歳時記

2023年02月03日

萌揺雲便りNo.3:3度目

こんにちは🐥 今日は節分ですね。夕飯は恵方巻一択!買い物がラクだわ😆


さてさて、noteで見つけた村山由佳さんの『記憶の歳時記』というエッセイ、【睦月】真冬の阿呆(前編)で気になる文章がありました。 


私と〈背の君〉、共通の祖母を持つ身であるからして、育った家は別々でも馴染なじんだ味は同じなのだ。


ダンナさんのことを〈背の君〉と呼んでいるのか〜(文章中だけかもしれないが)と思ったのはまぁ普通の感想で、気になったのが次の「共通の祖母」……(・・?  山村由佳さんはイトコと再婚されていたのですね。これが3度目の結婚…あまり作家さんのプライベートには関心がないので、同い年だと知ってまたビックリ(⁠☉⁠。⁠☉⁠)⁠!
     
『はつ恋』という小説にハナとトキヲというカップルが出てきたのですが、ハナがトキヲと喧嘩して彼につかみかかるなど暴走する場面は実話だそうで……読み返したくなりました(笑)

【note】
https://hb.homesha.co.jp/n/nd540bce8f560

【はつ恋】
https://ddnavi.com/interview/505260/a/



明日の立春から本格的に2023年が始まる✨らしいですね〜おだやかでしあわせを感じる毎日でありますように。ではヾ⁠(⁠・⁠ω⁠・⁠*⁠)⁠ノ





rohengram799 at 10:20コメント(4) 

2022年11月08日

水霜雲便りNo.5∶「はじめ」の火曜日

おはようございます☀

上空で散り散りになるちぎれ雲 神もむしゃくしゃするんだろうな

昨日(11/07)の読売歌壇で俵万智さんが選んだ一首。 投稿者は神戸市の方。出雲での会議も荒模様だったと聞きますし、神さまもいろいろあるに違いない!


そして昨日は立冬でしたね。すっかり忘れていました。でもせっかくだからとアタマを働かせ、短歌を作ってみました(笑)

歳時記にふたりの名前を見つけたぞ
オレ冬「はじめ」ヤツ「はると」なり

「冬初め」「冬はじめ」は文字通り♪冬が始まるよ~な時期。「春隣り」は♪どこかで春が生まれてる〜な、もうすぐ冬が終わって春が来るよ~な時期。まぁ「はじめ」ちゃんは四季を通していつも一番になれる名前ですね。「はじめちゃんが一番!」という漫画もありました。読んだことないけど⁠(^_^;)
https://shogakukan-comic.jp/book?jdcn=091331810000d0000000

「はじめ」に使える人名漢字には「玄」「統」「新」などがありました。一字でなんとカッコいいのでしょうか(⁠๑⁠˙⁠❥⁠˙⁠๑⁠) まだ飽きずにnoteにはちょっと違うパターンをつぶやきました。BL短歌にならないように気をつけたつもり(_ _;)


今夜は「皆既月食&天王星食」だとか…天文マニアにはたまらない夜になりそう✨
https://www3.nhk.or.jp/news/html/20221107/k10013883111000.html


ではでは、おだやかなよい1日になりますように(⁠。⁠・⁠ω⁠・⁠。⁠)⁠ノ⁠




rohengram799 at 10:20コメント(4) 

2021年04月20日

純陽雲便りNo.17:音の歳時記

昼間と朝晩の気温差が大きくて、季節もなんだか先に先にと進んでいるようで、いろんな情報も混沌・混濁しているようで……いろんなことから置いてかれているように感じるワタクシです(´・ω・`; )


「音の歳時記」という詩があります。皆さまの生まれた月の音はどんな響きでしょうか?




「音の歳時記」 那珂太郎(*)


一月 しいん

石のいのりに似て 野も丘も木木もしいんとしづまる
白い未知の頁 しいんーとは無音の幻聴
それは森閑の森か 深沈の深か
それとも新のこころ 震の気配か
やがて純白のやははだの奥から
地の鼓動がきこえてくる

二月 ぴしり

突然氷の巨大な鏡がひび割れる
ぴしり、ときさらぎの明けがた
何ものかの投げたれきのつけた傷?
凍湖の皮膚にはしる鎌いたち?
ぴしりーそれはきびしいカ行音の寒気のなか
やがてくる季節の前ぶれの音

三月 たふたふ

雪解の水をあつめて 渓川は滔々と音たてて流れはじめる
くだるにつれ川股に若草が萌え土筆が立ち
滔々たる水はたふたふと和らぎ
光はみなぎりあふれる
野にとどくころ流れはいっそう緩やかに
たぷたぷ たぷたぷ みぎはの草を浸すだらう

四月 ひらひら

かろやかにひらひら 白いノオトとフレアアがめくれる
ひらひら 野こえ丘こえ蝶のまぼろしが飛ぶ
ひらひら 空の花びら桃いろのなみだが舞ひちる
ひらひら ひらひら 緩慢な風 はるの羽音

五月 さわさわ

新緑の木立にさわさわと風がわたり
青麦の穂波もさわさわと鳴る
木木の繁りがまし麦穂も金に熟れれば
ざわざわとざわめくけれど
さつきなかばはなほさわさわと清む
爽やか、は秋の季語だけれど
麦秋といふ名の五月もまた 爽やか

六月 しとしと

しとしとしとしとしとしとしとしと
武蔵野のえごのきの花も 筑紫の無患子の花も
小笠原のびいでびいでの花も象潟の合歓の花も
うなだれて絹濃のなが雨に聴きいる
しとどに光の露をしたたらせて

七月 ぎよぎよ

樹樹はざわめき緋牡丹は燃え蝉は鳴きしきる
さつと白雨が一過したあと 夕霧が遠い山影をぼかすころ
ぎよぎよぎよ 蛙のこゑが宙宇を圧しはじめる
月がのぼるとそれは 
ぎやわろっぎやわろっぎやわろろろろりっと
心平式の大合唱となる

八月 かなかなかな

ひとつの世紀がゆつくりと暮れてゆく
渦まく積乱雲のひかり
光がかなでる銀いろの楽器にも似て
かなかな かなかなと ひぐらしのこゑは
かぼそく葉月の大気に錐を揉みこむ
冷えゆく木立のかげをふるはせて

九月 りりりりり

りりりりり......りり、りりり......りりり、
りり......り、りりりり......
あれは草むらにすだく虫のこゑか
それとも鳴りやまぬ耳鳴りなのか
ながつき ながい夜 無明長夜の
ゆめのすすきをてらす月

十月 かさこそ

あの世までもつづく紺青のそら
北の高地の山葵色の林を
しぐれがさっさつと掠めてゆくにつれ
幾千の扇子が舞ひ 梢が明るみはじめる
地上にかさこそとかすかな気配
栗鼠の走るあし音か 地霊のつぶやきか

十一月 さくさく

しもつきの朝の霜だたみ
乾反葉敷く山道を行けばさりさり
波うちみだれる白髪野を行けばさくさく
無数の氷の針は音立ててくづれる
澄んだ空気に清んだサ行音
あをい林檎を噛む歯音にも似て

十二月 しんしん

しんしん しはすの空から小止みなく
白模様のすだれがおりてくる
しんしん茅葺の内部に灯りをともし
見えないものを人は見凝める
しんしんしんしん それは時の逝く音
しんしんしんしん かうして幾千年が過ぎてゆく




どうぞよい1日を ♪(o・ω・)ノ))



(*)
https://kotobank.jp/word/%E9%82%A3%E7%8F%82%E5%A4%AA%E9%83%8E-857176



rohengram799 at 08:15コメント(8) 

2019年04月25日

春愁雲便りNo.24:ほとほと

なんだか梅雨時のようなムシムシしたお天気になっていますね。アツいからと薄着でいると夜には肌寒くなりそうで、何を着たらいいのだ?と悩んでしまいます。


高樹のぶ子さんの新刊は【二度と会えない大切な人と、ほんの一瞬でも再び触れ合えたら......。「季語」を縦糸に、忘れられない人との邂逅を横糸に、幻想的に紡がれた24のストーリー。】で、タイトルになった季語は下記の通り。

ほとほと/猫の恋/春の闇/エイプリルフール/翡翠/鳴神月/出目金/笹まつり/秋出水/月の舟/銀杏/牡蠣殻/寒椿/夜の梅/小町忌/帰雁/竹落葉/紫陽花/滝壺/星月夜/虫時雨/栗の実/身に入む/寒苦鳥


ほとほと 歳時記ものがたり >> https://bookmeter.com/books/13440011


「ほとほと」って季語なの(´・ω`・)? と思って調べた
新年の季語でした。

中国地方を中心にその年の幸福を予祝して小正月に行われた行事。簑や笠、風呂敷などで顔や体を隠して神の化身に扮した若者が家々をまわり、鏡餅などの縁起物を置き、かわりに餅や祝儀をもらった。家々の戸をたたくときの音、又は家々をまわるときに唱える「ほとほと」という声が名前の由来といわれている。

知りませんでした!(試し読みで「ほとほと」だけ読めました。)


「身に入む」は秋の冷気やものさびしさが、身に深くしみるように感じること。和歌では「身にしむ風」「身にしむ秋」などと秋の冷やかさとともにつのるものさびしさをあらわす言葉だった。


「夜の梅」………なにやら意味深と思うのはおやぢだからでしょうか?(笑)



「夜の梅小さな嘘を聞き流す」 成澤たけし


「夜の梅鋏のごとくひらく足 」 柴田千晶




梅擬(ウメモドキ)は秋の季語になるのですが、この俳句が好きです。


「愛していると言わず死ぬなよと言う梅擬」


恋人同士ではなくて、片想いの相手に精一杯気持ちを伝えているのかなと思う一句です。この句が収められた董振華(とう・しんか)句集はこちらです。

http://furansudo.com/archives/12352





rohengram799 at 12:52コメント(10) 

2017年11月10日

霜見雲便りNo.9:山眠る

立冬も過ぎました。公園の木々も黄葉・紅葉、足元には落ち葉がカサカサ、お肌はカサカサ、ノドはイガイガの季節になりました。

タイトルにした「山眠る」は冬の季語です。セクシーな壇蜜さまのブログに

・・・木の上の雪が「ドササササーー!!」と落ちる音はあんなに賑やかで大きいのに…。あれは眠った山の「寝言」かもしれません。たまに人間でもいますよね。寝言がハッキリシッカリしずぎている人。
…あれ、私かな。・・・

とあって、こういう発想って楽しい~!と思いました。考えたことがなかったので。



季語を調べるには歳時記が便利ですが、今はスマホですぐ検索出来ますよね。この前、広辞苑の話をチラリと書きましたが、国語辞典とか私はどこにやってしまったかしら?と、吉川英治さんの『辞典のすすめ』を読んで思いました。青空文庫で読めますが、とても短いので転載しますね。



 とかく、現代人はまだ、辞書辞典などを、ほんとに、自分の頭脳にしきっていない。そのくせ、現今ほど、辞典の良書が、ぼくらの書架に、その選択の自由を豊かにされている時代もないのだが、なお遅れているのは、よくその辞典を使い生かす、こちらの頭の方にあるとおもう。
 ひとつの理由は、その習慣づけが足りないのである。すぐ辞典を引く、またすぐ、辞書に問うてみるという日常の習性が日本人にはいたってすくない。ばかなはなしである。自分の書架に、ちゃんと、いつでも何でも訊いてくれといわんばかりに輝かがやいている良師良友の辞典を措き忘れて、わからぬ事を、わからぬままに、よそへ向って、うろうろしている愚を、よく自分に見出すことがありはしないか。いやひとごとではない。私たちのような書斎人といわれる者すら、ままそんな非文化的な徒労をやって、あとから辞典に見いだして、ひと知れずよく苦笑する。自嘲をおぼえる。
 一冊の良い辞典を備えれば、数十冊のいや数百冊の雑書も不要になるかとさえ思われる。それほど辞典のエキスは濃密なのだ。私などは独学をやってきたので、ひと頃の青年期には、良い辞書も少なかったし、また容易に買えなかった。そこでたまたま、古本の辞典でも手に入れると、辞典の初めの、ア行やイ行から、辞典を読んでしまったりしたものだった。――今は良い辞典がありすぎるのか。学生諸子のそれの引用度を見ていると、いかにも、せっかくな恩恵を充分に生かしていない。もったいない。惜しまれる。辞典は自己の脳細胞そのものの一部であることを、うっかりしている。この大切な鍵を持ち忘れていたんでは、自分の天分の扉ドアを開くこともむりである。
(昭和三十五年)




ブログを書きはじめた頃は、国語辞典やら漢和辞典など手元においていたのに、今はどこにあるのかわからない~! 辞典・事典・辞書などのビミョーな違いについてはコチラをどうぞ。こういう時はやっぱりネットって便利と思います(笑)

http://www.ohtabooks.com/qjkettle/news/2015/02/16101614.html



辞典→自転→空回りと連想が広がり、まだまだ四畳半フォークの匂いがかすかにあった長渕剛さんの『順子』や『巡恋歌』が浮かんできましたわ。順子を真子に置き換えて歌ったこともありましたっけ。(そういえば、眞子さまの正式婚約発表はいつになるんでしょう?) 石野真子ちゃんとの結婚も志保美悦子さんとの再婚もビックリだったなぁ( ´~`)




昨日、新語・流行語大賞の候補の言葉が発表されましたが、そんな言葉聞いたことがない、というのもあり「ちーがーうーだーろー(`Δ´)」な気分になりました(笑)


rohengram799 at 14:33コメント(4) 
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