角田光代

2019年02月21日

令月雲便りNo.23:スローバラード

薬師丸ひろ子ちゃんが『メイン・テーマ』という映画に出ていた時に挿入歌だった「スローバラード」がやっと見つかった~!

【スローバラード】
http://m.kget.jp/lyric.php?song=223053


この歌は私が二十歳くらいの時にラジオから流れてきて

♪ふたりでいたってひとりは消えない
孤独を足しても愛にはならない

このフレーズとても印象的だった歌。田舎から東京に出てきてひとり暮らしして、気楽な面もあったけれど、なんとも言えないひとりぼっち感はありました。 ちょうど福永武彦さんの『草の花』や『愛の試み』を読んでいた時期でもあったので、ずーんとしておりましたわ。

『いつかふたりになるためのひとり やがてひとりになるためのふたり』(浅井和代)
            
                 
こんな歌(なのかな? )もありました。そして一緒に思い出すのがゲーテのこの詩です。

【ただ憧れを知るものだけが】
http://blog.livedoor.jp/kzfj0409/archives/40865858.html


今は5分程度のミニ番組が各局ありますが、NHKの「名曲アルバム」は5分で音楽とともに世界を旅することが出来て、とても好きな番組でした。その中でこの作品は最後に歌詞がドーンと画面に出て、ああ、いいなぁ~と思った記憶があります。まだ山梨にいた10代の頃ですね。


「スローバラード」というと忌野清志郎さんの歌もあって、こちらを思い出す人の方が多いかも。作家の角田光代さんが彼について語るインタビュー記事がありました。
https://ototoy.jp/feature/20180727


音楽つながりでもう1つ。ベートーヴェンの『失くした小銭への怒り』という曲を聴きました。自筆譜にかかれた正式な名称は『幻想曲的なハンガリー風のロンド』だったそうですが、いやいや、小銭感たっぷりで、正式名称など、どこ~(゜Д゜≡゜Д゜)?




rohengram799 at 06:07|PermalinkComments(6)

2014年02月22日

紅雲便りNo.21:「怒」曜日の夜…φ(..)

オタ息子への誕生日祝いコメント、ありがとうございました<(_ _*)> 昨晩は祝うべき本人をぬきにして、ダンナと回転寿司で遅い夕飯になりました~仕事帰りだったし、疲れていたのであまり食べられなかったのが残念( ´△`) 


さてさて…千葉には《小食土町》という地名があります。読み方は「やさしどちょう」です。もとは「矢指土」という字を使っていたそうですが、海上郡にも同じ「矢指」という村(現旭市)があり、誤解を受けることが多かったので「矢指」の字を別の文字に変えようということに……!


当時村に住んでいた漢字者のところに相談にいったところ「大食のものは、バンカラだが、小食のものは心がやさしい」←偏見ではないのか(~_~;) 「いっそのこと‘矢指’を‘小食’の字に変えたらどうだろう」と。「なるほど(゜-゜)(。_。)(゜-゜)(。_。)漢字者はえらいことを言うものだなぁ」ということで「矢指」を現在の「小食」の字に変えたと言われているそうです。


なんとなく「土を食べるこびと」が住んでいる、おとぎ話に出てくる街の名前みたいだと思ってしまいました(≧∇≦)


今日はちょっと仕事でプンプン(`Δ´)な出来事があったのですが、ケータイをカチカチしながら見つけた地名に癒され、ヤケの大食いもしなくてすみました~よかった(^.^) これから角田光代さんの『ひそやかな花園』の続きを読んで、お風呂にゆっくり浸かってから眠りたいと思います。皆さまもよい夢をごらん下さいませ(+.+)(-.-)(__)..zzZZ 




rohengram799 at 23:38|PermalinkComments(7)

2013年12月09日

わた雲便りNo.39:ウキウキ~お風呂図書館(´∇`)

今日は冷えますね(´д`)今まで太陽がサンサンで昼間はあたたかかったのに……仕事に行きたくない!


さて、このところ「おばチャレンジ!」をしているワタクシですが(((^_^;)昨晩は前からやってみたかった「お風呂で読書」をやってみました!湯船につかりながら好きな本を読む……なぜひとり暮らしの時に実行しようと思わなかったのか?家族がいる今はひとりで長風呂は嫌がられるので大変!昨日は自分のテンションとタイミングがうまくあいました(^^)v


選んだ本は角田光代さんの『ドラママチ』です~ソラマチに似ているから選びました!というのは半分くらい本当で(;・ω・)内容が高円寺・荻窪・吉祥寺など東京の中央線沿線の「街」を舞台にした8つの短編集だったからです。吉祥寺は行ったことがありますが、ほとんど見知らぬ街、いつかぶらり散歩をと企むワタクシにはピッタリ!また昔『中央モノローグ線』(小坂俊史)という4コマ漫画を読んでいたのも理由のひとつかも。


「コドモマチ」「ヤルキマチ」「ワタシマチ」「ツウカマチ」「ゴールマチ」(ここまで読んだ)「ドラママチ」「ワカレマチ」「ショウカマチ」……「街」でなにかを「待ち」続ける、30代の、イマイチやる気がないだらりんとした、どこか覇気のない「待っている女」が主人公。喫茶店や食べ物屋さんが登場するので、自分も駅周辺や商店街を歩きたくなってしまう!連作ではなく一話完結、その結末がスッキリ青空かどうかは……うーん( ̄~ ̄;)


実際にお風呂に入りながら文庫本を読んだ感想は、想像していたより紙がヨレヨレにならない!途中で身体を洗ったりする時には、ドアをあけてバスマットの上に置いたのですが、換気扇もまわしているからかな~ポケットにしまった本が雨に降られてヨレヨレになった時のほうがはるかにヒサンだった(´д`)


出たり入ったりして約2時間半、身体の芯からポカポカ!とはこういうことかと実感(°▽°)!ウチはまだ暖房器具を使用していないのですが、寝るまでアレコレしていてもいつまでもあたたか!スゴい発見をした気分~o(*⌒―⌒*)o


次はいつ「お風呂図書館」を開けるかわかりませんが、またゆっくり楽しみたいです(* ̄ー ̄)




rohengram799 at 12:06|PermalinkComments(10)

2013年11月23日

わた雲便りNo.23:人生『福袋』

今日は『勤労感謝の日』ですね~仕事が休みなのはダンナだけ……ちょっとムカつくΣ( ̄皿 ̄;;←自分は三連休だったのに( ̄* ̄)


さて、今日は角田光代さんの『福袋』を読みました。表紙は可愛らしいのですが「中身はけっこう辛辣かも?」な、末広がりの8つの物語。

駅のホームで「お腹が痛くて仕方ないんです!駅のトイレは壊れているみたいなんでちょっと近くのトイレにいきたいんで「赤ちゃん、見てて下さい!」と預けて行ってしまう人……待っている間に赤ちゃんのおむつ替えまですることに!(荷物は置いていった)やっと戻ってきたと思ったら両手いっぱいの買い物袋…( ; ゜Д゜)お礼もそこそこに悪びれず赤ちゃんを抱っこして電車に乗り込む母親がコワイ……こんな人いない!と言い切れないのがまたコワイ((((;゜Д゜)))このママさんが主役ではないのですが、キョーレツです!

他にも「いるよね、こんな人」や「あるかもね、こんなこと」の出来事が描かれていて、初売りの福袋の話じゃないんだ(´д`)とマヌケに思っていると、最終話が表題作の『福袋』。ここで種明かしみたいに、このタイトルの意味がわかるのです。

《私たちはだれも、中身のわからない福袋を持たされて、この世に生まれてくるのかもしれない…》

人は誰でも重荷を背負っているとか言いますが、実はサンタクロースが持っているような袋なんじゃないかしらん? 取り出して見るまでわからない、時期が来るまで謎の品物だったりするけれど……「運命」という言葉より「福袋」の方がいいな!現実の福袋はナカミがバッチリ見えてしまうものが多くなっていますが(((^_^;)

ひとりひとり、家族も友だちも知らない、自分でも意識しない「なにか」ってあるし……日常にある出来事が一番ミステリアスでラマチックなんじゃないの?と思いました。「わらいぶくろ」の人生より確実に喜怒哀楽がつまっていそう( ̄ー ̄)


rohengram799 at 20:30|PermalinkComments(6)

2013年10月24日

しらす雲便りNo.44:1999YEN秋―PASMO

PASMOの残高が1999円になったのを見て、2000年になった時の騒ぎを思い出しました。私の小学生時代は「富士山大噴火」に「ノストラダムスの大予言」と「俺たちに明日はない(T-T)」な話が蔓延していて、ワタクシはそんなお子さまね!という顔をしながらも内心はどうしようΣ(T▽T;)な女の子でありました。


今、角田光代さんの『ツリーハウス』を読んでいます。戦前戦中戦後と満州で過ごし、帰国してから新宿で中華料理店を開いた夫婦。お互い男女の愛情があって結ばれたのかわからないまま子どもが産まれ、孫ができ…三世代の物語で、現在と過去が交差するのでちょっとわかりにくいところもあるかも…。昭和の出来事・事件なんかが出てきて、パンダがはじめて来た時のことや中国残留孤児の肉親探しのことなどを思い出しました。


肉親が見つかった人とそうでない人の中国に帰る時の表情が全く違ったこととか(おみやげに電化製品とかありましたよね)日本で生活するようになったけれど、なかなか馴染めなかったりとか……すっかり記憶から抜けていました。50年近く生きているのだから、たくさんの出来事があって全部覚えているなんて無理な話ですが、中国の大気汚染が大きく取り上げられている時にも、全く他の中国関連の事を思い出さなかったとは……ここ最近の国内での事件や事故があまりにも悲惨だからでしょうか……でもこれってちょっとコワイ気がする(-_-;)


本の中でお祖父さんが亡くなった後にお祖母ちゃんが中国旅行に出掛けるのですが(もちろん同行者あり)昔お世話になったお店と人を探すんですね。でも記憶もあやふやで街並みも変わっている。たどり着けないけれど、当時の面影を残すお店に入り、そこにいる人に感謝やお詫びの言葉を一気に喋るお祖母ちゃんに胸がいっぱいになってしまいました。お世話になった家族はもう亡くなっているかもしれない、今目の前にいる人たちは無関係だとわかっている、それでもずっと言えずにいた気持ちを伝えたい、吐き出したい……!子どもや孫には自分たちの人生を語ることはなかったので、それだけ抱え込んできたものの重さがあったのだと思いました。


言葉も通じないのだから自己満足かもしれませんが、戦争を体験した人たちはこんな気持ちではないのかと…生きるために逃げて逃げて……のほほんと生活している自分にはこういう生き方をした人たちを責めることなんか出来ないし、まだまだ知らないこてばかり……と、おそらく角田さんが伝えたいこととは違うことを考えてしまいました。


「あんた、自分がやった馬鹿はね、ぜんぶ自分に跳ね返ってくるんだよ。」とか「ここじゃない、どこか遠くにいけば、すごいことが待っているように思うんだろ。でもね、どこにいったって、すごいことなんて待ってないんだ。」というお祖母ちゃんの言葉、半分わかっているけどやっぱりここではないどこかにいきたい……(゜-゜)


朝刊に若山牧水の『けふもまたこころの鐘をうち鳴らしつつあくがれて行く』の歌についてのコラムがありました。「あくがれ」の語源は「在所」を「離る」、つまり「魂が今在るところを何かに誘われ離れ去って行く」という意味。そこから「思いこがれる」という今日の意味が生れたそうです。


たそがれて、あくがれて……「2013年秋―オスカー」でありました。ちなみにタイトルは私の好きな本、久世光彦さんの『一九三四年冬―乱歩』からいただきましたf(^_^;)




rohengram799 at 21:21|PermalinkComments(6)
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