行方不明

2019年12月19日

黄冬雲便りNo.17:おほしになったおまわりさん👮

少しばかり更新を休んでおりましたが、変わらず元気にしております。イヤ、体重が増えていたので変わったかも(*_*)


第28回全国小学生作文コンクール「わたしたちのまちのおまわりさん」の受賞作品の発表がありました。内閣総理大臣賞・低学年の部は『おほしさまになったおまわりさん』(高橋瑛心さん/福島県・会津若松市立一箕小学校1年)。 平仮名いっぱいの作文に涙が出ました。


東日本大震災の時にみんなに避難を呼びかけ、パトカーごと津波に流されてしまったおまわりさん。お母さんが高校生だった時に同じ剣道部で仲良しだったそうです。


……… おまわりさんのおかげでたすかった人がたくさんいたときいて、ぼくは、ヒーローのようにおもえました。いまもおそらの上で、おほしさまになって、まだみつかっていない人たちをさがしてくれているとおもいます。そうさくかつどうがおわったら、はやくでてきてください。ぼくのおかあさんもまっています。……



こちらで他の受賞作品も読めます。

https://info.yomiuri.co.jp/contest/edu/698.html




昨日から星の王子さまの切手が発売になりましたね。手紙を書いて、この切手を貼ったら星の彼方に届けてくれるだろうかと考えてしまいました。

https://yu-bin.jp/kitte/0166/




rohengram799 at 00:00コメント(6) 

2019年01月05日

萌月雲便りNo.7:おらんだ正月

朝から行方不明者の情報提供を呼びかける防災無線が………寒いこの時期、どこにいってしまったの、おじいちゃん! 早く見つかりますように。


新聞で「おらんだ正月」なる文字を見ました。まだ鎖国をしていた江戸時代に、長崎などで太陽暦で正月を祝ったことをいうようです。

http://www.kiyou.net/b-n-syougatu.htm

http://hikaze.hatenablog.com/entry/2015/07/31/073000


う~ん、まだまだ知らないことがたくさんありますね。



ところで箱根駅伝では「山の神」という言葉がよく出てきましたが、夢野久作の短い話(寓話?)に『森の神』という作品がありました。短いけれど考えてしまう。悪いのは人間だというのは簡単だけれど、神さまもちょっと心が狭くないかい?なんて思ってしまう。議論したら結構白熱しそう。



『森の神』夢野久作

森の神様が砂原を旅する人々のために木や竹を生やして、真青に茂りました。その真中に清い泉を湧かして渇いた人々に飲ましてやりました。すると大勢の人がやって来て木の下へ家を立て並べて森のまわりに柵をして、中へ休みに入る人からお金を取りました。水を飲む人からはその上に又お金を取りました。
 森の神様はこんな意地の悪い人々を憎んで、森を枯らして泉を涸らしてしまいました。
 旅人からお金を取った人々は大層困って「何という意地の悪い神様だろう」と、森の神様を怨みました。
 森の神様は言いました。
「私はお前たちのためにこの森をこしらえたのではない。旅人のためにこしらえたのだ」




最後に【ニュージーランドの森の神】の記事をどうぞ(*´∀`)♪

https://trip-s.world/new-zealand-tree





追記:最初に書いた行方不明者は昼前に無事発見されたそうです。よかった!



rohengram799 at 09:11コメント(4) 

2016年10月03日

徳雲便りNo.1:行方不明の時間

おはようございます\(´O`)/ 10月もはや3日、昨日は運動会日和でしたが今日はもうどんよりな空模様……憂鬱な月曜日になってしまいました(ーー;)


今年は詩人の茨木のり子さんが亡くなってから10年……新しい作品を読むことは出来ませんが、残された作品が私たちを慰め励ましてくれます。昨日は『行方不明の時間』という詩を読みました。こういう時間って大切だよなぁ……となんだか余裕のない最近のワタクシ、しみじみしました。


今月はまだ「秋雲便り」を続けようかなぁと思ったのですが、なにかで“徳雲”という文字を見たので、コレだ!と……(笑) 田舎に徳和(とくわ)という地名があるのを思い出したのもありますが、徳を積んで和やかに生活していけたら……と思います。またどうぞよろしくお願いいたします(*´∀`)ノ




『行方不明の時間』 茨木のり子


人間には
行方不明の時間が必要です
なぜかはわからないけれど
そんなふうに囁(ささや)くものがあるのです

三十分であれ一時間であれ
ポワンと一人
なにものからも離れて
うたたねにしろ
瞑想にしろ
不埒(ふらち)なことをいたすにしろ

遠野物語の寒戸(さむと)の婆のような
ながい不明は困るけれど
ふっと自分の存在を掻き消す時間は必要です

所在 所業 時間帯
日々アリバイを作るいわれもないのに
着信音が鳴れば
ただちに携帯を取る
道を歩いているときも
バスや電車の中でさえ
<すぐに戻れ>や<今 どこ?>に
答えるために

遭難のとき助かる率は高いだろうが
電池が切れていたり圏外であったりすれば
絶望は更に深まるだろう
シャツ一枚 打ち振るよりも

私は家に居てさえ
ときどき行方不明になる
ベルが鳴っても出ない
電話が鳴っても出ない
今は居ないのです

目には見えないけれど
この世のいたる所に
透明な回転ドアが設置されている
無気味でもあり 素敵でもある 回転ドア
うっかり押したり
あるいは
不意に吸いこまれたり
一回転すれば あっという間に
あの世へとさまよい出る仕掛け
さすれば
もはや完全なる行方不明
残された一つの愉しみでもあって
その折は
あらゆる約束ごとも
すべては
チャラよ





rohengram799 at 07:29コメント(10) 
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