聖杯

2016年05月29日

香雲便りNo.32:神器なき戦い…?

先週の新聞で見た『芸術新潮 2016年6月号(2016/05/25発売)』の広告ですが《名画と広島弁で読み直す 仁義なき聖書ものがたり》《旧約聖書ヴァイオレンス・ガイド》《人類初の殺人、神さまによる大殺戮、権力闘争、窃視、不倫に近親相姦……。なんでもアリの「旧約聖書」、おもしろ早わかり!》にビックリしてしまいました( ̄□ ̄;)!!


有名なアダムとイブ(エバ)に禁断の実を食べるようにそそのかすヘビ。この場面が広島弁になると………「食っても死んだりせんですわ」と教えてくれたという……( ̄▽ ̄;) また食べてしまって後の祭り状態のふたりに諭す(?)場面も広島弁になると以下の通り!

「こぎゃん悲しいことないわい。わしゃのう、おどれらがわしのシマで楽に暮らしていけるように思うて若頭に命じたんじゃろうが。なんでわしの親心が分からんのじゃ。おう、これからはの、カタギに戻って額に汗して働くんじゃ。おどれらはわしが塵から作ったもんじゃけぇ、いずれは塵に帰る運命じゃ。わしゃ言うたろうが、食ったら、おどれらは死ぬことになる言うて、のう」



アメーバブログでこの本についての記事を見つけましたので、興味がありましたら検索してみて下さいませ。

《まふのブログ》
「仁義なき聖書物語は広島弁で。」(2016/05/28)




聖書というかキリスト教関係といえばいいのでしょうか、『十字架嫌悪シンドローム』という本が発売されていたようです。

http://art-v.jp/ichinen/Jesus-namida.html



また『キリシタン遺物資料館(キリシタンいぶつしりょうかん)』なるものが茨木市にありました。

http://www.h3.dion.ne.jp/~miyachan/kirisitan-siryoukan.htm


教科書でおなじみのザビエルの肖像画を描いた人はキリシタン画家と呼ばれていたのですね。キリシタン大名は聞いたことがありますが、画家にもそんな名称(?)をつけていたとは考えもしませんでした。


マリア観音やマリア燈籠など隠れキリシタンの方々が遺したものなど痛ましい歴史がありますが、洋の東西、時代に関係なく、素晴らしく興味深いものばかりです。



5月もあと少し! ひと仕事、頑張ってきます(  ̄ー ̄)ノ



《追記》
芸術新潮編集長の吉田晃子さんのコメントです。

人類初の殺人、神さまによる大殺戮、権力闘争、窃視、背信、不倫に近親相姦――。旧約聖書はなかなかに過激である。そんな世界最大のロングセラーを、名画と広島弁ショート・ショートで読み直す。真相不明なアダムとエバ問題、神の気まぐれリセットだったノアの箱舟、ためしてガッテン?なイサクの犠牲に、ダビデ王のゲス不倫に泣かされるバト・シェバ等々、数々の修羅場を簡潔に解説。さらに旧約聖書の成り立ちがわかるQ&Aや、聖書と美術表現の関係性をとおして、より深部に迫る。聖書を知らないと宗教画は理解しづらいものだが、これでもう安心だ。
 第2特集は、ギリシャ正教の聖地であるアトス巡礼紀行。世界遺産に登録されながらも撮影禁止のこの地で、特別にカメラを構えることを許された中西裕人が、中世からの信仰の姿を守る修道士たちの暮らしを捉えた。女人禁制、男性でも入国には制約が課せられる、厳格な祈りの世界をお伝えします。




rohengram799 at 12:52|PermalinkComments(10)

2015年10月15日

暁雲便りNo.8:右手と左手

昨晩『聖灰の暗号』を読み終わりました。聖杯ではなく聖灰……火あぶりになるとわかっていても持ち続けた信仰心、後世に遺し伝えなくてはという強い想い、私欲丸だしの醜いエセ宗教家、聖書に書かれた内容の解釈など……史実ではなく物語なのだとわかっていても、世界のどこかでこれに近い出来事があったのではないか、などといろいろ考えさせられました。



今日はどうしようかな~と悩んだ末(大げさな)久しぶりに江戸川乱歩賞受賞作品にするか!で渡辺 容子さんの『左手に告げるなかれ』(第42回・1996年受賞)を読んでいます。たしかドラマにもなったよな~と思って確認したら天海祐希主演でした。


スーパーの保安士(万引きGメンですかね)・八木薔子(しょうこ)は、3年前に別れた愛人・木島の妻・裕美子が刺殺された事件で嫌疑がかかり、無実をあかすために真相を調べ始める……のですが、木島が伊武雅刀……ユリちゃん(天海)も合わないけれど、彼もイメージにあわないなぁ……と思いました。ユリちゃんって不倫とか想像しにくい女優さんだと思う……江角マキコの方がなんとなくしっくりくるかな~と。まぁ個人的な感想です。


タイトルは聖書のマタイ伝の言葉で《施しをするときは、右手のしていることを、左手に知られないようにしなさい》からのようです。おお、ここでも聖書が!と帚木さんの本との繋がりを感じたりして。木島の奥さんがボランティアに熱心な人だったのですが、それを「アタクシ、こんなに社会貢献してますのよ、スゴいでしょ、えらいでしょ!」で、この聖書の言葉の意味など理解できないタイプだったようで……。



高田敏子さんの『浅草観音』という詩の一部を新聞コラムで見つけて、全文を知りたくて検索してみました。私も浅草に出掛けて、右手と左手をあわせたくなりました。



《浅草観音》(高田敏子)


神さまや 仏さまが
ほんとうにいらっしゃるかどうかー
でも あの合掌したときの安らぎは
どこからくるのでしょう
右の手の悲しみを
左の手がささえ
左の手の決意を
右の手がうけとめる
その上を流れる静かな時間
こうした姿勢を教えて下さったのは
どなたでしょう
ふりむくと青い目の外人さんも
手を合わせて・・・・・
小さな小さな観音さまと
なにをお話したことやら




*前の記事にコメントをありがとうございました。お返事書かせていただきました。




rohengram799 at 19:48|PermalinkComments(14)
メッセージ

名前
メール
本文
記事検索
月別アーカイブ