備忘の果実 〜オスカー戯言日記〜

ようこそ゚+(人・∀・*)+。♪ 自分の好きなこと、興味のあることをチマチマと書いています。

タグ:茨木のり子

南北首脳会談の話題と山口メンバー(この言い方ってねぇ・・・)の謝罪、その他まわりの反応アレコレが同列ニュースになる日本、平和・・・なんだかなぁ、と思う土曜日。



昨晩は湘南餃子なるものをダンナさんが食べていました。餃子って宇都宮と浜松が争っていたような気がするけど、湘南も仲間入りしてるんですかね? 柏のホワイト餃子も( `・ω・´)ノ ヨロシクーと言いたくなる千葉県民です。未だに食べたことはないですが。



ドラマ『孤独のグルメ』、餃子のタレについての話がありましたね。私はまだこのような食べ方をしたことがないですが、好みはそれぞれでしょうね。

http://www.tv-tokyo.co.jp/kodokunogurume5/smp/backnumber/backnumber10.html


松重豊さん、餃子関連の番組にも抜擢(?)されてました(笑)


ギョウザロード http://rkb.jp/siberia/






さてさて、岩谷宏さんの『住所とギョウザ』という誌は、タイトルだけ読んだら、出前の話?なんて考えてしまいそうですが(こんなアホは私だけ?)とてもせつない作品。こういう時代があった。多分、今今もどこかで・・・。大人になり、餃子とビールを頼むたびに、似たようなことを思い出している人もたくさんいるんじゃないか・・・茨木のり子さんの『詩のこころを読む』というアンソロジーから。




『住所とギョウザ』


大森区馬込町東四ノ三〇
大森区馬込町東四ノ三〇
二度でも三度でも
腕章をはめたおとなに答えた
迷子のおれ ちっちゃなつぶ
夕日が消えるすこし前に
坂の下からななめに
リイ君がのぼってきた
おれは上から降りて行った
ほそい目で はずかしそうに笑うから
おれはリイ君が好きだった
リイ君はおれが好きだったか
夕日が消えたたそがれのなかで
おれたちは風や帆前船や
雪のふらない南洋のはなしした
そしたらみんなが走ってきて
綿あめのように集まって
飛行機みたいにみんな叫んだ
くさい くさい 朝鮮 くさい
おれすぐリイ君から離れて
口ぱくぱくさせて叫ぶふりした
くさい くさい 朝鮮 くさい

今それを思いだすたびに
おれは一皿五十円の
よなかのギョウザ屋に駈けこんで
なるたけいっぱいニンニク詰めてもらって
たべちまうんだ
二皿でも三皿でも
二皿でも三皿でも!


スマホゲームと『ベルサイユのばら』二次創作小説を読むことに夢中になっている最近のワタクシ、積ん読本が減りません。『ベルばら』の二次創作は当時の衣食住を盛り込んだものとかあって、その背景を知るとまた登場人物に入れ込んでしまいます。どシリアスもいいのですが。パチンコになった『ベルばら』を登場人物が打ちに行く、というのがなかなか面白かったです(笑)



いくつも読んだ作品の中に、レオナルド・ダ・ヴィビンチが言った(と思う)【“Diamonds Are Just Lumps Of Coal That Stuck It Out“ (ダイアモンドは頑張り通しただけの炭だ。)】がありました。意味が奥深すぎて、ずっとう~ん、う~ん、と考えています。これに該当することわざってなんでしょうね?




ウチのマンションの中庭の桜も満開、今朝はもうベランダに花びらがたくさん舞いおちていました。今日は茨木のり子さんの『さくら』をお届けします。





さくら      茨木のり子


ことしも生きて
さくらを見ています
ひとは生涯に
何回ぐらいさくらをみるのかしら
ものごころつくのが十歳ぐらいなら
どんなに多くても七十回ぐらい
三十回 四十回のひともざら
なんという少なさだろう
もっともっと多く見るような気がするのは
祖先の視覚も
まぎれこみ重なりあい霞だつせいでしょう
あでやかとも妖しとも不気味とも
捉えかねる花のいろ
さくらふぶきの下を ふららと歩けば
一瞬
名僧のごとくにわかるのです
死こそ常態
生はいとしき蜃気楼と




茨木のり子さんの詩に「さゆ」という作品があります。



若い女が薬局にやって来て「サユを下さい」という。言われた方が聞き返えすと「子供に薬をのませるサユっていうもの おいくら?」と・・・(´・c_・` ;)「白湯は買うものではなく、湯冷ましのことですよ」と言われた母親は怪訝な顔で去ったという、なんともオイオイ・・・となる詩です。



「白湯もまた遠ざかりゆく日本語なのか…」という薬局の人の嘆きのようなつぶやき。呑み込みをよくするための補助食品みたいなものもあるので、何か特別なものだと若いお母さんは思ったんでしょうか? イヤ、今だったら「子どもに薬を飲ませるための専用飲料」とかあるのかも。




私の祖父はお茶ではなくて、いつも白湯を飲んでいました。小さい頃はお茶の方が美味しいのに、と思っていましたが、今は白湯の良さがわかるお年頃になりました(笑)

森美樹さんの『主婦病』を読みました。表紙もシンプルだし、タイトルも気になって・・・初読みの作家さんでした。それぞれ独立した話なのかと思っていたら、金髪の若者をキーパーソンにした連作短編集なのかと読みおわってからわかりました。


http://www.shinchosha.co.jp/sp/book/121191/



読書メーターの感想とか読むと、レディースコミックみたいというのもやはりありました。読む年代や男女差もあるのだと思いますが、私はう~ん、と考えましたわ。「主夫病」だったらコミカルになったのかな?


茨木のり子さんの「小さな娘が思ったこと」を小説にしたらこの作品になるのかも、なんて思いました。




小さな娘が思ったこと
ひとの奥さんの肩はなぜあんなに匂うのだろう
木犀みたいに
くちなしみたいに
ひとの奥さんの肩にかかる
あの淡い靄のようなものは
なんだろう?
小さな娘は自分もそれを欲しいと思った
どんなきれいな娘にもない
とても素敵な或るなにか…

小さな娘がおとなになって
妻になって母になって
ある日不意に気づいてしまう
ひとの奥さんの肩にふりつもる
あのやさしいものは
日々ひとを愛してゆくための 
ただの疲労であったと




今は「冬バテ」という言葉もありますが、寒いとあまり水分をとらなくなるけれど、御風呂あがりや寝る前のタイミングで意識して水を飲みましょう、と週刊誌に書いてありました。寝る前は・・・夜中のトイレが・・・と思う私(;´д`)


あと「通常は息を吸う時間と吐く時間の割合は1態2ですが、これが1対3や1対4になるよう、吸った域を長くゆっくり吐くことで副交感神経が優位となります。冬バテによる体調不良やストレスを感じたら、この呼吸法を30秒~1分間やるだけで自律神経を整える効果があります。」とも。



明日から三連休の皆さまも、なかなかゆっくり出来ない皆さまも、心身ともに健やかにお過ごし下さい増せ。

おはようございます\(´O`)/ 10月もはや3日、昨日は運動会日和でしたが今日はもうどんよりな空模様……憂鬱な月曜日になってしまいました(ーー;)


今年は詩人の茨木のり子さんが亡くなってから10年……新しい作品を読むことは出来ませんが、残された作品が私たちを慰め励ましてくれます。昨日は『行方不明の時間』という詩を読みました。こういう時間って大切だよなぁ……となんだか余裕のない最近のワタクシ、しみじみしました。


今月はまだ「秋雲便り」を続けようかなぁと思ったのですが、なにかで“徳雲”という文字を見たので、コレだ!と……(笑) 田舎に徳和(とくわ)という地名があるのを思い出したのもありますが、徳を積んで和やかに生活していけたら……と思います。またどうぞよろしくお願いいたします(*´∀`)ノ




『行方不明の時間』 茨木のり子


人間には
行方不明の時間が必要です
なぜかはわからないけれど
そんなふうに囁(ささや)くものがあるのです

三十分であれ一時間であれ
ポワンと一人
なにものからも離れて
うたたねにしろ
瞑想にしろ
不埒(ふらち)なことをいたすにしろ

遠野物語の寒戸(さむと)の婆のような
ながい不明は困るけれど
ふっと自分の存在を掻き消す時間は必要です

所在 所業 時間帯
日々アリバイを作るいわれもないのに
着信音が鳴れば
ただちに携帯を取る
道を歩いているときも
バスや電車の中でさえ
<すぐに戻れ>や<今 どこ?>に
答えるために

遭難のとき助かる率は高いだろうが
電池が切れていたり圏外であったりすれば
絶望は更に深まるだろう
シャツ一枚 打ち振るよりも

私は家に居てさえ
ときどき行方不明になる
ベルが鳴っても出ない
電話が鳴っても出ない
今は居ないのです

目には見えないけれど
この世のいたる所に
透明な回転ドアが設置されている
無気味でもあり 素敵でもある 回転ドア
うっかり押したり
あるいは
不意に吸いこまれたり
一回転すれば あっという間に
あの世へとさまよい出る仕掛け
さすれば
もはや完全なる行方不明
残された一つの愉しみでもあって
その折は
あらゆる約束ごとも
すべては
チャラよ



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