長谷川櫂

2018年12月15日

竜潜雲便りNo.21:魑(すだま)

読売新聞が値上げになるらしい・・・朝刊のみは据え置きらしいけれど、う~ん・・・全く目を通さない紙面もあるのだけれど、やはり新聞がないというのはなぁ・・・と考えてしまいます。



長谷川櫂さんの『四季』に「結城 哀草果 という人の短歌が載っていました。「ゆうき・あいそうか」スゴいペンネームだな、と思いましたが、最初に師事した方が土岐哀果という人なので、この先生からなのかな?


明治26(1893)年10月13日ー昭和49(1974)年6月29日。斎藤茂吉記念館初代館長。歌集に「山麓」「すだま」「群峰」「まほら」「おきなぐさ」「結城哀草果全歌集」があり、随筆に「村里生活記」「哀草果村里随筆」(3巻)など。


歌集のひとつにある『すだま』ってなんだろう? スッピンの魂? イヤ、それも意味がわからないだろ~!とひとりでツッコミを入れながら調べてみました。「魑」という漢字が出てきました。これは「魑魅魍魎」の「魑」では・・・。


【「魑」はばけものの類、「魅」はもののけの類。 山林の気から生じるというばけものの類。山や沢の怪物やもののけ。すだま。】


「すだま」という妖怪?の絵は見つからないようです。


http://youkaiwikizukan.hatenablog.com/entry/2014/04/11/%E9%AD%91%E9%AD%85%EF%BC%88%E3%81%99%E3%81%A0%E3%81%BE%EF%BC%89%E3%81%AE%E8%AC%8E




歌集『すだま』についてはこちらで。

https://blog.goo.ne.jp/oyuse13/e/b3df79ce525a057a2c2857bff1e2b03f





rohengram799 at 11:47コメント(2) 

2018年10月30日

稲熟雲便りNo.32:終電~夜眠る花

久しぶりに診断メーカーを見たら、好きな人が終電を逃しちゃった・・・、と言った時の反応はいかに?みたいなのがありました。私自身はこんなセリフを言ったことはありません(笑) さて、言われてオスカーの反応は・・・コチラです!


好きな人「終電…逃しちゃった…」
オスカー「(突然口笛を響かせたかと思うと、背後から白馬が颯爽と走ってくる)」


暴れん坊将軍に出てくるような白い馬でしょうか?
背後からお庭番が来るじゃなくてよかった(* ̄∇ ̄*)

https://shindanmaker.com/816849



終電という言葉で思い出すのは、浜田省吾さんの『君に会うまでは』ですね。

http://j-lyric.net/artist/a0011b4/l001388.html





『夜眠る花あり秋も深まりぬ 』(今井杏太郎)


10/25読売新聞「四季」に載っていた俳句。

〈夜、花びらを閉じる花がある。いい例が薔薇。夜、庭や鉢の薔薇を見ると、花びらがひたと閉じている。やがて閉じられなくなったとき、薔薇は散るのだ。そんな花を見て秋の深まりをしみじみと感じている。〉



夜眠る花、薔薇の花・・・なんておやぢ心をくすぐるのでしょうか!長谷川櫂さんの解説はどこかにいって、妄想の闇にエロスの星が瞬いてしまうワタクシ、どんなふうに彩られているかはお話できませんわ。では、皆さま、よい夢を。おやすみなさいませ (。-ω-)zzz


              

rohengram799 at 23:53コメント(4) 

2018年07月27日

炎昼雲便りNo.11:四つの石

『”心”と書きていずれの面も交わらぬしずかなりけりあるべきこころ』(道淵悦子)



読売新聞朝刊「四季」(6/19)で紹介されていました。長谷川櫂さんの〈心という漢字、四つの面が互いに交わることもなければ、触れ合うことさえない。それぞれの面が静かな「間」を置いて佇んでいる。石庭の砂の上に置かれた四つの石のように。もともとは心は心臓の形を表す。歌集『空のようなめの』から。〉という文章とともにしみじみ味わいました。



「必」の字は四つの石に斜めの線が・・・心に傷をつけねばならぬほどの重大さを含んだものが「必要」なのかしら? 文字のバランスの不思議さ、美しさを考えましたわ。



「心」というと、土方さんのこの句(というよりヒトリゴトっぽい)を思い出します。



『差し向かう心は清き水鏡』




台風の進路が気になります。皆さま、どうぞお気をつけ下さい!



rohengram799 at 23:07コメント(6) 

2018年06月11日

芸香雲便りNo.10:OKINAWA

読売新聞の「四季」、いろんな俳句や短歌が長谷川櫂さんの言葉とともに紹介されています。今月は「沖縄慰霊の日」があることを意識してなのか、先週は桃原邑子(ももはらゆうこ)さんの歌集『沖縄』からの短歌が載っていました。



生きのびることは絶対に悪なりきその悪をひきずり歩むいつまで


戦争に巻き込まれ、生きのびたことを喜ぶのではなく「悪」と感じてしまうとは、なんと苦しいことなのか・・・と思った翌日の一首もまた衝撃でした。



本土よりの修学旅行の少年が平和の礎(いしじ)仰ぎ「ああ僕も戦死したい」



まだ「僕」と言っているのなら、あどけない少年なんでしょうか、毎日が彼にとっては「戦争」なんでしょうか、誰かに命を絶ち切ってもらいたいと思う出来事が続いているのか・・・この平和ボケが!と一喝するのは簡単だけれど、それだけではいけないような、何もならないのでは・・・と思ってしまう私はダメ人間なのか。


以下、長谷川さんの言葉です。


あの夏、住民たちが追い詰められた沖縄南端の摩文仁。平和の礎には二十四万人の名前が刻まれている。不謹慎な少年を咎めることもないかもしれない。海のそよ風のように微笑んでいればいい。これも平和の光景。




【沖縄慰霊の日関連記事】

http://www.okinawatimes.co.jp/subcategory/%E6%85%B0%E9%9C%8A%E3%81%AE%E6%97%A5

【平和の礎】

http://www.okinawastory.jp/spot/1361



rohengram799 at 08:26コメント(4) 

2018年03月16日

桃月雲便りNo.17:無言歌

こんなにも気配はそばにあるものを一度くらゐ返事をしてみろよ おい (永田和宏)


キッチンの椅子に腰かけている姿が見える。庭の金魚草の花が揺れれば、そこにたたずんでいるような気がする。それなのにいくら呼びかけても返事をしない。一人残された私が気がかりで見守っているくせに。歌集『午後の庭』から。



読売新聞朝刊(2018.3.5)「四季」より。長谷川櫂さんの言葉もひとつの作品のよう。最後の「おい」が切なく悲しく響いて、奥さまの河野裕子さんが微苦笑しているような気がする・・・先に逝ってしまった人も残された人もお互いを思いながら、また巡り会える時を待っているのでしょうか。



https://www.kadokawa.co.jp/product/301607000288/




rohengram799 at 09:27コメント(2) 
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