釜無川

2017年04月26日

菫青雲便りNo.25:お高やん

井伏鱒二の『駅前旅館』を読んでいます。

【昭和30年代初頭、東京は上野駅前の団体旅館。子供のころから女中部屋で寝起きし、長じて番頭に納まった主人公が語る宿屋稼業の舞台裏。業界の符牒に始まり、お国による客の性質の違い、呼込みの手練手管……。美人おかみの飲み屋に集まる番頭仲間の奇妙な生態や、修学旅行の学生らが巻き起こす珍騒動を交えつつ、時代の波に飲み込まれていく老舗旅館の番頭たちの哀歓を描いた傑作ユーモア小説。 】

番頭さんという響きも懐かしくなりましたね。新潮文庫の表紙イラストのような旅館が塩山駅近くにあった気がします。ウチの隣も今は廃業しましたが、旅館でした。

この番頭さんが幹事になり、仲間たちと甲府の湯村温泉に行くのですが、その道中も甲府に着いてからもなんか懐かしい~! また私の知らないご当地ソング(甲府セレナーデ)や行事(湯村地蔵)やらが出て来て、気になって検索ばかりしているので、ちっともページが先にすすみません( ̄0 ̄;) その中に「お高やんと粘土節」の話がありました。粘土節は山梨の中巨摩地方の釜無川の堤防工事に歌われた作業唄。古来、甲府盆地は四方の山地から流れ出る各河川の氾濫に悩まされ続けてきました。

当時の改修工事は、現在のようにセメントなどという物はなかったので、粘土を大勢の人たちが、かけやなどを使ってつき、固めたというから作業はなかなかはかどりません。そこで、美人で美声の持ち主の「お高」に頼んで、一緒に働いてもらったところ、作業はおおいにはかどり、多くの若者たちが集まったそうな(笑) その当時お高の美声にあわせて歌われたのが、粘土節。しかし、いつどんな間違いが起こもしれないと年寄りたちが気をもみ、「お高」に仕事をやめてもらうことに。若者たちは失望し、作業も手が着かず、年寄りをののしる者まで出てき✋しまい、多くの人が「お高」を捜しましたが、結局行方不明だったとのこと。これが、お高さんは実在しない説になっているようです。

「お高」についてわかっていることは・・・

○明治のはじめ、児玉治右衛門の二女として、小井川村(現 田富町山之神)に生まれる。
○改修工事中の明治23年3月、藤巻茂三郎と結婚し、6男・4女をもうけた。
○昭和7年 60余歳で世を去った。
○現在は、妙泉寺境内の墓地にひっそり眠っている。



粘土節(民謡)


粘土お高やんが
来ないなんて言えば
広い河原も真の闇
ハアゴッション、ゴッション(繰り返す)

粘土つくにも
紅おしろいで
かたい石やさんをまよわせる

きたら寄っとくれんけ
あばら家だけんど
ぬるいお茶でも熱くする

行ってごらんよ
釜無の土手に
粘土お高やん日よけ松

粘土お高やんの
歌声聞けば
重いピール(トロッコ)も軽くなるよ



♪きたら寄っとくれんけ
このフレーズが田舎だ~(*´∀`)♪ 検索すると歌を聴くことも出来ます。また当時の河川工事の大変さもわかります。以前よんだ『椿の海』(矢的竜)も明暦のころ、下総国に椿の海と呼ばれる広大な湖を干拓して水田に変えるという夢のような計画を実行すべく尽力した、江戸の米問屋白井治郎右衛門の話でした。今、当たり前のように綺麗に整備された河川等を見て散策したりしますが、そこに至るまでのことを考えるのも大切ですね。




さてさて、ワタクシ、今日が53歳の誕生日です。「53・・・ゴミ!?」などとダンナさんには言われましたが(オマエも9月にはゴミじゃ💢)「美しさを護る」の意味で、いろんな美しいものを発見し、自分の中に取り入れて、出来れば内外ともにうつくしくありたいと思います~難しいですけど(´ー`A;)



明日は記事更新をお休みさせていただきます。また明後日のプレミアムフライデー(笑)にお逢いしましょうヾ(´ー`)ノ




rohengram799 at 16:26|この記事のURLComments(16)
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