2016年06月25日

閑雲便りNo.30:どんなイイコトでも…( ̄0 ̄;)

♪どんないい時でも どんな言い訳でも ほんとうの事だけ映して消える
いつでも……


SMAP騒動、解散はなくなったとはいうけれど、なんとなく5人が揃うとギクシャクしていて画面を見られないワタクシ、昔の仲良さそうな映像を見ては「中居くんに髪の毛がある!」などと失礼なことを思っています(¨;)


ミケランジェロが描いた『最後の審判』、これはイタリアのシスティーナ礼拝堂にあり、6年もかけて完成させた宗教画の大作。イエス・キリストを中心に、絵の上部に天国、下部に地獄が描かれているアレです。

http://www.art-library.com/michelangelo/last-judgment.html

しかし、キリスト以外の35人の男性が「全裸」で描かれているので、当時の人々にとって神聖な礼拝堂の壁に大勢の裸体が描かれたこの絵は大変な衝撃でした! 取り壊す案まで出されたそうです。大巨匠とはいえあまりにも自分の趣味(なんでしょうねぇ…はふへ「ホ」や、まみむめ「モ」的なことかしら~?)や感情を出しすぎだという批判もあったとか。ミケランジェロの死後に「ふんどし」で股間を隠すことが決められ、彼の死後弟子ダニエレがふんどしを描きました。気の毒なことに彼は「ふんどし画家」と呼ばれることに……(´;ω;`)

私はこの話を漫画の『エロイカより愛をこめて』で知ったのですが、少佐は画を見て「風呂場のキリストか」と言っていました。伯爵から“ふんどし画家”の話を聞いた後も「当然だ 公衆の頭上でみっともない!」「あれしきの布きれではまだ足りん しっかり服を着せるべきだ!」と言っておりました。芸術オンチな軍人であります(;A´▽`A 少佐と伯爵が気になる方は暁雲便りNo.16:オスカーより愛をこめてにチラリ(?)と書いていますのでお読み下さいませf(^_^;)

またローマのミネルヴァ教会にある「あがないの主イエス・キリスト」像も(真っ白な大理石の彫刻で、十字架を支えるキリストの力強い身体美にホレボレする方も多いらしい)後世になってから布のふんどし彫刻が付け加えられていました。彫刻や絵画の裸身を隠そうというのを「イチジクの葉運動」というのですね(◎-◎;) これはミケランジェロの作品が引き金となって始まったそうです。芸術かワイセツかは、鑑賞する人間の感性次第で大きく変わると思うんですが……。

http://little-puku.travel.coocan.jp/1kaigai/19roma.kyoukai/7minerva.html


ちなみに私はミケランジェロの彫刻作品は『ピエタ』が好きです! ピエタはイタリア語で「敬虔な心」「哀れみ」「慈悲心」などの意味があります。「ピエタ」は、死体となったイエスが十字架から下ろされ、聖母マリアの腕に抱かれた姿を描いた絵画や彫刻作品のことを言います。

http://tamrhyouka.hiho.jp/geijyutu-mikeran.html


昔むかし、野津まゆみ(今はまゆ美)さんが《羽根くんシリーズ》という学園モノの漫画を描いていて、その中で一番シリアスだったのが『ピエタ』という作品だったんですねぇ~! マンガで知識を得ることが楽しくて仕方ない「美しい(?)十代」の乙女でした。得た内容はブログにちょこちょこ登場していますが、まぁイロイロですわ(^^;)(;^^)


ビゴーというフランスの風刺画家がいましたよね。淡 々 と 風 刺 画 貼 っ て い く の最初の絵を描いた人です。教科書で見た記憶があると思います。そんな彼が描いたナイスすぎる西洋化(に失敗)した日本男児をご覧下さいませ。これはどう見ても完全に変質者……(-。ー;)

http://c.fc2.com/m.php?_mfc2u=http://blog-imgs-44-origin.fc2.com/u/e/s/ueshin/xSBip1MU.jpg



では皆さま、ルネッサン~ス♪(古い)な一日を←意味不明。。。。゛(ノ‥)ノ)



rohengram799 at 16:52|この記事のURLComments(14)

2016年06月22日

閑雲便りNo.26:ごはんですよ(*^O^*)

「朝ごはん」がテーマの漫画だけをまとめた雑誌があって、その中に「モンテクリスト」なるものがありました。


ハムやチーズを食パンでサンドし、フレンチトーストのように卵液に浸し、フライパンなどで焼き上げたもの……カナダ生まれ(?)のクロックムッシュとフレンチトースト、2つのいいとこ取りみたいなサンドイッチらしいです。


最初、サンドイッチ伯爵みたいに『モンテクリスト伯』に出てくる食べ物なのかと思ってしまいました。『岩窟王』と同じ作品でいいんですよね?………詳しく知らないので、調べてしまいました(笑)、正式にはアレクサンドル・デュマ『モンテクリスト伯』という長編小説。『三銃士』の著者でもある。息子のデュマ・フィスは『椿姫』を書いている……私、同じ人が書いていると思っていました。


無実の罪を着せられ、孤島の監獄に幽閉された主人公ダンテスが監獄から脱出し、監獄の隣の独房にいた老囚人から聞いた宝の山のありかを見つけ、その資金を基にモンテクリスト伯と名乗り、かつて自分を陥れた友人たちに次々と復讐していくのですが、最後は自分のしたことに対する罪悪感にかられ、エデという女性の愛に助けられながら新たな人生に向け旅立っていく……お話らしいです。朝ごはんにモンテクリストを食べ、食後に『モンテクリスト伯』を読む……やってみたいものです(≧∇≦)



明治以降はなくなった慣習だそうですが、幕末まで天皇の昼御膳は毎日「鯛」の塩焼きだったそうですね。毎日ですよ~しかもその鯛の大きさは目の下一尺(約30㎝)と決められていたそうです。大阪湾から京都まで鮮魚を運ぶのはとても大変だったでしょう。


鯛は「めでたい魚」!! 鯛を食べることが吉事であると昔から考えられていました。天皇が吉事を行うことは、国民に幸せをもたらすと信じられていました。だから毎日、鯛を……食べたくない時もあったでしょう(´;ω;`) お残ししてはいけない? いいえ、大丈夫です! 天皇の残飯は、毎日御末という位の低い女官が拝領して、全て家に持ち帰っていたそうです~無駄にはなりません!
 幕末にはおよそ7名の御末がいて、最年長者が多めに取り(笑)残りを6名が均等に分けて、それぞれ自分の家族や親族に……。しあわせのおすそわけ?



『月刊食生活』という雑誌の平成23年5月号から「和の国の優雅な生活」というタイトルで竹田恒泰さん(旧皇族の竹田家に生まれ、明治天皇の玄孫。前はよくテレビに出ていましたね)が連載していたという記事を読んだので、ちょっとまとめてみましたが、次の回は「天皇の「ふんどし」でした(^^;)(;^^) 


明治以前まで天皇は、一度はずした褌は、再び使われることはなかったそうです。そのため毎日新品の正絹の褌が献上されていたというのです(~O~;) 一度使われた褌は宮中の外で、洗って紋付羽織などに仕立てられ(゜д゜)京都の人々がリサイクル(?)したようです。


竹田恒泰さんのブログにもしかしたら詳しく書いてあるかも……興味のある方は検索してみて下さいませ。

《竹田恒泰の楚々たる毎日》
http://ameblo.jp/takeda-tsuneyasu/





rohengram799 at 00:05|この記事のURLComments(10)

2016年06月20日

閑雲便りNo.25:明治は遠くなりにけり

むし暑いですね。髪を切ろうかどうしようか、迷っています。あんまり短いのもイヤだし、中途半端な長さだとまとめられないし、パーマは全くかからないのでお金の無駄だし……( ̄~ ̄;)



髪の毛と言えば……を明治4年8月9日に「脱刀の許可」と共に「散髪の許可」も出されました。しかし、長年親しんできたチョンマゲをあっさりと簡単に切ることは出来なかった人が多いらしく、ある県ではチョンマゲのままの人に税を課せるなどして、散髪を励行したそうです(;゜∇゜)


当初は男性よりも女性のほうが好んで散髪たようで当時の新聞には「女子の断髪は見るに忍びず」(明治5年3月新聞雑誌)「婦女子の髪は従来通り」(明治5年4月新聞雑誌)などの記事がありました。そして政府から5年の4月「女子断髪禁止令」が出るほど……なんだ、そりゃ(´・ω・`)?って感じですね。あまりにも身勝手ですわ。


明治天皇は近代化を進めるにあたり率先して御自ら実行しなければいけないと、明治6年3月20日ご断髪なさったそうです。



明治にはいろんな禁止令が出ていたようですが、私が気になったのは『裸体禁止令』です(///∇///)←こんなウキウキ感はないですけど。


日本人は、和服を軽くひっかけるようにして着ていました。遠山の金さんみたいなイメージでしょうか? 当然、着物がはだけてしまいます。このような姿について、ペリーに随行した宣教師のサミュエル・ウェルズ・ウィリアムは「婦人達は胸を隠そうとはしないし、歩くたびに太腿まで覗かせる。男は男で、前をほんの半端なぼろで隠しただけで出歩き・・・」というように半ば蔑むような発言。「前をほんの半端なぼろで隠しただけ」というのはフンドシのことかと気になりますが、今回は置いといて(笑)


まぁ日本人にとっては当たり前のことでも、初めてこれを目にした西洋の方々はとても驚いたに違いありません(^。^;) 日本を「野蛮」と思われるのを嫌った明治政府は「裸体」の風俗を取り締まるようになります。明治元年、横浜を皮切りに、続いて明治4年に東京でも裸体禁止令が出され、その後全国に普及していったそうです。その流れの中で、混浴禁止令とかも出たりして……なんか混乱した時代だ(-_-;)


高村光太郎は『回想録』に「祖父は丁髷(ちょんまげ)をつけて、夏など褌一つで歩いていたのを覚えている。その頃に裸体禁止令が出て、お巡りさんが「御隠居さん、もう裸では歩けなくなったのだよ」とやかましい。そしたら着物を着てやろうというので蚊帳(かや)で着物をこしらえ素透(すどお)しでよく見えるのに平気で交交番の前を歩いていた」と書いています。また
「祖父は体躯(たいく)は小さかったが、声が莫迦(ばか)に大きく、怒鳴ると皆が慴伏(しょうふく)した。中島兼吉と言い、後に兼松と改めたが、「小兼(ちいかね)さん」と呼ばれていて、小兼さんと言えば浅草では偉いものだったらしい。
そうで……青空文庫で祖母や父のことなども読めます。興味のある方は検索してみて下さい。



上海にディズニーランドが出来て、中国人のマナーの悪さとかニュースになっていますが「昔の日本もそうだった」って言う文化人(?)の方々がいますが、江戸から明治になった頃と同じくらいの混乱ぶりなのかしら、それとも戦後?とか考えながら○○禁止令ラッシュにの話を読みました。



明日は夏至ですね。皆さまは何を食べるのかしら? どうぞお身体に気をつけて下さいませ。





rohengram799 at 20:50|この記事のURLComments(15)TrackBack(0)

2015年08月10日

海雲便りNo.5:オバクレ

今朝は久しぶりの雨でした。ダンナの出勤時には一段と激しく降っていました……(´;ω;`) でもまだまだ暑さは続きそうですね。



『銀座には銀座のセンス夏帽子』(松本青風)


帽子だけでは季語にならないでしょうが、「夏帽子」ならOK~麦わら帽、登山帽,パナマ帽など、夏用の帽子ならなんでもいいみたいですね。


昨日の読売新聞の読者投稿欄のテーマが帽子だったのですが、その中に「戦後間もなくなんでも配給だった頃に、珍しく越中ふんどしが配給。野球をやるようになっていたので野球帽が欲しいなぁと思っていたら、友だちが近くの帽子屋さんにその生地で野球帽を作ってもらったら?というので作ってもらった」という話がありました。現在79歳、白い野球帽を見るとあの時代を思い出すそうです。


越中ふんどしというと赤!のイメージしかありませんでしたが、そんなことはなかったのですね~! そしてフンドシについて調べていたら『褌祝(ふんどしいわい、へこいわい)』という文字か! 日本の一部地方(西日本に多いとか)で行われる、男子が成人になるための通過儀礼で、地域により成人の年齢の違いはありますが、だいたい13歳から15歳だそう。ふんどしを締めて成人と見なされることから由来するそうです。


ふんどしは母方の伯母・叔母、いない場合、父方の伯母・叔母から贈られることを基本としていて、父方の伯母・叔母もいない場合は、母親か姉妹、血族の女性から……で「オバクレフンドシ」と呼ばれていたそうです……おばさんがくれるふんどし、略してオバクレ(~O~;)……間違ってはいないけれど、あんまりいい気分ではないかも……。そして昔はこのふんどしをプレゼントしてくれた方が筆下ろしのお相手になっていたらしい( ̄~ ̄;)


女性の場合は13歳前後で「成女式」といわれるものが行われたそうです。髪を結い、笄(こうがい・髪をかき上げるのに使った箸のようなもの)を髪に差し「髪上げの儀」などといわれたり、振り袖から留め袖に服を着替えて針仕事などを習うようになったり……こちらは初めて腰巻きを付けることから「湯文字(ゆもじ・腰巻きのこと)祝い」ともいわたそうです。


湯文字は二幅の布を合わせて作られているので「二布(ふたの)」という名の下着だったそうな。江戸時代の中期まで、男女とも素裸で入浴するということがなく、女性は二布をつけて入浴していましたが、この湯具が当時の女房言葉で「湯文字(ゆもじ)」という呼び名になったとか?



下着の歴史は奥深い……皆さまもクーラーなどで身体を冷やさないようにお気をつけ下さいませ(;A´▽`A





rohengram799 at 10:37|この記事のURLComments(10)

2014年07月29日

美雲便りNo.31:真っ赤にもえた♪

今日は「肉の日」と「土用の丑の日」ですね~スーパーで「牛・うなぎ弁当」が売られていました。小さい頃は大好きだったうなぎですが、今はもう……鱧(はも)とか食べてみたいです!!


夏の異称に「朱夏(しゅか)」がありますが、緋色とはまた違った「赤いシリーズ」ですよね。女優の安達祐実ちゃんが(もう32歳なんですね)が吉原の花魁を演じるという記事を読んで、緋色の襦袢が浮かんだおやぢなワタクシ……『花宵道中』は女性週刊誌にマンガが連載されていたのので、たま~に立ち読みしていましたが、宮木あや子さんのデビュー小説なんですね。彼女の本は『セレモニー黒真珠』が好きですが、こちらはまだ読んだことがありません。祐実ちゃんは吉原の遊女・朝霧を演じるそうですが、むちむち系の女優さんよりスリムな彼女にあっているかも……オールヌードを体験したら、またいろんな役がこなせるようになるのではないかしらん? 秋に映画公開らしいです。


この前、浴衣を調べていた時に「女性用の褌は腰巻のもとになった」という大変おやぢ心をくすぐる文を見つけました! 古い書物の中に女は「褌(たふさぎ)」というものを着けていたと書かれているものがあるそうで……ちなみに「ふんどし」とは、両足を出すという意味で「踏み通し」「ふどし」となまって生まれたものだとか。女性は畚(もっこ)ふんどしを着用していたようです。股間に当てる短い布の両端に紐を通して結ぶもので、現代のパンツに近いものだそうです。現在和服の下着として多く用いられる長襦袢は、襦袢と腰巻が一体化したと考えられていて「吉原遊郭の遊女たちの間で流行したものが町人の女性たちの間にも広まった」んだそうです。


ふんどしは赤く、長襦袢は緋色でしょ(≧▽≦) 


この艶かしい色は、植物のアカネの根を原料とする茜染の一種で、濃く暗い赤色を茜色というのに対して、最も明るい茜色を緋色というそうです。 アカネと紫根を重ねて染め、深みを出した紫褐色を深緋(ふかひ、こきひ、こきあけ)別名は黒緋(くろあけ)、アカネに紅花の染料を重ね染めした明るい赤色は紅緋、アカネだけで染めた浅緋(あさあけ、うすあけ)などの色があるそうです。


お洗濯しすぎてだんだん色が薄くなったりもするのかしら?などと色気のないことも考えてしまう( ̄▽ ̄;)


燃えるような赤いカンナの花が咲いている道をひばりちゃんの『真赤な太陽』を口ずさみながら、のんびり帰りますヾ(・◇・)ノ




rohengram799 at 19:07|この記事のURLComments(12)
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