備忘の果実 〜オスカー戯言日記〜

好きなことを好きな時にチマチマと書いています(⁠๑⁠˙⁠❥⁠˙⁠๑⁠)

タグ:若山牧水

おはようございます☀️ 今朝は霧で真っ白でした。


一般社団法人 禁煙推進学術ネットワークが「スワンスワン(吸わん吸わん)」で毎月22日を「禁煙の日」にしましたが、この記念日はあまり知られていない気がします😅


スワン(白鳥)と言えば……古代ギリシャの人々は白鳥は音楽神アポロンによって創り出された鳥と考えていたそうな。そこから「白鳥は死ぬ直前にアポロンを讃えて歌う」というメルヘンな話が生まれたようです。実際の白鳥の鳴き声は結構ウルサイ気がする💦
https://mobile.suntory.co.jp/eco/birds/encyclopedia/detail/1392.html


「白鳥は哀しからずや空の青海のあをにも染まずただよふ 」でおなじみ?の若山牧水は大の酒好きでしたねぇ🍶
『誠鏡』という日本酒の銘柄を知りました。
http://www.jizakeyasan.com/item/n0173-1/?mode=pc
土方歳三さんが詠んだ「差し向かう心は清き水鏡」を思い出した「白い朝」でありました。


「白い朝」って小説や舞台などいろんな作品があるのですが、今回は太田裕美ちゃんの歌で🐥

【白い朝  太田裕美】
https://www.uta-net.com/movie/163724/



WBC決勝戦、始まりますね。午前中休みを取った人もいるのでしょうか? 怪我なく無事に楽しくプレイ出来ますように! 皆さまもどうぞよい1日を🍀



読売新聞に『時代の証言者』というシリーズがあります。少し前は「情念をうたう 岡野弘彦」さんでした。[岡野さんは歌人。大正13年(1924年)7月7日生まれ。家は代々、神主の家柄 ]

3/7(土)の記事に、「牧水の会」(*)に参加した時のエピソードがありました。


……あるとき大岡さんに、「岡野さん、あんな歌を詠んで、女子学生の多い大学の教壇によく立てるね」と話を切り出されました。僕は短歌で若者たちの愛情の歌というのをよく詠んだほうですが、教壇に立って顔を上げられないような歌はあまり詠んだ記憶がない。ちょっと怪訝な顔をしていたら、馬場(あき子)さんもそばで不思議そうにしていた。/ その歌というのが、〈うなじ清き少女ときたり仰ぐなり阿修羅の若きまなざし〉。「やっぱりちょっとエロチックだよ」と大岡さんは言う。清純な少女と、激しい怒りの表情をした戦いの神です。それにしても詩人というのは多感なものだなあと思いました。……



うなじ清き少女ときたり仰ぐなり阿修羅の若きまなざし


エロチックさを感じるとしたら「うなじ」でしょうか? 阿修羅像を並んで見ているのではなく、彼女の少し後ろの位置から見ていたのかも? 「阿修羅の若きまなざし」は思春期の少年の恋への憧れや未知なる衝動を感じさせるものであり、それを戒めているように思えたのでしょうか? 表面だけなぞれば、阿修羅を見ている若い学生さんふたりのイメージが私にはありましたが、少女と一緒にいるのは年上の男性だった可能性もあるワケで……繊細な詩人の大岡さんとおやぢな私の妄想では何億光年もの差がある気がしますが、仰ぎ見るのが阿修羅像なのがやはりポイントですね。ミロのヴィーナスとかではダメだと思います(笑)




大岡信(おおおか まこと、1931年2月16日 - 2017年4月5日)さんは 都立国際高校の校歌(詩)を書かれていました。
https://mobile.twitter.com/hidekishima/status/849594274954006528/photo/1


馬場あき子さんは昭和3年(1928年)1月28日生まれ。木原敏江さんがよく鬼の漫画を描いていて、その時にお名前を知りました。

https://tankanokoto.com/2019/10/babaakiko.html




(*)若山牧水賞の選考委員を大岡信さん、馬場あき子さんと長くつとめ、「牧水の会」と称して宮崎によく行っていたそうです。
http://www.bokusui.com/

今週は天気の悪い日が多かったですが、秋の夜長は月を愛でながらお酒をグイッ!という人も多いのでしょうか? 若山牧水とか酒呑みのイメージがなかったので(あるのは山頭火くらい)「お酒大好き!」と知った時には驚きましたが、『小景異情』でおなじみの室生犀星が呑兵衛さんだったのも意外です( ̄0 ̄;)


犀星の愛した酒は金沢の「福正宗」。その晩酌の様子について、娘・朝子さんが書いたものから抜粋すると………彼は「家族とは別に、小さい朱塗りのお膳の前に正座して、盃をかたむけていた。」「母はこまめで料理が上手な人であったから、犀星のお膳には酒の肴の小皿がいくつも並び」「あまり喋らずに、毎夜きまって二本の徳利をあけていた」そうな。また「夕食にはご飯はいっさい食べなかかった」みたいです(『父 犀星の俳景』から)。この晩酌が終わるころになると、きまって近所に住む詩人の竹村俊郎が誘いに来て、二人はいそいそとまた飲みに出かけたとか……( ̄▽ ̄;)


室生犀星(1889─1962)は金沢市生まれ。本名照道(てるみち)。犀星は号。別号魚眠洞(ぎょみんどう)。父は加賀藩士でしたが、7歳の時に室生真乗(しんじょう)の養嗣子(ようしし)になり、いろいろ苦労したようで……お酒はそういった気持ちを慰めてくれたんでしょうね。ひとり都の夕暮れにふるさとを思い、涙ぐむ時に酒は心の友であり、裏切らない存在だったのかも……。



お酒といえば、課長から今は会長になった島耕作が、「獺祭」をモデルにしたであろう「喝采」の工場を見学している話がありました。このお酒を飲むとちあきなおみの♪喝采がうまく歌えて拍手喝采!なんて内容ではありません(゜゜;)\(--;) 作者の弘兼憲史さんが欄外に「69歳になりました。いやらしい歳ですね。」と書いていましたわ……良い子は深く考えないようにしましょうね( 〃▽〃)



今日は11日、以前読んだ『正月十一日、鏡殺し』(歌野晶午)を思い出しますわ……ええっそんな(;・ω・)が最後まで続く短編集でした。


『浅篠原(あさしのはら) 腰なずむ 空は行かず 足よ行くな』


昨日から読んでいる『神様の御用人5』にはヤマトタケルが登場します。前の記事に書いた「神業」もこの話の中に出てきました。 あんなにみんなから慕われ亡くなった後も鳥になった彼の姿を追いかけて、こんな歌も残っているのに……彼は「鳥になりたい」と言っています……実際、身体は白鳥で顔はそのまま、あのヘアスタイルなんて……イラストが入らないタイプのラノベでよかったです。「人面鳥・ヤマトタケル」……いやぁ((((;゜Д゜)))


人面鳥はギリシャ神話に登場する半人半鳥の魔物 「ハルピュイア」と思われています。胴体が猛禽、上半身が人間の女の姿。 ハルピュイアとは「奪い取る者」 「掠め取る者」を意味します。ギリシャ神話では 「強欲、不潔で下品な怪物」……他にも「人面鳥」デザインの切手や紋章など世界にはいくつかあるようです。

日本だと「迦陵頻伽または迦陵頻迦(かりょうびんが)」が切手になっていましたね。仏教説話に登場する空想上の鳥で、極楽浄土に住んでいるらしい。元はインドで伝承されていた「カラヴィンカ」という空想上の鳥が仏教に取り入れられたものだそうです。ヤマトタケルは鳥になるのか神様にもどるのか? まだ途中なのでわかりません。またヤマトタケルのこともよく知らなかったので、こんな人生だったのかと勉強になります(; ̄ー ̄A

白鳥というと若山牧水の短歌がうかんできますが『白鳥(しらとり)の歌』として藤山一郎さんが歌っていました\(◎o◎)/

「白鳥(しらとり)は かなしからずや 空の青 海の青にも 染まずただよふ」「いざ行かむ 行きてまだ見ぬ 山を見むこのさびしさに 君は耐ふるや」「幾山河(いくやまかわ) 越えさり行かば 寂しさの はてなむ国ぞ 今日も旅ゆく」…… 昭和22年(1947)発表で酒と漂泊の歌人といわれた若山牧水の名歌3首に古関裕而が曲をつけたもの……2番の短歌は知らなかったですわ。酒好きと何回きいても、ナゼか若い頃の加藤剛のイメージしか出てこない(笑)


人面魚や人面犬は聞いたことがありますが、人面猫やら牛とかもいるのでしょうか? くだらないことを考える昼下がりです( ̄0 ̄;)



PASMOの残高が1999円になったのを見て、2000年になった時の騒ぎを思い出しました。私の小学生時代は「富士山大噴火」に「ノストラダムスの大予言」と「俺たちに明日はない(T-T)」な話が蔓延していて、ワタクシはそんなお子さまね!という顔をしながらも内心はどうしようΣ(T▽T;)な女の子でありました。


今、角田光代さんの『ツリーハウス』を読んでいます。戦前戦中戦後と満州で過ごし、帰国してから新宿で中華料理店を開いた夫婦。お互い男女の愛情があって結ばれたのかわからないまま子どもが産まれ、孫ができ…三世代の物語で、現在と過去が交差するのでちょっとわかりにくいところもあるかも…。昭和の出来事・事件なんかが出てきて、パンダがはじめて来た時のことや中国残留孤児の肉親探しのことなどを思い出しました。


肉親が見つかった人とそうでない人の中国に帰る時の表情が全く違ったこととか(おみやげに電化製品とかありましたよね)日本で生活するようになったけれど、なかなか馴染めなかったりとか……すっかり記憶から抜けていました。50年近く生きているのだから、たくさんの出来事があって全部覚えているなんて無理な話ですが、中国の大気汚染が大きく取り上げられている時にも、全く他の中国関連の事を思い出さなかったとは……ここ最近の国内での事件や事故があまりにも悲惨だからでしょうか……でもこれってちょっとコワイ気がする(-_-;)


本の中でお祖父さんが亡くなった後にお祖母ちゃんが中国旅行に出掛けるのですが(もちろん同行者あり)昔お世話になったお店と人を探すんですね。でも記憶もあやふやで街並みも変わっている。たどり着けないけれど、当時の面影を残すお店に入り、そこにいる人に感謝やお詫びの言葉を一気に喋るお祖母ちゃんに胸がいっぱいになってしまいました。お世話になった家族はもう亡くなっているかもしれない、今目の前にいる人たちは無関係だとわかっている、それでもずっと言えずにいた気持ちを伝えたい、吐き出したい……!子どもや孫には自分たちの人生を語ることはなかったので、それだけ抱え込んできたものの重さがあったのだと思いました。


言葉も通じないのだから自己満足かもしれませんが、戦争を体験した人たちはこんな気持ちではないのかと…生きるために逃げて逃げて……のほほんと生活している自分にはこういう生き方をした人たちを責めることなんか出来ないし、まだまだ知らないこてばかり……と、おそらく角田さんが伝えたいこととは違うことを考えてしまいました。


「あんた、自分がやった馬鹿はね、ぜんぶ自分に跳ね返ってくるんだよ。」とか「ここじゃない、どこか遠くにいけば、すごいことが待っているように思うんだろ。でもね、どこにいったって、すごいことなんて待ってないんだ。」というお祖母ちゃんの言葉、半分わかっているけどやっぱりここではないどこかにいきたい……(゜-゜)


朝刊に若山牧水の『けふもまたこころの鐘をうち鳴らしつつあくがれて行く』の歌についてのコラムがありました。「あくがれ」の語源は「在所」を「離る」、つまり「魂が今在るところを何かに誘われ離れ去って行く」という意味。そこから「思いこがれる」という今日の意味が生れたそうです。


たそがれて、あくがれて……「2013年秋―オスカー」でありました。ちなみにタイトルは私の好きな本、久世光彦さんの『一九三四年冬―乱歩』からいただきましたf(^_^;)



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