正岡子規

2023年09月12日

からあい雲便りNo.9:詩嚢高尚⁠ \⁠(⁠◉⁠‿⁠◉⁠)⁠/⁠

おはようございます🐥


新聞で詩嚢(しのう)という言葉を知りました。そのまま受け取れば詩(を書いた紙など)を入れる(た)袋という意味になるのでしょうが、転じて詩人が詩を作るもととなる詩想や感情のことを言うようです。

この言葉が使われている作品には『如何なる星の下に 』(高見順)『曙覧の歌』(正岡子規)があり、あー、どちらも長そう😅と思って読む気はないのですが、子規の「曙覧」はアケミってこういう漢字もあるのか〜人名?と検索したところ、橘曙覧という人物だとわかりました。

【橘曙覧】
https://www.showa-k.net/works/works02.php

【橘曙覧記念文学館】
https://zenbunkyo.com/member?id=93


こちらは神田古本屋街のお店検索をしていた時に見つけた武者小路実篤の直筆原稿。マス目の真ん中より右側によっているのが書き癖なんでしょうか?
https://www.kosho.or.jp/products/detail.php?product_id=480456287


詩嚢黴びさせてはならず眼鏡拭く  辻田克巳(※)


この俳句を読んで「士農工商」ならぬ「詩嚢高尚」という文字が浮かんだのでタイトルにしてしまいました😅

詩心が湧くような秋空というよりまだ夏と秋が共存しているような空模様ですが、どうぞよい1日になりますように🐦🐦🐦




(※)
辻田克巳(つじた かつみ、1931年〈昭和6年〉3月28日 - 2022年〈令和4年〉8月24日)


rohengram799 at 08:35|この記事のURLComments(8)

2019年11月14日

菊花雲便りNo.13:シキと雲とセミと

正岡子規が

「春雲は綿の如し」

「夏雲は岩の如し」

「秋雲は砂の如し」

「冬雲は鉛の如し」

という言葉(詩?)を書いていたらしい。

https://search.yahoo.co.jp/amp/s/gamp.ameblo.jp/tombo0131/entry-12279404207.html%3Fusqp%3Dmq331AQOKAGYAfu2oPrOrOjz2wE%253D


秋雲が砂、というのはうろこ雲のことではないかと……うん、確かに砂紋(風紋)っぽいかも。

http://weather.jal.co.jp/seasonal/10/seasonal_10e.html


鳳凰も麒麟も雌雄を表していますが、翡翠の「翡」はカワセミのオスを「翠」はメスのことを意味すると言われているそうです。

【カワセミ】
https://namamono-moratorium.com/kawasemi-2728



『風と雲と虹と』………ってあったなぁ、と思ってタイトルをつけましたが、センスないな(´Д` ) そして脳内に流れるのはチューリップの ♪虹とスニーカーの頃 だったりする木曜日🌷

https://www.uta-net.com/movie/3498/



rohengram799 at 11:20|この記事のURLComments(4)

2019年11月07日

菊花雲便りNo.7:ケイトウ

今は昔ながらのいかにもニワトリのトサカ🐓状態のケイトウの花を見ることが少なくなったような気がします。
https://www.hana300.com/keitou.html


花にまつわる話はギリシャ神話が多い気がしますが、ケイトウ(鶏頭)に関わる中国の民話を知りました。

『鶏化して花となる』

山里に年取った母親と息子が二人で暮らしていました。二人は雄鶏を飼っていて、ある日、息子は山道で泣いていた美しい娘を家に連れ帰ります。雄鶏は激しく鳴いて娘を追い返そうとします。雄鶏が余り娘を嫌うので、息子は翌朝早く娘を村へ送って行くことにしました。

その途中、娘は鬼女の姿に変わり息子に襲いかかったのです。お約束(?)でしょうか、娘の正体は山奥に棲む大ムカデの精でした。大ムカデの精は口から毒の炎を吐いて息子を襲いますが、後をつけてきた雄鶏が立ち向かいます。雄鶏は死闘の末、大ムカデを倒しましたが、雄鶏自身も力尽きて死んでしまいました😖💦 息子は自分を守って死んだ雄鶏に感謝し丁寧に埋葬しました。

やがて、そこから芽が出て、鶏の鶏冠によく似た花が咲いたのです。人々は、主人に忠実で勇敢だったあの雄鶏の生まれ変わりに違いないと思い、その花を鶏冠花と呼ぶようになったそうです。


忠義者の犬ではなく雄鶏……雌鳥ではトサカ🐓がないからダメなのね。でもたまご🥚を産むしなぁ。



ケイトウを詠んだ俳句に正岡子規の

「鶏頭の十四五本もありぬべし」 

がありますが、子規が明治33年の重陽の節句で詠んだ句だそう。子規の家に時々見舞いに訪れていた長塚節が、斎藤茂吉に「この句がわかる俳人は今は居まい。」と話したことから論議が始まり、斎藤茂吉や評論家の山本健吉がこの句を賛美したそうです。「だから何?」とか「なぜこの本数?」「菊の節句になぜケイトウ?」とか単純にいろんな疑問が浮かぶ俳句ではありますね(^^;)(;^^)


rohengram799 at 00:00|この記事のURLComments(2)

2018年09月23日

菊咲雲便りNo.13:おかれきし

少し前の新聞、読者投稿の文芸欄に「お彼岸」を「おかれきし」とよんだ孫が内定をもらった、ということを詠んだ歌が載っていました。なんというか・・・(´-ω-`)



「さびしさは秋の彼岸のみづすまし」(飯田龍太)

秋の彼岸が季語(ただの彼岸は春の季語)ですが、
みづすましは、夏の季語。季語が二つある季重りというヤツですが、そんなことを言うのは不粋でしょうねぇ。みづすまし以外のナニモノにもこのさびしさ、侘しさや切なさは出せない気がします。



「梨腹も牡丹餅腹も彼岸かな 」( 正岡子規)


この子規の俳句、好きです(*´∀`)




気温の変化が大きいです。皆さま、ご自愛下さいませ。



rohengram799 at 17:28|この記事のURLComments(4)

2018年09月13日

菊咲雲便りNo.7:秋の・・・

下書き記事がたくさんあるので、少しずつ整理しているけれど、よくわからないもの多くて(^^;)(;^^) この「ブルーエルフィン」もタイトルは忘れたけれど、読んだ本の中に出てきて気になり調べたのだと思います。


http://www.teych.com/11ghana-14.html



俳句には秋の蝶(あきのちょう)」という季語があります。そのまま「秋に見かける蝶」のことで類義語・類語に「秋蝶」「しじみ蝶」などがあるとか。
他にも「秋の蚊」や「秋の蝿」「秋の蝉」なども。なんとなく「秋の」とつくと、夕暮れ時のもの悲しさ、心細さを感じますね。


「秋の蚊のよろよろと来て人を刺す」


正岡子規の俳句です。「秋の蚊」には「残る蚊」「別れ蚊」「蚊の名残」といった類語がありました。長く病床にいた子規の句だと思うと、ヨロヨロしながらも、命を繋げようとする姿が(本能なんでしょうが)とても尊いものに思えてきます。



今年は暑すぎたからか、蚊に刺されてカユイ!と思った記憶がないワタクシです。セミの鳴き声もあまり聞かなかったな( ´~`)


rohengram799 at 16:27|この記事のURLComments(0)
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