正岡子規

2017年12月13日

暮歳雲便りNo.13:夕顔別当(ゆうがおべっとう)

『交尾長き夕顔別当掃き立つな』(大石悦子)



以前「大根配り」という季語の話を書きましたが、この俳句の季語も「夕顔」ではなく「夕顔別当」になるんだそうです。



夕顔別当・・・交尾という言葉から虫かな、という見当はつきますが、.セスジスズメ、 エビガラスズメなどの異称。 一言でいえば「蛾」ですわ・・・夜間に活動し、夕顔などにやってきて花にとまらずに蜜を 吸う。 幼虫は芋虫の代表で、円筒形かつ無毛、尾角をもち草木の葉を食害する。写真はキモ過ぎるので、美しいイラストでご覧下さい。このくらいなら大丈夫(笑)


http://yaemugura.hatenablog.jp/entry/2016/06/29/224558




夕顔の近くで交尾している虫たち、あまりの長さにイライラしてガサガサバサバサ、ホウキを動かして掃除をするんじゃないよ、別当さん(召し使い的な人?)という意味にとらえてしまいがちですが、夕顔別当の営みに、虫の本能、種の保存、といったものに思いをはせる晩夏、という感じでしょうか?



蛾なんて、私にはキモいだけですが・・・この季語が詠まれ始めたのは大正以降らしいです。ドナルド・キーン氏によれば、アメリカ人は蛾を美しいと思うらしい。中国でも美人の眉や三日月の形容に「蛾眉(がび)」という言葉を使いますよね。う~ん、何を美とするか、それぞれですね。





さてさて、ホンモノ(?)の花の「夕顔」を詠んだ句もたくさんありますが、与謝蕪村のこの句の猫のしぐさは・・・可愛らしいとゆるせる範囲でしょうか?



『夕顔の花噛む猫や余所(よそ)ごころ』 


ぼんやりと、心ここになく(=余所ごころ)夢見るように夕顔の花を噛む猫。日本画の題材になりそうですが、時期が違うと『おそろしや石垣崩す猫の恋』(正岡子規)になるのですね(≧▽≦)



【夕顔】

http://hananokotoba.com/yuugao/



rohengram799 at 09:10コメント(6) 

2015年03月21日

咲雲便りNo.21:春彼岸

昨年末、二十四節気をテーマに24人の作家が描く『君と過ごす季節 秋から冬へ、12の暦物語』(飛鳥井千砂、小川糸、山崎ナオコーラ、柚木麻子ほか)と『君と過ごす季節 春から夏へ、12の暦物語』(大崎梢、大島真寿美、西加奈子、藤谷治ほか)を買っていたのですが、なんとなく読むタイミングを逃していました……本当は「立春」から読みはじめたかったのですが、体調がイマイチの時期でもあったので……今日は「春分の日」Niceタイミング!と勝手に思って“春から夏へ、12の暦物語”の方から読むことに……!!


「立春」「雨水」「啓蟄」「春分」ときて(どれも読みやすく面白いです)次は4月の「清明」ですが、このまま全部読むか、来月まで待つかとへんなところで悩んでいます( ̄▽ ̄;)



『かあちゃんよ今はどのへん春彼岸』(五島治人)

『母の魂(たま)梅に遊んで夜は還る』(桂 信子)

母が亡くなってから二度目の春彼岸です。紅白の梅の木をバックに笑っている母の写真を飾っているので、桂さんの句を見つけた時は嬉しかったです。父と一緒に旅行することなどほとんどなかった母ですが、今はふたりで自由にあちこち旅をしているのかなぁ……と全く親孝行をしなかったワタクシは都合よく考えたりしています←でないと悲しくて仕方ないのでお許し下さい(^o^;) 桂さんの句にはきっと違う意味があるとは思いつつ……今の私はこんな気持ちで味わいました。



有名な俳人というと教科書に必ず載っている正岡子規や高浜虚子など思い浮かぶのではないかと……しかし『毎年よ彼岸の入に寒いのは』(子規)や『牡丹餅に夕飯遅き彼岸かな』(虚子)などという日常のなにげない出来事を詠んだ作品は、そのへんのおっちゃんのひとりごとではないかと思ってしまいますね~!! ただの彼岸は秋の季語になりますが、春彼岸でも納得の一句ですわ。虚子には「いったいアナタは何個食べのよ~」とツッコミを入れたくなったり……イヤイヤ、牡丹餅を作るのが大変で(お寺やご近所の分とか)夕飯の準備が遅くなったのかも?とか…夕飯のおかずを少なくするために(もっと言えば夕飯はナシでもいいように)女性陣は牡丹餅をたくさん作ったのかも?……なんて考えたりして←そんなことをするのはお前くらいだ!!と言われそう(O.O;)(oo;)



季節がいくつ巡ってもアタマの中は「常に春爛漫」なおやぢ、心は「秘密の花園」、いつでも皆さまが増築・改築しまくりのカオスな「空のお城」(笑)に来て下さるのをお待ちしています。どうぞおだやかなよい1日になりますように。





rohengram799 at 09:00コメント(8) 

2015年02月22日

氷雲便りNo.14:ニン・ニン・ニン

今日は「2」が3つ並び、ニャンニャンニャンもしくはニャーニャーニャーで『ネコの日』と考えるのが普通だと思いますが、「忍」が3つの「人間、辛抱だ!」がアタマにうかぶおやぢであります。実際は辛抱なんて~という甘ちゃんでありますが、1日中♪だけど…忍ぶという字は難しい 心に刃を乗せるのね~時々心がいたむのは 刃が暴れるせいなのね~と因幡晃の『冬忍(すいかづら)』がリフレインでありました(; ̄ー ̄A


「忍」の文字を漢和辞典で調べていたら「忍び音」なる言葉が……そう言えば『夏は来ぬ』の歌詞に♪卯の花の匂う垣根に 時鳥(ほととぎす)、早も来鳴きて 忍音(しのびね)もらす、夏は来ぬ~ってあるなぁと……国語辞書では①あたりをはばかるようにひそやかな声②人知れず泣くこと。声をおさえて泣くこと③ほととぎすの初音。声をひそめるように鳴く……で、ほととぎすに関しては三番目の意味合いでした。この言葉はホトトギスだけに使われるのか? 謎のままですが、昔はこの忍び音をとても珍重たようで『枕草子』には初音を人より早く聞こうと夜を徹して待つ様が描かれているそうです。また知らなかったのですが(知らないことばかりだわ)「子規」ってはホトトギスの漢語的表現のひとつなんだそうです。


「忍び音」を検索していたら笠間書院から『しのびね・しら露』(中世王朝物語全集)というのがありました。この中世王朝物語というのは、平安時代末期に成立したが、その後散逸した王朝物語、ないしは南北朝時代に成立した前者の改作本のことをいうようです。典型的な悲恋遁世譚とされていて「しのびね」は悲恋に「しのび泣く」姫君を表すのではないかと。

全集には(何冊あるかはわからない)『恋路ゆかしき大将』というのもあって、これは「恋路と端山・花染の三人の貴公子の、生涯の伴侶を求める物語」なんだそう。また『山路の露』は『源氏物語』夢浮橋巻の続編!で作者未詳!! 私は源氏物語の浮舟と薫の関係とかわからないのですが(読んだことがない。大和和紀さんのマンガも途中までしか読んでいない)《中世の源氏愛好者が生み出した浮舟と薫の「その後」の物語》だそうで……なんか同人レディみたい!と思ってしまいました(^◇^) 続きが読みたいのに作者が逝去(または遅筆)でムリ、もしくは展開が気に入らない、ラストが気に入らない、だったら私が書(描)いちゃうみたいな………理想のカップリングに満足している乙女の姿が見えるような……男性ももちろんいたでしょうが、ものすごく親近感を覚えました(≧▽≦)


今日は森沢明夫さんの『海を抱いたビー玉』を読んでいます。なぜか八木重吉さんのこの詩を思い出しました。皆さまも素敵な『心の旅』の毎日でありますように(*´∀`)


《心よ》

こころよ
では いっておいで

しかし
また もどっておいでね

やっぱり
ここが いいのだに

こころよ
では 行っておいで






rohengram799 at 21:38コメント(8) 

2013年01月01日

くじら雲便りNo.1:「克己」掲揚~ココロ新たにp(^^)q

新しい年が始まりました。皆さま、いかがお過ごしでしょうか?『正月の人あつまりし落語かな』は子規の句でありますが、落語以外の娯楽にも人々は集まるようですな~お昼頃からだんだん混んできました(--;)元旦くらい家でゴロゴロしていたらいいのに…!!


今年は巳年ですね。オタ息子は年男でございます!!「ヘビ女」は小さい頃に兄とその友だちと一緒に映画館で見た記憶がありますが(白黒だった!!)「ヘビ男」とかもあるんでしょうか?思い出すのはスネークマンショーとかコブラ使いとかなんですけど(((^^;)


実際、ヘビを目撃した回数は1回くらいしかない私、もし今どこかで出逢ってしまったら「見つめ合うと素直におしゃべりできない」…イヤイヤ、声がでないと思います( ̄▽ ̄;)


そうそう「サバ」から「くじら」に変わりました~今年から「くじら雲便り」です!←そのために『凍りのくじら』(辻村深月)を買ったのに(!?)まだ手付かずのまま…。タイトルに使った「克己」の意味は「自分の感情・欲望・邪念などにうちかつこと」です。ワタクシには大変な試練でありますが、目標として高く掲げてみました!←元旦なので「国旗掲揚」にもかけてみましたf(^_^;


クジラのような(!?)ヘビー級のパンチで、おやぢ心に潜む「邪念婆(ジャネンバ)」を倒していきたいと思います(^^)v今年最初の記事にご訪問ありがとうございました。またよろしくお願いいたします!!



※前の記事のお返事遅れます。ごめんなさい。たくさんのご挨拶ありがとうございました。




rohengram799 at 18:00コメント(22)トラックバック(0) 

2012年10月26日

あかね雲便りNo.192:嘘の色

今日は《柿の日》だそうですな~正岡子規が例の「柿」の句を詠んだ日だからだそうで(((^^;)


『柿たわわ きれいな嘘が あるような』(坪内稔典)


この「きれいな嘘」って真っ赤な嘘に対抗したのかな?って思いました。柿の実のあのなんとも言えない渋いオレンジ色というのか~アレは小娘のすぐバレるようなウソではなく、人生経験を積んだ飲み屋のおかみさんが相手のことを思ってつく嘘のような気がします。本当は好きなんだけど「ごめんなさい、待っている人がいるの…」だからあなたとはお付き合いできないわ、みたいな(^.^)


こんな妄想竹をスクスク育てているワタクシも、あと半年したら誕生日がやってきます。来年のことをいうと鬼が笑うなんて言いますが、怒られないならいいや(^-^)50歳を一区切りに考えている私、先日『あちこちを修繕しつつ使いいる廃棄間近き機械ぞ我は』(首藤隆司)という短歌を見つけて「私もこんな状態かも(;´д`)」とため息……多分更年期なんでしょう、最近は耳鳴りの回数が増えました。オタ息子には「カチカチやめたらよくなるよ~」と言われていますが「イヤだ~!!」と返事をしています。


そうそう、今度から父の書いた俳句もどきや戯れ言には「涼雲」(りょううん)を、ワタクシの駄作には「恵雲」(けいうん)と書かせていただくことにしました。ひとつよろしくお願いいたしますm(__)m


『嘘の色 選べるものなら柿色に とろりと残る罪の甘さ』(恵雲)


皆さま、楽しい週末を(*^^*)




rohengram799 at 20:50コメント(14) 
メッセージ

名前
メール
本文
記事検索
月別アーカイブ