみ』(*)に弟の清六の文章も載っていました。
………………
吹雪はいつか静かになって、みちのくの野山には、いましんしんと雪が積もっているようだ。
こんな晩にも、第三紀の四次元世界のイギリス海岸では、怪鳥の群が飛びめぐり、幾条もの飛竜は空に馳せ上り、怪鳥はつかんで来たものを投げつけたりしているのであろうか。
まことのことばはうしなわれ
雲はちぎれてそらをとぶ
ああかがやきの四月の底を
はぎしり燃えてゆききする
おれはひとりの修羅なのだ
と、唾(つばき)し歯軋り叫んだ兄はいまどこで何をしているのだろうか。
(P72 〜73)
…………………
『生きるかなしみ』には戦争体験の話もいくつかあって、いろいろ考えさせられました。
(*)https://www.chikumashobo.co.jp/product/9784480029430/
https://epi-w.at.webry.info/200712/article_4.html
10日は東京大空襲、11日は東日本大震災……9日が語呂合わせの「ありがとうの日」だけにその後に続く出来事になんとも言えない気持ちになります。コロナの影響もありますが、皇族の方々の慰霊祭参列がなくなり……若者への記憶の継承、発信ということも含めて来年は愛子さまに参列していただけたら、などと考えてしまいます。しかし、相変わらず週刊誌の皇室関連記事の見出しは酷い(他の内容もですが)……持ち上げたり貶めたり。何が真実かはわからないですけど(´-ω-`)
東京新聞のコラム記事に「銀河鉄道の夜」を引用した記事がありました。
https://www.tokyo-np.co.jp/article/164940?rct=hissen
最後の『幸せとは勇気を持って人のために生きること、だろうか。それはきっと、星になった人のためでもいい。』が沁みます。 読売新聞の「編集手帳」にあたるものが東京新聞の「筆洗(ひっせん)」なのですね。以前の記事も読めるのが有り難いです。
宮沢賢治というと『生きるかなしみ』(*)に弟の清六の文章も載っていました。
………………
吹雪はいつか静かになって、みちのくの野山には、いましんしんと雪が積もっているようだ。
こんな晩にも、第三紀の四次元世界のイギリス海岸では、怪鳥の群が飛びめぐり、幾条もの飛竜は空に馳せ上り、怪鳥はつかんで来たものを投げつけたりしているのであろうか。
まことのことばはうしなわれ
雲はちぎれてそらをとぶ
ああかがやきの四月の底を
はぎしり燃えてゆききする
おれはひとりの修羅なのだ
と、唾(つばき)し歯軋り叫んだ兄はいまどこで何をしているのだろうか。
(P72 〜73)
…………………
『生きるかなしみ』には戦争体験の話もいくつかあって、いろいろ考えさせられました。
(*)https://www.chikumashobo.co.jp/product/9784480029430/
https://epi-w.at.webry.info/200712/article_4.html
rohengram799 at 06:55|この記事のURL│Comments(2)
2017年08月22日
竹春雲便りNo.19:蛍の唄
昨日は早乙女勝元さんの『蛍の唄』を読みました。作者の早乙女さんは1932(昭和7)年、東京生れ。’45年3月10日、12歳で東京大空襲を経験しています。
戦後45年目の夏。高校2年生のゆかりの伯母・咲子は空襲で焦げた電柱の前で見失った我が子を待ち続けていた。夏休みの課題として「戦争追体験」をまとめるように担任から言われたゆかり。両親や身近な人たちから、それぞれの体験をきいて、原稿用紙10枚以上にまとめる・・・ゆかりは伯母の戦争体験を聞こうとするが、父の勇太から猛反対を受ける。昭和20年3月10日、東京大空襲、この時に何があったのか。伯母の交通事故をきっかけに、父親はようやく話をするのですが…。『戦争と青春』を改題したそうです。
なんかねぇ…東京大空襲の悲劇よりも、それを聞き出そうとするゆかりの態度にムカつくというか、身近な人たちから話を聞くことを強要するような課題って私はイヤなのですわ。語らないことがすでに語っているだろって思ってしまうのです。無理矢理話をさせる以上は、きちんと責任を持ってその人の想い、人生を背負う覚悟を持てよ、と思ってしまうのです。戦争に関する本を何冊読もう!みたいな課題ではダメなのかなぁって思ってしまう。『八月の青い蝶』でも原爆についての話を云々というのがあり、担任と口論する父親が出てきましたが、当事者には語りたくないことってたくさんあるだろうし、話して心情をどれだけ汲み取ってもらえるか、不安だと思う。
ここからはネタバレになりますか、咲子は近くの学生さんと恋におちるのです。ゆかりたちにしたら、もう自分とそう変わらない年での恋物語にキャーキャーですよ、それが結婚という形に落ち着くことがなく…。
「そんでさ、別離のあと、いとしい風見青年は北海道へとトンズラよ。すると、残された娘のところに、目付きの悪いデカがやってきたのね。お前と卑怯者(召集令状を無視)とのデートを見た者がいるんだ、やつはどこへ逃げたか。知りませんといっているうち、男はなんとか鉱山で、憲兵隊に見つかってババンと殺されちゃう。そのあと、じとじと雨ばかり降る臼ぐらい日の午後、おばさんは、愛の一粒種を産んだってわけ」
「そのおばさんとやら、恋したときは、女学生だって?」
なんか自分の大切な時間をこんな風に姪が友だちに話しているなんて、イヤじゃないですか? 芸能人のゴシップと同じ扱いのように思えてしまう。
父親がいない赤ちゃんを産み育てることになり、まわりからは非国民と言われ、咲子の年の離れた弟・勇次もいじめをうける結果になる。咲子の過言は勇次の過去でもあり、封印していたその他の辛い記憶を思い出すことになる。いつかは話さなければいけないと思っていたかも知れないけれど、これがリアルな感想なのかもしれないけれど…なんかむなしいというか。
夏休みが終わってレポートを提出する場面、担任もこの咲子の話に結果的にかかわることになったのだけれど、ちょっと軽くない?って思ってしまった。
この本の前に『小さいそれがいるところ 根室本線・狩勝の事件録 』(綾見洋介)を読んだのですが、それがアレだったとはΣ(゚◇゚;)でした~妖精さんじゃなかった(; ̄ー ̄A
戦後45年目の夏。高校2年生のゆかりの伯母・咲子は空襲で焦げた電柱の前で見失った我が子を待ち続けていた。夏休みの課題として「戦争追体験」をまとめるように担任から言われたゆかり。両親や身近な人たちから、それぞれの体験をきいて、原稿用紙10枚以上にまとめる・・・ゆかりは伯母の戦争体験を聞こうとするが、父の勇太から猛反対を受ける。昭和20年3月10日、東京大空襲、この時に何があったのか。伯母の交通事故をきっかけに、父親はようやく話をするのですが…。『戦争と青春』を改題したそうです。
なんかねぇ…東京大空襲の悲劇よりも、それを聞き出そうとするゆかりの態度にムカつくというか、身近な人たちから話を聞くことを強要するような課題って私はイヤなのですわ。語らないことがすでに語っているだろって思ってしまうのです。無理矢理話をさせる以上は、きちんと責任を持ってその人の想い、人生を背負う覚悟を持てよ、と思ってしまうのです。戦争に関する本を何冊読もう!みたいな課題ではダメなのかなぁって思ってしまう。『八月の青い蝶』でも原爆についての話を云々というのがあり、担任と口論する父親が出てきましたが、当事者には語りたくないことってたくさんあるだろうし、話して心情をどれだけ汲み取ってもらえるか、不安だと思う。
ここからはネタバレになりますか、咲子は近くの学生さんと恋におちるのです。ゆかりたちにしたら、もう自分とそう変わらない年での恋物語にキャーキャーですよ、それが結婚という形に落ち着くことがなく…。
「そんでさ、別離のあと、いとしい風見青年は北海道へとトンズラよ。すると、残された娘のところに、目付きの悪いデカがやってきたのね。お前と卑怯者(召集令状を無視)とのデートを見た者がいるんだ、やつはどこへ逃げたか。知りませんといっているうち、男はなんとか鉱山で、憲兵隊に見つかってババンと殺されちゃう。そのあと、じとじと雨ばかり降る臼ぐらい日の午後、おばさんは、愛の一粒種を産んだってわけ」
「そのおばさんとやら、恋したときは、女学生だって?」
なんか自分の大切な時間をこんな風に姪が友だちに話しているなんて、イヤじゃないですか? 芸能人のゴシップと同じ扱いのように思えてしまう。
父親がいない赤ちゃんを産み育てることになり、まわりからは非国民と言われ、咲子の年の離れた弟・勇次もいじめをうける結果になる。咲子の過言は勇次の過去でもあり、封印していたその他の辛い記憶を思い出すことになる。いつかは話さなければいけないと思っていたかも知れないけれど、これがリアルな感想なのかもしれないけれど…なんかむなしいというか。
夏休みが終わってレポートを提出する場面、担任もこの咲子の話に結果的にかかわることになったのだけれど、ちょっと軽くない?って思ってしまった。
この本の前に『小さいそれがいるところ 根室本線・狩勝の事件録 』(綾見洋介)を読んだのですが、それがアレだったとはΣ(゚◇゚;)でした~妖精さんじゃなかった(; ̄ー ̄A
rohengram799 at 13:45|この記事のURL│Comments(2)
2016年06月12日
閑雲便りNo.17:百年経っても笑えない話
♪禁じられても 逢いたいの~ は懐メロになってしまいますが、閑雲便りNo.12:戦地の図書館に猫ムスメ様からこんなコメントをいただきました。
戦時中、落語にも【禁演落語】がありました。主に廓話や泥棒モノが国によって禁じられ、浅草の「はなし塚」に封じられたそうです。 逆に【国策落語】もあり、これは完全に新作。出征や特攻を讃えた内容で、全く笑える代物ではなかったそうです。
私は古谷三敏さんのマンガ『寄席芸人伝』を読んでいたのですが「禁演落語」と「はなし塚」については描いてあった!とはっきり記憶しているのですが「国策落語」は全くなくて……もしかしたらその話も描いてあったのに自分が忘れているのかもしれません。手元になくなってからだいぶ経つので確認も出来ず、残念ですが『はなし家たちの戦争 禁演落語と国策落語』(柏木新)という本が出版されているのですね。
当時のスローガン《産めよ殖やせよ》をテーマにつくられた『子宝部隊長』という落語があったそうで、これがまたひどい……!!
「何が無理だ。産めよ殖やせよ、子宝部隊長だ。国策線に順応して、人的資源を確保する。それが吾れ吾れの急務だ。兵隊さんになる男の子を、一日でも早く生むことが、お国の為につくす一つの仕事だとしたら、子供を産まない女なんか、意義がないぞ。お前がどうしても男の子を産まないんなら、国策に違反するスパイ行動として、憲兵へ訴えるぞ」
落語家林家三平さんが3月1日に、祖父の故・七代目林家正蔵さんが創作した落語《出征祝》を台東区のホールで約70年ぶりに口演したそうですね。全然知らなかった……。 「出征祝」を知ったのは昨年夏ごろ。家族の歴史をたどるテレビ番組に出演した際、スタッフが集めた資料の中に台本があったそうです。「台本に目を通して、はっとした。おじいちゃんの言葉じゃない…。検閲を受けて直されて。それでも祖父は、生きていくためにやらざるを得なかったんですよね」……父親で「昭和の爆笑王」と呼ばれた初代林家三平は特攻隊要員だったそうです。戦争末期は米軍の上陸に備え千葉県の海岸にいて、火薬を付けた竹やりで戦車を突いて自爆する役目だった、と。母の海老名香葉子さんは東京大空襲のことを語り継いでいます。
《出征祝》ですが、店の若旦那に召集令状が届き、大旦那や番頭が歓送会の準備をするという内容。
「めでたいね、皇紀2600年とせがれの出征が重なった。店の者全部の名で国防献金をしよう」などと言い始めた大旦那。「なんでも好きなものを食ってくれ」と店の者に言うと、それぞれ口々に食べたいものを挙げ始めます。
「(ビフ)テキが食べたい」
「テキはいけないね、ぜいたくはテキだからね」
「じゃあ、トンカツはいかがでしょう」
「いいだろう。テキにカツだから」
「お酒も呑んでかまいませんか」
「いいとも、ちゃんと一升で二本買ってある」
「縁起がいいや」
日本で一勝、というオチらしいのですが……これはいくら噺のうまい師匠が演じても、笑えないし、仮におやじギャグ的なものにクスッとなったとしても、笑っていいのか困りますよね……。当時、この噺を聴いた人はどのくらいいたのでしょう。そしてどんな気分になったのか……。
『寄席芸人伝』について、どんなものかを知りたい方は寄席芸人伝についてや下記の記事をお読み下さい。
http://www.geocities.co.jp/Bookend-Akiko/6209/1999.10.24.htm
戦時中、落語にも【禁演落語】がありました。主に廓話や泥棒モノが国によって禁じられ、浅草の「はなし塚」に封じられたそうです。 逆に【国策落語】もあり、これは完全に新作。出征や特攻を讃えた内容で、全く笑える代物ではなかったそうです。
私は古谷三敏さんのマンガ『寄席芸人伝』を読んでいたのですが「禁演落語」と「はなし塚」については描いてあった!とはっきり記憶しているのですが「国策落語」は全くなくて……もしかしたらその話も描いてあったのに自分が忘れているのかもしれません。手元になくなってからだいぶ経つので確認も出来ず、残念ですが『はなし家たちの戦争 禁演落語と国策落語』(柏木新)という本が出版されているのですね。
当時のスローガン《産めよ殖やせよ》をテーマにつくられた『子宝部隊長』という落語があったそうで、これがまたひどい……!!
「何が無理だ。産めよ殖やせよ、子宝部隊長だ。国策線に順応して、人的資源を確保する。それが吾れ吾れの急務だ。兵隊さんになる男の子を、一日でも早く生むことが、お国の為につくす一つの仕事だとしたら、子供を産まない女なんか、意義がないぞ。お前がどうしても男の子を産まないんなら、国策に違反するスパイ行動として、憲兵へ訴えるぞ」
落語家林家三平さんが3月1日に、祖父の故・七代目林家正蔵さんが創作した落語《出征祝》を台東区のホールで約70年ぶりに口演したそうですね。全然知らなかった……。 「出征祝」を知ったのは昨年夏ごろ。家族の歴史をたどるテレビ番組に出演した際、スタッフが集めた資料の中に台本があったそうです。「台本に目を通して、はっとした。おじいちゃんの言葉じゃない…。検閲を受けて直されて。それでも祖父は、生きていくためにやらざるを得なかったんですよね」……父親で「昭和の爆笑王」と呼ばれた初代林家三平は特攻隊要員だったそうです。戦争末期は米軍の上陸に備え千葉県の海岸にいて、火薬を付けた竹やりで戦車を突いて自爆する役目だった、と。母の海老名香葉子さんは東京大空襲のことを語り継いでいます。
《出征祝》ですが、店の若旦那に召集令状が届き、大旦那や番頭が歓送会の準備をするという内容。
「めでたいね、皇紀2600年とせがれの出征が重なった。店の者全部の名で国防献金をしよう」などと言い始めた大旦那。「なんでも好きなものを食ってくれ」と店の者に言うと、それぞれ口々に食べたいものを挙げ始めます。
「(ビフ)テキが食べたい」
「テキはいけないね、ぜいたくはテキだからね」
「じゃあ、トンカツはいかがでしょう」
「いいだろう。テキにカツだから」
「お酒も呑んでかまいませんか」
「いいとも、ちゃんと一升で二本買ってある」
「縁起がいいや」
日本で一勝、というオチらしいのですが……これはいくら噺のうまい師匠が演じても、笑えないし、仮におやじギャグ的なものにクスッとなったとしても、笑っていいのか困りますよね……。当時、この噺を聴いた人はどのくらいいたのでしょう。そしてどんな気分になったのか……。
『寄席芸人伝』について、どんなものかを知りたい方は寄席芸人伝についてや下記の記事をお読み下さい。
http://www.geocities.co.jp/Bookend-Akiko/6209/1999.10.24.htm
rohengram799 at 12:53|この記事のURL│Comments(10)