正岡子規

2019年11月14日

菊花雲便りNo.13:シキと雲とセミと

正岡子規が

「春雲は綿の如し」

「夏雲は岩の如し」

「秋雲は砂の如し」

「冬雲は鉛の如し」

という言葉(詩?)を書いていたらしい。

https://search.yahoo.co.jp/amp/s/gamp.ameblo.jp/tombo0131/entry-12279404207.html%3Fusqp%3Dmq331AQOKAGYAfu2oPrOrOjz2wE%253D


秋雲が砂、というのはうろこ雲のことではないかと……うん、確かに砂紋(風紋)っぽいかも。

http://weather.jal.co.jp/seasonal/10/seasonal_10e.html


鳳凰も麒麟も雌雄を表していますが、翡翠の「翡」はカワセミのオスを「翠」はメスのことを意味すると言われているそうです。

【カワセミ】
https://namamono-moratorium.com/kawasemi-2728



『風と雲と虹と』………ってあったなぁ、と思ってタイトルをつけましたが、センスないな(´Д` ) そして脳内に流れるのはチューリップの ♪虹とスニーカーの頃 だったりする木曜日🌷

https://www.uta-net.com/movie/3498/




rohengram799 at 11:20コメント(4) 

2019年11月07日

菊花雲便りNo.7:ケイトウ

今は昔ながらのいかにもニワトリのトサカ🐓状態のケイトウの花を見ることが少なくなったような気がします。
https://www.hana300.com/keitou.html


花にまつわる話はギリシャ神話が多い気がしますが、ケイトウ(鶏頭)に関わる中国の民話を知りました。

『鶏化して花となる』

山里に年取った母親と息子が二人で暮らしていました。二人は雄鶏を飼っていて、ある日、息子は山道で泣いていた美しい娘を家に連れ帰ります。雄鶏は激しく鳴いて娘を追い返そうとします。雄鶏が余り娘を嫌うので、息子は翌朝早く娘を村へ送って行くことにしました。

その途中、娘は鬼女の姿に変わり息子に襲いかかったのです。お約束(?)でしょうか、娘の正体は山奥に棲む大ムカデの精でした。大ムカデの精は口から毒の炎を吐いて息子を襲いますが、後をつけてきた雄鶏が立ち向かいます。雄鶏は死闘の末、大ムカデを倒しましたが、雄鶏自身も力尽きて死んでしまいました😖💦 息子は自分を守って死んだ雄鶏に感謝し丁寧に埋葬しました。

やがて、そこから芽が出て、鶏の鶏冠によく似た花が咲いたのです。人々は、主人に忠実で勇敢だったあの雄鶏の生まれ変わりに違いないと思い、その花を鶏冠花と呼ぶようになったそうです。


忠義者の犬ではなく雄鶏……雌鳥ではトサカ🐓がないからダメなのね。でもたまご🥚を産むしなぁ。



ケイトウを詠んだ俳句に正岡子規の

「鶏頭の十四五本もありぬべし」 

がありますが、子規が明治33年の重陽の節句で詠んだ句だそう。子規の家に時々見舞いに訪れていた長塚節が、斎藤茂吉に「この句がわかる俳人は今は居まい。」と話したことから論議が始まり、斎藤茂吉や評論家の山本健吉がこの句を賛美したそうです。「だから何?」とか「なぜこの本数?」「菊の節句になぜケイトウ?」とか単純にいろんな疑問が浮かぶ俳句ではありますね(^^;)(;^^)



rohengram799 at 00:00コメント(2) 

2018年09月23日

菊咲雲便りNo.13:おかれきし

少し前の新聞、読者投稿の文芸欄に「お彼岸」を「おかれきし」とよんだ孫が内定をもらった、ということを詠んだ歌が載っていました。なんというか・・・(´-ω-`)



「さびしさは秋の彼岸のみづすまし」(飯田龍太)

秋の彼岸が季語(ただの彼岸は春の季語)ですが、
みづすましは、夏の季語。季語が二つある季重りというヤツですが、そんなことを言うのは不粋でしょうねぇ。みづすまし以外のナニモノにもこのさびしさ、侘しさや切なさは出せない気がします。



「梨腹も牡丹餅腹も彼岸かな 」( 正岡子規)


この子規の俳句、好きです(*´∀`)




気温の変化が大きいです。皆さま、ご自愛下さいませ。




rohengram799 at 17:28コメント(4) 

2018年09月13日

菊咲雲便りNo.7:秋の・・・

下書き記事がたくさんあるので、少しずつ整理しているけれど、よくわからないもの多くて(^^;)(;^^) この「ブルーエルフィン」もタイトルは忘れたけれど、読んだ本の中に出てきて気になり調べたのだと思います。


http://www.teych.com/11ghana-14.html



俳句には秋の蝶(あきのちょう)」という季語があります。そのまま「秋に見かける蝶」のことで類義語・類語に「秋蝶」「しじみ蝶」などがあるとか。
他にも「秋の蚊」や「秋の蝿」「秋の蝉」なども。なんとなく「秋の」とつくと、夕暮れ時のもの悲しさ、心細さを感じますね。


「秋の蚊のよろよろと来て人を刺す」


正岡子規の俳句です。「秋の蚊」には「残る蚊」「別れ蚊」「蚊の名残」といった類語がありました。長く病床にいた子規の句だと思うと、ヨロヨロしながらも、命を繋げようとする姿が(本能なんでしょうが)とても尊いものに思えてきます。



今年は暑すぎたからか、蚊に刺されてカユイ!と思った記憶がないワタクシです。セミの鳴き声もあまり聞かなかったな( ´~`)



rohengram799 at 16:27コメント(0) 

2017年12月13日

暮歳雲便りNo.13:夕顔別当(ゆうがおべっとう)

『交尾長き夕顔別当掃き立つな』(大石悦子)



以前「大根配り」という季語の話を書きましたが、この俳句の季語も「夕顔」ではなく「夕顔別当」になるんだそうです。



夕顔別当・・・交尾という言葉から虫かな、という見当はつきますが、.セスジスズメ、 エビガラスズメなどの異称。 一言でいえば「蛾」ですわ・・・夜間に活動し、夕顔などにやってきて花にとまらずに蜜を 吸う。 幼虫は芋虫の代表で、円筒形かつ無毛、尾角をもち草木の葉を食害する。写真はキモ過ぎるので、美しいイラストでご覧下さい。このくらいなら大丈夫(笑)


http://yaemugura.hatenablog.jp/entry/2016/06/29/224558




夕顔の近くで交尾している虫たち、あまりの長さにイライラしてガサガサバサバサ、ホウキを動かして掃除をするんじゃないよ、別当さん(召し使い的な人?)という意味にとらえてしまいがちですが、夕顔別当の営みに、虫の本能、種の保存、といったものに思いをはせる晩夏、という感じでしょうか?



蛾なんて、私にはキモいだけですが・・・この季語が詠まれ始めたのは大正以降らしいです。ドナルド・キーン氏によれば、アメリカ人は蛾を美しいと思うらしい。中国でも美人の眉や三日月の形容に「蛾眉(がび)」という言葉を使いますよね。う~ん、何を美とするか、それぞれですね。





さてさて、ホンモノ(?)の花の「夕顔」を詠んだ句もたくさんありますが、与謝蕪村のこの句の猫のしぐさは・・・可愛らしいとゆるせる範囲でしょうか?



『夕顔の花噛む猫や余所(よそ)ごころ』 


ぼんやりと、心ここになく(=余所ごころ)夢見るように夕顔の花を噛む猫。日本画の題材になりそうですが、時期が違うと『おそろしや石垣崩す猫の恋』(正岡子規)になるのですね(≧▽≦)



【夕顔】

http://hananokotoba.com/yuugao/



rohengram799 at 09:10コメント(6) 
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